密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

同性婚、国民一人一人の結婚観が変わる?結婚は良性の合意のみで成り立つ。

岸田総理の、あまり考えていない答弁から出た、”社会が変わる”発言は、ホローしようとして、これもこの問題を何も考えていない秘書官の差別発言で、国民の関心・意識が大いに向上している。予算委員会でも杉を議員が追及。岸田総理は、また発言の切り取りを匂わせて、問題をすり替えようとしていたが、その言い訳も、同性婚は、国民一人一人の結婚観が変わる問題なので、議論が必要と言った、というものだった。


ここでおかしいと思うのは、個人の結婚の結びつきは、良性の合意のみで成立するという憲法上分をどう考えているのか? 同性婚であろうと異性婚であろうと、結婚当事者のみの問題で、国民全体はそれに影響される、という考えがそもそも、封建的家族観を維持して当然という一部の人間たちの思惑をベースにしているからこういう発言になる。


同性婚を認めても、他人に迷惑をかけることにはならないが、そこで問題なのは「隣に住んでいるのも嫌」などと平気で発言する人間が、差別を生み出すことだろう。


同性婚が認められないと、例えば、死に際に、会うことを許されない、という最も悲しいことが、法制度のもと行われる。そして相続の問題も。自分のパートナーの病状も知らされない。もし家族が上記のような考えを持っていれば、感情的に、そして法的にも排除されてしまう。同性愛カップルは、こんな不条理で悲しい目にあう可能性を持っている。


養子縁組などは、こういう状況を回避する手立てなのだろう。でもそんな回りくどい手を使わなくても、同性婚を認めればいいだけだ。誰も困らない。ただ気に食わない人たちがいるだけだ。彼らは、この制度が”我が国ニッポンをダメにする”と信じ込んでるだけだ。


杉尾議員は、すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。という、憲法13条、個人の尊重、幸福追求権に触れ、LGBTへの偏見と、同性婚を認めないことはこれに反する、と発言した。


岸田さんの答弁って相当イラっとする。岸本議員が、岸田総理に、「様々は禁止」と言い渡したが、この『様々』は、この人が問題に対し集中して考えることをしない(したくない)表れで、そして『丁寧に説明する』は、自分の言い分を相手に分からせるだけの一方通行の考えの現れだ。全てこの調子なので、『議論をするのが大切』も、時間稼ぎ。議論の相手の言葉に聞く耳を持たず、最後は、様々な考えがあり、引き続き丁寧に説明する、で終わる。



一事が万事この調子で、多弁撹乱逆ギレ型の安倍さんとは異なる、岸田スタイルが確立している。”はんぺん”みたいなふわふわして歯ごたえがなく、芯もない(まあはんぺんは味が染み込むので、美味しいが、染み込まない岸田はんぺん)


改憲に積極的ではないが、24条の 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
この夫婦、が結婚の条件が男女に縛られる根拠になる。両性の合意は、問題ない。


時代は少しずつ、人権尊重の要素を勝ち取って社会を再構成してきた。それが、自由民主主義の国だ。今軍国回帰で頭が沸いている人たちにとっては、女性が学問することも、参政権があることも、家計とためでなく職業に就くことも、LGBT病気の一種で、収容して矯正治療するべきだ、と思っているだろう。


人は個性がある。多様な個人の特性を受け入れ共存していける社会になるために常に努力すべきだ。公共の福祉に反しない限り、尊重される。人を殺す自由とか、痴漢をする自由とかで反論する馬鹿もいたが、殺される人の人権、痴漢される人の人権を考えれば、その権利(とも言えないが)の対立において、被害者側の人権が守られるべきことは明白で、そんな権利主張など、よく恥ずかしげもなく公共に意見を発することができるなぁと呆れる。


それでも日本は少しずつ前に進む。今回のLGBT差別・同性婚問題で、65%の国民が差別に反対し、同性婚を認めるべきとしている。


切腹は無理でも(そういう自発性はない)ギロチンにかかってほしい人はかなりいる。もちろんメタファーだ(w)


PVアクセスランキング にほんブログ村

ランキングに参加しています。
宜しかったら、両方をクリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ

経済・社会 人気記事 一覧 経済・社会ブログ天紹介所