密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

音声があるのに、なぜ女性記者に「協力」を要請?

安倍政権はおかしな理屈をまことしやかに押しとうすのが常套手段。
録音されたセクハラ発言があるのだから、あとはこれが、福田淳一事務次官の声であるかどうか確認すればいいことだ。


以前にも、『出どころのはっきりしない文章は怪文書』などとのたまい、情報源の公表を当然としらばくれていたが、こんなことを認めれば、内部告発は一切認められず、封じられてしまう。共産党小池氏は『我々は絶対に情報元を守るのは当然のこと』、と明言し、
内部告発者は絶対に守られなければならないという大原則を、平気で覆す政権の屁理屈を批判した。定例記者会見でもこの問題に言及。小池氏によると、どうも、福田氏は、最初このテープの会話を認めていたが、現在は、接客女性に対するものの録音というニュアンスを主張しているという。

セクハラ事務次官を容認・擁護!史上稀に見る恥知らず・アベは退陣を---小池晃「日本共産党」書記局長、定例会見2018 04 16


今回の”記者クラブ加盟各社の女性記者に対しての「協力」を要請”は、これも告発者封じの屁理屈で、実証のない伝聞であるなら、事情聴取も必要だろうが、録音テープがある以上、女性記者への聴取より、まずこの音声が福田氏のものであるかを確認すれば済むことだ。またセクハラ被害者に名乗り出ろということがまかり通れば、どの企業もセクハラをする側が強権を得てまかり通ることになるという、小池氏の指摘も、もっともだ。

女性記者へのセクハラ疑惑の渦中にある財務省の福田淳一事務次官(58)が全面否定した。疑惑を報じた週刊新潮は先週金曜(13日)、福田次官の声とされる音声データを公開。与党内でもアウトと思われていたので驚きの声が上がっているが、財務省は次官をかばうだけでなく、記者クラブメディアに対し“恫喝”の逆襲に出たから唖然だ。


■福田次官はまさかのセクハラ疑惑全面否定


 週刊新潮によれば、福田次官は女性記者に対し「抱きしめていい?」「胸触っていい?」「手、縛っていい?」などとセクハラ発言を繰り返していたという。 音声データでも、ガヤガヤした店内ながらそうした発言が聞き取れる。さすがに与党でも「もうもたない」(自民党幹部)、「対応は早い方がいい」(公明党幹部)と辞任やむなしの空気だった。


 ところが16日昼すぎ財務省は、福田次官が「女性記者とこのようなやりとりをしたことはない」などと調査に答えたとする文書を発表。「名誉毀損にあたるとして、新潮社を提訴すべく準備を進めている」と全面対決まで示唆した。ー後略ー


名誉毀損訴訟などは、このテープが捏造であったと証明されて初めて起こされることだろう。そういう順番をすっ飛ばして、政権が不必要なプレッシャーをかけることに大変な不自然さがある。


現時点では、女性記者は堂々と協力を拒否していい。まず、このテープの声が福田淳一事務次官のものであるかを明らかにしなければ、その後は何も始まらない。


新手の森加計隠しか?と疑いたくなる。ちょうどいい目そらしなので粘れ!と言い含め?
それで、急遽全面否定か?


どのみち、つまらない権力側の脅しの”協力”は、閉じられた永田町の中でなら有効かもしれないが、国民の目がかなり集まっている現状では、麻生氏の対応により政権に対する嫌悪感の増大になる。


福田氏にとって『単に言葉遊びを楽しんだだけ』の悪気のないものであったとしても、その楽しみが一方的なものである以上ハラスメントであることは免れない。日本の男性は、女性を言葉でからかい、ムキになったり、嫌がったりするのを見て楽しむことが、非常に多い。かつ反発すれば、子供扱い、女性としてこなれていないなどと(だから女性の接客する店で、になるのか)、言ってはばからない。言葉だけでも、挨拶がわりに体の話、異性関係の話でつついておいて、悪気はないんだ、親さの裏返しだ、そういうこともわからないのは良くない、と平気で言ってくる。しかし、これは多くの先進国では許されないことだ。褒めたとしても、プライバシー・身体・年齢に関わることは、NGだ。髪型、服装、はOK  香水はダメだね。(お互い興味のある人ならいいが、公共では、性的関係の入り口的な感じを相手に与えて不適切)女性的な部分を論評するなどもってのほか。こういうことをアメリカでやっている数少ない人物(トランプ)は「女性を皿の上の肉片のように思っている下劣な人物」(ABCテレビでのコミーFBI元長官インタビューより)と真正面からの批判される。


麻生大臣などは、たかが女をからかっただけで、大の男の仕事を取り上げるのか?と思っているのかもしれないが、それは、”たかが”ではないことを認識することから、日本男性の民度は向上する。


テープが本物であれば、福田氏は、女性の気持ちに疎いセンスの悪い中年男性の代表として、即座に反省し、心から女性記者(たち?)謝罪しする必要がある。麻生氏も、厳重注意の上、減俸などの目に見える懲罰を貸すことだ、それは、ひいては、ことを大きくせず、福田氏を過剰に晒しものにせず、氏の能力と彼の罪+過失に見合う償いと(実際体に触ったり、関係を強要したわけでなないようなので)、ご家族も巻き込んでしまいかねない被害を最小限に収めることができたはずだ。世論も感情的になりすぎず、バランスのとれた懲罰と責任の取り方は求められるべきだと思う。この場合本人の反省が一番大切で、二度としないと約束して、認識を改めるのであれば、個人的には、職を辞す必要までは認めない。ただ、言葉を翻し政府の恫喝に協力する立場を取っている今となっては、そのまま職責を続ける資格はないと思う。バカなことをしたものだ。


またテープでは、明らかに女性の側が、やめてください、本当にそういうのやめてください、と嫌悪している声も入っている。福田氏の会話を楽しむは成立していないように聞こえる。あとは編集してついだりして捏造するしかないが、それも調べればすぐに明らかになる。物的証拠の精査だけでも十分で、女性記者の協力は必要ない。


ともあれ、この国の、男性の悪気のない気持ちを”わかってあげる”ことを女性に押し付ける愚かな風潮が、未だに日本の社会を跋扈しているのは嘆かわしい限りだ。



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シリア空爆=開戦は気が早い 安倍コウモリ外交お呼びじゃない

米仏英による、シリアの化学兵器勢増拠点はの空爆を受けて、イラク戦争の再来、日本も派兵要求される?という懸念が高まっているようだが、ここは冷静に状況判断してほしい。


今回の空爆は、精査のあるピンポイントの空爆だった。もちろん国連の決議のない中行われた暴挙であるという非難も免れないが、シリアに対してはロシアが拒否権を持つ以上、国連は何もできないのだ。そもそもトランプがシリアからアメリカ軍を引き上げる発言をしたために、シリアが一挙に強気の制圧に出たという見方もある。


シリアには対ISISのアメリカ軍の部隊が未だに2000以上駐留している。この時点でシリアとしてもロシアの力を背に全面戦争など、リスクが大きすぎる。ロシアも望まない。
アメリカも望まない。


日本の報道はすぐに、アメリカという強権の大国を一つに捉えるが、アメリカは一枚岩ではない。現在の日本のように右向け右に動かないし、世論誘導もそう簡単ではない。
今回の空爆に関しては、米国内では非難は聞かれない。それは、トランプの号令一下の暴挙というより、シリア市民に対する非人道的虐殺を止める、最低限の有効な攻撃がなされたと認識されているからだ。しかしイラク戦争の再来を国民は望んでいない。トランプに支持が集まったのは、よその国のために軍隊を出し税金を使うアメリカより国内優先で進めるアメリカファーストに賛同した方だ。日本=安倍様とは違う、アメリカ=トランプではないのだ。もしトランプがいきなり空爆をツイートしても、マティス国防長官をはじめとする米軍幹部がよしとにない限り具体的にはならない。逆に戦争のプロである彼らにとって、オバマ前大統領のように平和主義で慎重派の大統領より、なんでもイケイケのトランプの方がやりやすい。自分たちが合理的と思う攻撃を行うことができるからだ。
そういう意味において、現在アメリカの文民=マチス元将軍の采配によって、軍的な合理主義によって行われている。そうはいってもベトナムーイラクという泥沼の戦争から学んだことは大きいだろう。


国連は、ルワンダジェノサイドの時に、あまりに現場の知識のない文民の統制で、目の前のジェノサイドに何もなすことができず、またアメリカは、自国に直接の国益のないアフリカの国の悲劇をスルーし、その結果のあまりの悲惨に大きな悔恨を残した。


国連決議を待つべきだというのは当然で、アメリカが正義を決める、というのは思い上がりの暴挙であるとは思うが、今回の空爆は、最低限のカウンターパンチで、シリアの行き過ぎを防ぐものであって、シリア+ロシアとの戦争を意味していない。


もし今回の空爆で、一般市民に被害が出たり、市街地を焼き払ったりしたなら、それこそ、ロシアからそうした報告とともに、非難が宣伝されているはずだ。しかしロシアは
これ以上はやるな!!という声明を出すにとどめている。


ドイツは攻撃には加わらないが、非難も行わないという立場であり、多くの先進国はこのようなスタンスを取るだろう。ここでお調子者の安倍日本は、毎度のように強い賛同を表明。アメリカは日本など眼中にないのだから、何も言わなければいいのだ。賛同を表明するということは、言外にロシアに敵対を表明することになり、今後のロシアとの関係の、弱みとなり、お金を搾り取られるし、北朝鮮問題でも、中国ロシアが大きく関わりイニシアチブを握る中、拉致問題解決にトランプを頼る愚かしさは、いかにもトンチンカン外交の安倍らしい。


国による非人道的な行いには、非難を寄せる必要があるが、日本には情報はそれほど伝わってこないのだし、そういう情報鎖国の中で、むやみに危機感だけを高めることは、これを利用して危機を乗り切ろうとする安倍一派の思う壺だ。


アメリカの行いに賛成できないのなら、現在の状況なら無視ていればいい。
ロシアとにらみ合いを作り出して楽しんでいるトランプにのこのこ会いに行く安倍首相、
お呼びじゃない。


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一兵卒は消耗品、保守政権上層部に今も貫かれる棄民DNA。

イラク日報問題隠蔽で、当時の小泉首相答弁をYouTubで見て唖然。すでにアメリカにいたので、日本で型破りの小泉総理が大人気、というくらいの認識だった。


この大人気の型破り総理は、まさに、現在の安倍総理の開き直り屁理屈答弁の紛うことなきお師匠様だ。イラク派遣をめぐっての国会答弁で
「どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域か 今 この私に聞かれたってわかるわけないじゃないですか」
と大威張りで宣い、では、非戦闘地域とはどこか?という質疑に、
「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域です」
と言ってのけた。


こうした自国の国威のみを計算し、現地の隊員の実情を隠して、平然としている、これが第二次大戦下で、全く不用な特攻(特攻自体が狂気の沙汰だ)、資材現地調達進撃という狂計画で兵士を見捨て大量の餓死者を出し、自分たちの拘りのために降伏をせず、一般市民の無残な死を招いた帝国指導部に見る日本の国粋主義保守派指導者のDNAは今も受け継がれている。


雨宮処凛氏が、『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』を取り上げて、警鐘を鳴らしているので、転載させていただきます。とてもMoving(心を揺さぶられる、突き動かされるという意味)です。

「存在しない」はずだった陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が発見された。 続けて、航空自衛隊の日報も発見された。


 そんな中、国会では森友学園の問題についての追及が続いている。


 森友学園の文書書き換え問題について、南スーダンの日報隠蔽問題との類似点を指摘する声が少なくない。南スーダンに派遣されていた部隊の日報について、防衛省は廃棄されたと言っていたのに、実は廃棄されていなかったという問題である。その日報には、「戦闘」という言葉が何度も使われていた。が、国会では繰り返し「戦闘ではなく衝突」などと答弁されていた。自衛隊派遣の継続のためには決してあってはならなかった「戦闘」という言葉。よって日報は廃棄されていなればならなかった。国会答弁のために、事実の方が歪められる。なんとも森友問題と酷似した構図である。


 さて、この文書書き換え騒動の中にもかかわらず、安倍首相は3月25日の自民党大会で「いよいよ憲法改正に取り組むときがきた」と気勢を上げている。


 そんな折、改憲や自衛隊の海外派遣などについて、あまりにも深く考えさせられる一冊と出会った。それは『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』(講談社)である。著者はNHKディレクターの旗手啓介氏。2016年8月に放送されたNHKスペシャル「ある文民警察官の死〜カンボジアPKO 23年目の告白」をご存知だろうか。この番組はギャラクシー賞テレビ部門大賞など数々の賞を受賞している。私も放送当時観て大きな衝撃を受けたのだが、その取材をもとにして書かれた本書を読み、ただただ言葉を失った。


 本書で取り上げられるのは、日本が初めて本格的に参加したPKOの地・カンボジアで93年、一人の隊員が殺された事件である。亡くなったのは、岡山県警警部補の33歳の高田晴行氏。当時のカンボジアは、ポル・ポト派、シアヌーク派、ソン・サン派、プノンペン政府などが入り乱れ、20年以上にわたって続いた内戦がようやく終結した頃。そんなカンボジアに自衛隊が派遣されるということで世論は揺れに揺れたが、自衛隊派遣の影で、文民警察官も75人、派遣されたのだ。殺された高田氏は文民警察官の一人。ちなみに文民警察官に求められた役割は、現地警察の指導や監視。当然、武器は非携行。


 そうして92年、75人の文民警察官はカンボジアに派遣されるのだが、「選ばれた警部補以下の隊員たちのほとんどは海外勤務をしたことがなく、当然ながらPKOについて特別な訓練を積んだこともない、ふつうの”お巡りさん”だった」というから驚く。これに対して、他国の文民警察官は、軍警察や軍事訓練を受けた警察官で構成され、防弾ヘルメットや背面まで覆う防弾チョッキを装備していた。が、日本の装備や研修はあまりにもお粗末。「紛争地域に行くのではない」という建前があるため、十分な装備を要求することもできないままに始まったPKO派遣は、最初から波乱に満ちていた。


 まず、文民警察官はいくつかの地域に分かれて配属されたのだが、亡くなった高田警部補が配属されたのは「無法地帯」と言われ、毎日のように殺人事件が起きていたアンピル。自衛隊が派遣されたタケオは「カンボジアでも安全な地域のひとつ」だったのに対して、アンピルは「カンボジアの中で最も困難な地域のひとつ」だった。何しろ、当時のカンボジアでは普通の農民でさえ自動小銃やロケット砲を平然と持っている。現地を視察した隊員は、「せめて機動隊の爆発物処理班が使用するような耐爆用ヘルメットを持っていきたい」と感じていたものの、「文民として『安全な場所』に派遣されるという建て前がある手前、過度な装備品を要求できる空気ではなかった」と語る。そして、以下のように続けるのだ。


 「PKO協力法の根底にあるのが、紛争地域に行くのではない、和平条項が締結されて安全なところに行くんだと。(中略)文民警察はあくまで文民なんだ、平和なところへ行くんだ、だから(過度な装備は)必要ないじゃないかと。誰かがそう言ったわけではないけれど、そういう根底からの雰囲気ですよね。たぶん上層部にかけあっても、『なんだ、安全なところに行くんじゃないのか』という話になる。紛争地を想定することはPKO協力法を根底から覆すことになりますから」


 派遣中、彼らは現場の実態と、「紛争地ではない」という建て前に翻弄されることになる。その後、彼らの状況は「市街戦そのものの戦場」「頭が狂い出しそう」「戦闘が起こると防空壕に身をひそめるしかなかった」という過酷なものになっていくのだが、辿り着いたアンピルは、生活環境も劣悪だった。


 ヘリコプターでジャングルを超えて降り立った集落は、雨季のため道路が寸断され、陸の孤島状態。そのため、水や食料の確保は困難をきわめ、先に来ていた他国の文民警察官は沼の水を煮沸して飲むという「原始時代のような生活」を強いられていたのだ。しかも乾季になるまでは通信基地に行くことができないため、本部との連絡は一切とれない。もちろん電気もなく、あるのは長い内戦で埋められた無数の地雷ばかり。マラリア蚊や、夜でも35度を下らない暑さにも苦しめられる。


 隊員の一人は、手記に以下のような言葉を残している。


 「このような実態をUNTAC本部はまったく知らない。もちろん明石代表も知る由がない。(中略)強固な砦の中で、革張りの椅子に座り、偉そうにアドバイスしている文民警察本部の高官に呆れてしまう」


 隊員たちは地雷原のすぐ近くに宿舎を確保するが、アンピルはポル・ポト派など反政府三派が混在する地。その上、総理府が手配して日本から持参した発電機は、日本国内で使う100Vのもの。220Vのカンボジアではなんの役にも立たない。しかも、発電機は100Vなのに変圧器は220Vから100Vに変換するものなのでやはり使えない。一事が万事、この調子なのだ。


 しかし、日本政府は彼らが派遣された場所がどれほど危険か、知りもしないし知ろうともしない。そのうちに治安は劇的に悪化していき、「市街戦そのものの状況」になっていくのだが、恐ろしいのは、日本政府は自衛隊にばかり気をとられて、文民警察官の派遣そのものを忘れているように思えることだ。当時、実質の責任者だった河野洋平氏は、取材に答えて以下のように語っている。


 「正直いいますといちばん気がかりで気にしていたのは自衛隊なんですね。直接日本の自衛隊という組織が何かトラブルに巻き込まれ、小競り合いを起こすようなことがあると、これはもう非常に問題だということがいつも頭にあったものですから、自衛隊のことはしょっちゅう見てたわけです。その反面、文民警察はですね、本当に申し訳ないことだけど、個人的に(カンボジア各地に隊員が)散っているものですから、毎日、非常に注意深く全部見るということまで手が回っていたかどうかですね」


 まるで他人事のような言いようである。もし、自分の家族など大切な人が派遣されていても同じことが言えるのだろうか。しかし、「偉い責任者」の本音はこんなものだろう。


 そうして政府もマスコミも世間の関心も低い中、状況は悪化していく。カンボジアに派遣された一部の隊員たちは自らの身を守るため、自動小銃を調達し始める。また、隊員の中からは、ナパーム弾で攻撃されるような日々の中、精神状態が限界に達し、鬱のような状態になる者も出始めた。彼は緊張に耐えられず、職場放棄したことを告白している。貧しい家族のために文民警察官の任務につくことを希望したバングラデシュ人に、1日100ドルで自分の身代わりとして勤務してもらったのだ。バングラデシュ人の自国での給料は月15ドル。1日100ドルは破格である。が、そのバングラデシュ人は、彼の身代わりとしてついた任務で銃撃され、足に重傷を負ってしまう。


 イラクやインド洋など海外に派遣された自衛隊員のうち、54人もが帰国後に自殺しているという話はよく知られている。また、今年3月、南スーダンに派遣された自衛官のうち、2人が帰国後に自殺したことが明らかになった。南スーダンに派遣された自衛隊員の中には、家族にLINEで「死体がゴロゴロ」などと伝えていた者もいることが報じられている。本書でカンボジアの状況を細かく知れば知るほど、「戦場」で、人の精神がどのようにして蝕まれていくかが恐ろしいほどのリアリティをもって迫ってくる。


 さて、高田警部補が殺される1ヶ月前には日本人の国連ボランティアがポル・ポト派とみられるグループに拘束されたのち、殺害されている。それから数日後、アンピルで日本人の文民警察官が襲撃されている。そうしてポル・ポト派のラジオでは、日本人の殺害予告が流れる。内戦の中、一時はタイに難民として逃れていたものの、カンボジアに戻っていた人々が、再びタイに脱出を始めていた。そうして93年5月、高田警部補は殺害される。


 6台の車で移動中、車列がポル・ポト派らしき兵士にRPG対戦車グレネード砲で襲われたのだ。1台目は逃げたものの、2台目、3台目の日本文民警察隊の車は銃弾の雨を浴びる。車内で伏せるものの、弾丸が顔の肌をかすめ、何発かが髪を通過して髪の毛がバラバラと落ちる。頭から大量の血を流している者もいる。「また当たりました」「今度は、腹に来ました」「俺も当たったよ。悔しいが生きて帰れないぞ。覚悟してくれ」といった会話が車内で交わされる。頭部のほか、腹部に7発、背中を5発撃たれた者がいば、背中に5センチほどの穴が開き、内臓が見えるほどの重傷を負った者もいた。しかし、命は助かった。が、高田警部補はこの銃撃で命を落とした。銃弾に首の付け根から肺を貫通され、胸から足まで無数の弾丸に貫かれながらも2時間以上生き続けたが、絶命した。


 これが、カンボジアPKOの文民警察官の実態である。しかし、それでも日本政府は「停戦合意は崩れておらず、撤退はしない」と決断。大臣がカンボジアを訪れた際には、隊員たちは切実な思いをぶつけている。


 「日本の警察官は戦場のようなところで仕事をするための訓練は受けていない」
 「大臣。われわれがあと何人死んだら、日本政府は帰国させるのでしょうか」


 恐ろしいのは、この事件が20年以上にわたって忘れ去られていたことである。取材のきっかけは、事件の23年後に元隊長から記録の提供を受けたことだという。


 また、日本政府は、この文民警察官の派遣に対して、まともな検証など行っていない。スウェーデンでもオランダでも、カンボジアPKOに関する検証がなされているにもかかわらず、だ。


 さて、ここまで読んで、あなたは「建て前」と現場の落差について、どう思っただろうか。


 だからこそ、自衛隊が海外で駆け付け警護なんて言語道断、という意見もあれば、だからこそ改憲や法整備が必要、というような声もあるだろう。ここにひとつの証言がある。現地で当時、治安担当少将をしていた男性は、高田警部補が撃たれた理由を、彼と一緒にいたオランダ海兵隊が銃を持っており、応戦したためと見ているのだ。


 「ポル・ポト派は殺すために襲撃をしたのではなく、UNTACの人たちを車から降ろし、車を奪い、人質にしようとしたものと考えられます。しかし、オランダ海兵隊のボーイ氏が銃を持っており、応戦したため、ポル・ポト派も本格的に応戦したと思います。その結果、日本人の高田さんが撃たれたと私は考えています」


 高田警部補が殺された日、当時の宮澤首相は軽井沢でゴルフをやっていた。事件が伝えられると、「しかたないな」と発言して問題になったという。


本書には、派遣された隊員たちの「怒りの声」が多く収録されている。現実を知らない日本政府や国連関係者など、多くの権力を持った者たちにそれは向けられている。「命令する側にいる偉い人」たちは、決して過酷な現場へなど行かない。安全な場所から、無理難題を押し付けるだけだ。しかも発電機の一件が象徴するように、最低限の情報すらも持たないまま。そんな中、一人の命が奪われた。その責任を、誰一人としてとってはいない。


 イラク派遣の際の日報が存在したことを受けて、久々にテレビで当時の小泉首相の答弁を見た。


 「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域です」
 「どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域か 今 この私に聞かれたってわかるわけないじゃないですか」


 この程度の認識の人が、イラク派遣の責任者だった。カンボジアPKOで一人の命が奪われたことなど、何ひとつ教訓にすらしていない。


 この事件には、今だからこそ考えなければならないテーマが詰まっている。

告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実
告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実
講談社

本文の中で発言を取り上げられた、河野洋平氏、宮沢喜一氏、小泉純一郎氏、と比べても
もっと軽い、頭も悪い、最高に無責任で、イメージだけで行動する自分の友達以外には冷酷で陰湿な安倍晋三、こういう人間に改憲させ、全権委任の緊急事態条項で権力を集中させることの恐ろしさを、想像してみよう。市民の声はパワーアップしている。”まずは”何としても安倍内閣総辞職を成し遂げよう。


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