密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

マーリャの贈り物(百万本のバラの原曲)

韓国ドラマのMy Misterを見ていて、その中の挿入歌が、日本でも人気の”百万本のバラ”だった。しかしその歌い方?が、貧乏な絵描きの健気な恋の歌にしては、重く切ない。あの馬鹿げた日本語の歌詞は本当にオリジナルなのだろうか?この曲は大好きだが、常々歌詞は愚かすぎると思っていた。貧乏な絵描きが恋をして、自分の絵の道具を売り払って(そもそもそこ、使い古しの道具など売れるわけもなく、よしんば売れてとしても、100万本のバラを買えるだけになるはずもない)恋する人の部屋の窓から見える広場をバラで埋め尽くして、貧乏な青年はさっていく、という、雰囲気だけの純愛ロマンが胡散臭く、故にこの曲のヒットはメロディーによるものだと思っていた。


知りたくなってこの曲のルーツを辿ると、ロシアの歌(ラトビアの歌)であり、歌詞は全く変えられていた。どの時点で変えられた歌詞が流通したのか?
ラトビア語版原曲は、1981年にラトビアの放送局「ミクロフォンス (Mikrofons)」が主催する歌謡コンテスト「ミクロフォナ・アプタウヤ(ラトビア語版、英語版、ロシア語版) 」に出場した『Dāvāja Māriņa(マーラは与えた)』というラトビア語の歌謡曲である。作曲はライモンズ・パウルス(ラトビア語版、英語版、ロシア語版)、作詞はレオンス・ブリアディス(ラトビア語版、英語版、ルーマニア語版) [3] による[4]。このコンテストにおいて、アイヤ・ククレ(ラトビア語版、英語版、ロシア語版)と、終盤の少女のパートを担当するリーガ・クレイツベルガ (Līga Kreicberga)(当時9歳)の2人によって歌唱された『Dāvāja Māriņa』は、優勝した。
歌詞の内容は、後述のロシア語版やその内容を踏襲した日本語版とはまったく異なり、大国にその運命を翻弄されてきたラトビアの苦難を暗示するものだった。


日本で流通した恋の歌バージョンは、ロシア語版で作詞は、アンドレイ・ヴォズネセンスキーによるものである。1982年にメロジヤから33回転シングル盤として発売された。1983年には日本でもLP盤としてビクターよりリリースされ、1988年には同じくビクターよりCDがリリースされた。
歌詞の内容はグルジア(現:ジョージア)の画家ニコ・ピロスマニがマルガリータという名の女優に恋したという逸話に基づいている。ラトビアの作曲家が書いた曲に、ロシアの詩人がグルジアの画家のロマンスを元に詞をつけ、モスクワ生まれの美人歌手が歌うという、多様な民族の芸術家が絡んでいる点で、ソ連ならではの歌とも言える。
このロマンスの真実性については諸説ある。ピロスマニはマルガリータをモデルとしたといわれる作品を何枚か残しており、グルジア(ジョージア)の首都トビリシの国立美術館で『女優マルガリータ』を観ることができる[8]。1969年にパリでピロスマニの個展が開催された際にはマルガリータ本人と目される女性が現れたと伝えられる。一方、1975年にピロスマニについての研究書を著したエラスト・クズネツォフはこの著作の中でマルガリータの実在性に強い疑問を呈していた。(by wiki)


もちろんロマンスの歌の方がポピュラーになるというのは、よくある話だが、
戦争(侵略)の悲劇を思い起こさせる、悲しく美しい、切ない歌詞で、初めてこのメロディーと一つになった感があった。
これがラトビア版、字幕歌詞・翻訳をつけてくれています。

「百万本のバラ」の原曲 Dāvāja Māriņa(マリーニャの贈り物)歌詞つき


ラトビアは、北方戦争などを経てロシア帝国支配下となったが、第一次世界大戦後の1918年11月18日に独立を宣言[。ロシア革命で成立したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(ソ連の前身)は1920年にラトビアと平和条約を結んだが、ソ連はナチス・ドイツとの密約に基づき東欧や北欧への侵略を進め、ラトビアなどは1940年に占領された(バルト諸国占領)。
翌1941年、ナチス・ドイツがソ連に侵攻(独ソ戦)。緒戦の進撃でラトビアも占領されたが、ソ連軍の反攻で再占領された。その後はソビエト連邦構成共和国の一つとなり、ソ連崩壊で1990年5月に独立回復を宣言した(日本国政府による国家の承認は翌1991年9月6日、外交関係樹立は同年10月10日)


ロシア周辺の小さな国は、侵略により政府の支配が変わる都度、栗強い思いをしてきただろうし、今もしていると思う、批判的攻撃的歌詞の歌を歌いづらかったので、こうした子供を思う歌詞を切々と歌う曲が、巷に広がっていったのだろう。


全然違うが、日本でも、岸壁の母、という曲がヒットした。
この”岸壁の母”とは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で引揚港の桟橋(岸壁)へ帰ってくる息子の帰りを待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称。
その一人である端野いせをモデルとして流行歌(1954年など)、映画作品のタイトルともなった。 のだそうだ。子供だったので、波の砕ける高い岸壁に、毎日やってきて泣いているお母さんを想像していた(岸壁を絶壁と勘違い)。もちろん息子の魂は水平線の向こうに飛んで行ってしまったが、それでも、毎日会いにきている、そう思っていた。

抑留される息子を待つ方が、希望はあっても、息子の魂に語りかけるより、辛いこともあっただろう。
「事前に発表される復員名簿に名前がなくても、「もしやもしやにひかされて」という歌詞
生死不明のわが子を生きて帰ってくると信じて、東京から遠く舞鶴まで通い続けた母・端野いせさんの思いは、当時全ての母親とその息子に、強い共感をうみ、涙を流させた。

美空ひばり-岸壁の母
拉致被害者家族もこんな思いで過ごしきたのか。”国”を守るために徴兵された息子。
『生きて戻ってきて』と口にすることは許されなかった。今ロシアには、強制的に兵士にさせられた息子を持つ母親たちが同じ思いを抱えTEIだろう。そして捕らえられ、シベリアに送られたウクライナ兵の母たちも。


私の好きな反戦歌、武満徹・谷川俊太郎の、”3月の歌”も、一人称であるが、大切な人や、世界への”愛だけを抱いてゆく”という静かな決意を”お前の笑顔”に誓う。



No One is Immune!


今、私たちは、”Dāvāja Māriņa”誰からの贈り物を思い、誰の笑顔のために愛を誓うのだろう。
心無い残酷な言葉を弄び、ストレスを攻撃に変える、そんなものが蔓延する社会は、結局
突き進むのは、”死んだ男が残したものは” の唄う、後悔の中に沈んでゆくだけだ。



死んだ男の残したものは 友竹正則 ギター弾き語りcover
そしてこの曲が最後の残した希望と願い、これも冷笑できるようなら、日本は救われない


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