密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

大地から自由になる死

今年はNYへの移動がだいぶ遅く、初めてフロリダの春を堪能しました。”骨の木”と名ずけていた木が黄色やピンクの花を鮮やかに咲かせ、真っ赤な花をたくさんの樹木がつけて、とても美しかった。フロリダはすでに夏だったのに、NYは春始まり、花は終わっても山は萌黄色です。


21日に、昨年夏亡くなった友人のメモリアルセレモニーがBEACONの木造りの古い美しい図書館だった建物で行われた。自然体の人で多くの人に愛されたのだと改めて思った。英語と日本語を交互に混ぜたスピーチをした。みんなに配られたカードには、彼女の写真と、好きだった、詩『Do not stand at my grave and weep』(2001年、新井満氏が、アメリカ合衆国発祥とされるこの詩を日本語に訳し、自ら曲を付け、少しずつ話題となっていった。2003年11月6日には新井歌唱のCD(市販盤)と詩集が発売され評判になったという。ワタクシはちょうどアメリカに移動しているとしで全く知らなかった。)が書かれていた。


Do not stand at my grave and weep


Do not stand at my grave and weep, 
I am not there; I do not sleep.
I am a thousand winds that blow,
I am the diamond glints on snow,
I am the sun on ripened grain,
I am the gentle autumn rain.
When you awaken in the morning’s hush
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circling flight.
I am the soft starlight at night.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there; I did not die.


アメリカ人(戦争に赴く兵士か?)によって書かれたであろうこの詩は、キリスト教的ではなく、どちらかというと、八百万の神を持つ日本人の感覚にフィットする。
祖父が亡くなった時、彼の魂が、葬儀の行われた、神社の社から3つの鳥居を通って(社の第一鳥居から海際の第二の鳥居、そして遠浅の海の中に第三の鳥居がある)水平線区広がってゆく、そういう思いを持ったことを思い起こした。


友人は心が自由で行動的で働き者で、若くして結婚でアメリカに渡り3人の息子さんをそだであげた。家族にとって、強い愛の絆で結ばれた伴侶で、頼れる母で 愛される姑で、可愛い盛りの孫たちに慕われていた。ワタクシが出会って頃は、もう腎臓を悪くし、たくさんの手術を経て、透析に耐え、医療の人たちからは、Warrior(戦士、日本人だからサムライ?)と言われていた。どこぞのバカが透析患者は怠惰の結果、実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!などといった、というニュースを聞き、怒り心頭に発したが、そんな日本のニュースを彼女に伝えることはなかった。


虚飾なく、愚痴も言わず、屈託なく、大雑把で、勤勉で、親切だった。そういう人は滅多にいない。そうありたいと思っても、できない。 私のこのアメリカでの15年を支えてくれた友人である。困難の多かった体を離れ、千の風になって飛び回って。



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