家と云う制度ー夫婦別姓未だ違憲ならず、
最高夫婦同姓を強制する現在の婚姻制度を合憲。本来、個人に関わるととを法でどうのこうのと規定するべきではないと思う。アメリカの最高裁は今年、同性の結婚を肯定した。怒り狂う人たちもいる,こういう人たちは,同性婚だけでなくなぜか中絶も法で禁止し、銃の取り締まりには権利の侵害とばかり抵抗する。
もとい、姓に関しては、アメリカは何の規定も無い。例えば自分のファミリーネーム(姓)を継続したければそうするし、相手の姓と併記で申請する事も可能。中には新しいファミリーネームで登録する人もいる。友人で本当にあった話だが、仮称ー”スミスさんとウッドさん”が結婚して、スミスウッドという新しいファミリーネームを作ってとどけでた。二人は早速新しい名刺を刷ってビジネス関係に配った、、が2ヶ月で離婚、いまさら名刺を刷り直し配り直すのも面倒なので、二人はスミスウッドさんのまま,別々に暮らしている。
男女同権が日本より徹底しているということもあるが、どちらかと言えば結婚制度,家族制度?の違いが大きいと思う。私が結婚する時に、両親は「籍はどうなるんだ?」と心配していた。どう説明しても,戸籍が存在しない社会が理解できないたようだった。戸籍は日本独特の制度で,アメリカにはもちろん戸籍は無い。どの両親から生まれたかという出生の証明はある。そういえば,住民票もない。他州に引っ越すときは運転免許をその州のライセンスに書き換えるだけである。
日本の戸籍,生まれると,何々家の誰それの娘(息子)が自分の戸籍になる。家長の戸籍の所属員になる。結婚をすると、誰それの妻(夫)として,自分の家の戸籍から出て,相手の籍に入る。外国人は戸籍が無いので、私の戸籍には,外国人と結婚の為の但し書きで、一人戸籍,配偶者欄はバッテン!。自分の姓のままを選ぶか、相手の姓をカタカナで記載する事もできる。男女平等を言うのなら,戸籍の方が差別的?
アメリカ人も自分の姓を大事にしている。姓には彼らの先祖がどこの国から来たと云うアイデンティティ
が詰まっている。だから結婚しても、相手の姓+自分の姓(一緒にしたり新しい造語にするのとは別)
を並べて,名乗る人が多い。長い名前になるがそれも由緒の証明として悪くない。私もアメリカの正式書類にはそうしている。
夫婦別姓が,男女差別的意味合い、家に縛られる結婚の象徴として,論じられ、選択的夫婦別姓が求められたているが、そもそも,家と云う括りを強化来ているのは戸籍制度だ。私は自分の名前に対して拘りが薄い方で,アメリカでの本名,日本での戸籍名、アーチストとしての名前、全部ちがう。だから、夫婦同姓がどれだけの弊害を働く女性たちに生むか,十分実感はできていない。ビジネスの名前が本名でないといけないと云う決まりは無い。相続の際が問題を生むのだろうか?
どちらにしろ,再度言うと、個人の問題を国家や法律が縛るべきではない。しかし本当に家という支配形態から脱却したいなら,戸籍制度の改正を考えるべきだろう。まあ、それよりも、小さな政府を標榜しながら,個人の行動、作法、思想を管理し縛りたい全体主義政府が最大の問題なのだが。
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