密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

死を管理したいと思う人々

集団切腹発言、安楽死の容認、果ては、安楽死の強制まで言及し、かなりの反発を招いてしまった、Yale UniversityのAssistant Professor氏
しかし彼のような思考をする人は一定数いる。ナチスの思考との親和性も指摘されている。身体・精神的障害(彼らを社会の足手まといと考える)LGBT(自分と違うものへの意味のない恐れ、社会を壊す感染症のように扱う)高齢者(彼らを社会の足手まといと考える)このほかに反政府思想(自分たちが構築している社会の価値観を崩す)こうした人々を
排除の対象と考える人々は、自分を成功者、支配者と自認している。


ワタクシは安楽死を求める人に選択肢が与えられるべきである、それをサポートする医師(医師であるべきと考える)に対する法的な擁護も定められるべきであると思ってる。
選択肢に対しては、様々なルール・基準の検討が必要であるから、当然真摯な議論が必要であると考えている。これは、自らの命を自分の意思で決定できる事は究極の尊厳で人権だと考えるからで、また人間は感情の生き物で、意思決定に常に揺れがあり誤りがあると考えるからだ。絶対に、他人の思惑で決められるべきではないし、介入もあってはならない。介入とは、経済的、精神的に家族の迷惑になるから、などという理由の安楽死のこと。これについてはカウンセラーを設ける問題だし、公共の支援も考えなくてはいけない問題だ。


ましてや、国際**学者や比例当選国会議員ごとき他人が、個人の人生の終わりを決めていいはずがない。彼らの理由が社会の効率化、生産性の落ちた部品を取り替えて、古い部品を廃棄する、というような陳腐なのもで、しかしそれを、勇気を持ってタブーに言及的なことでそれをもてはやす事は、社会の劣化の象徴だ。


高齢者となり、保護者とされる人物(子供や配偶者)が、当人の人間関係を排除し、孤立させて、コントロールするという事は程度の差はあれよく起こる。良いことがと思ってやっている人もかなり多い。そういう人は、危ないから拘束する、という考え方の人だ。我が妹はそういう考えだ。人間の尊厳を殺して安全な死を行いたい”家族の愛”だ。


昨日、Dさんの幼馴染のTさんが、危篤に陥っているということを、彼の娘のFBで知った。
Tさんは、敬虔なクリスチャンで、鹿狩り愛し(彼に銃を教えてもらった)2度の不幸な結婚のあと、マッチングサイトで、ベトナム人のHさんと結婚した。今までは、アジアの食べ物など絶対口にしなかった彼が、ベトナム料理の説明を我々にしてくれる姿に、嬉しい驚きをもって見ていたし、Hさんは明るく元気な人で、四人で出かけたり、女同士で、ネールやマッサージに行ったりた。その時期は、Tさんの人生は輝いてた。


ところが、Hさんが膝を痛めTさんの面倒を見るのがきつくなり、一月、娘さんの家で療養となり、そして、状態が良くなり、住まいに戻ると、Tさんの娘に鍵を変えられていた。Tさんの娘は、Hさんが父親を虐待したと訴え、警察を呼ぶと家の前で怒鳴り散らされた、とHさんはいう。銃も持っている人たちなので、恐ろし気持ちになって(フロリダは銃を撃つ人に寛容で、特に白人が有色人種を打っても無罪放免となるケースも多数ある)


それ以降、娘はHさんが父に会うことを拒否し、父親から電話を取り上げ(認知症が進みつつあるので、手助けがないと電話をかけられない)最後には、古い友人のDさんまで、連絡を拒否された。Tさんのお義母さんもナーシングホームにいて102歳、娘と鉢合わせに怯えるHさんの頼みで一緒に尋ねたが、娘たち(後2人の息子)は一切訪ねてきませんと、ケアマネさんはいった。これで安心してお義母さんのあいに来られるね、と喜んだ。
Hさんはベトナム戦争の戦火から、妊娠中、命からがら逃げ延びた人だ。だから、人生を楽しみたい、美しい楽しいものが見たい、芯が強く情に厚く優しい。お義母さんの手をとって話しかけ続けていた。Tさんにも同じことをしてあげただろうけれど、叶わなかった。


Tさんの子供たちの、彼女の排除は、最初からアジア人との結婚が気に入らなかった?
仕事を放棄したメイドへの雇い主態度みたいな言い分。ワタクシは娘がTさんを連れて展覧会に来てくれた時一度会っただけで、声の大きな元気な人という印象しなかつたが、Dさんがいうには、トランプな人々らしい。自分は正しいと思っているが、その正しさは、有色人種は対等でない?娘は父の再婚相手は気にくわないところはあるようだが、夫婦を力ずくで引き離すのは、あまりにひどい。Tさんはクルーズや旅行にTさんを連れ出し、お金を使うことが嫌だったらしい(独立経済なのだが)。Hさんはいい仕事を持ち、大きな家を持ち、十分な年金があり、二人で楽しむことなんの文句を言われる筋合いはない。Dさんは彼らはTさんに、お金を使わずできるだけ多く残して欲しいからごねるのだ、と言っている。Tさんは今だにHさんがいないことが受け入れられないようだと、近所のゆうじんはHさんに行っている。Hさんも会いたいと思っている。


もう一つに理由は、TさんとHさんの共同名義のコンドミニアムを、Hさんに渡したくない、彼女の名前を排除したいということらしい。これは弁護士同士で話し合っているが、彼女は人目も彼に会えないでいる。


Hさんは今、ベトナムの親族を訪ねていて、Tさんの危篤も知らされないだろうと、Dさんは知らせるつもりだ。Tさんのナーシングホーム(orホスピス)の場所は一切知らされない。聞いても返事はない。電話も留守電で返信はない。
ただ、コンドミニアムの件は、まだサイン終了していない?(Hさんは、月すうかいTさんに会える条件で、コンドミニアムを放棄し、離婚も承諾する、という交渉をしていた。)


本人が意思決定ができないとされると、途端に子供達がしゃしゃり出て、愛と欲で、コントロールすることがある。こういう現状で強制安楽死などということを言い出すのは、効率と自己都合でしか考えられない側の人間だ。でも自分がその立場になれば、言い逃れの理屈を繰り出すだろう。あるいは自分は価値のある人間だから、集団切腹、強制安楽死ん対象にはならない、と考えるのか。


カーター元大統領が、ホスピスに移ったというニュースが、昨日今日と報じられ、子供や孫たちが次々おとづれ、家族に囲まれて穏やかにいるという。多くの人が望む(全てではない)、人生の最後だろう。山本文緒さんの”無人島の二人”を読んでいても、自分の選んだ場所で、自分のペースで死んでゆくことを許されることが、人にとっての最後のMercy(慈悲)であろうと思う。
そしてその慈悲にあずかれない人々のなんと多いことか、に愕然とする。


命を終える大切な人をその人のペースで送り出し、自分は自分のペースで死んでゆくことが許されるそういう社会が実現してほしい



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