密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

ついに美術業界性被害にメス

流し聞きしていたYouTub番組(あしたのカレッジ)で、猪口千香氏という若い著述家が、美術業界性被害に日を当てた本を出版されたことを知った。

ギャラリーストーカー-美術業界を蝕む女性差別と性被害 (単行本)
ギャラリーストーカー-美術業界を蝕む女性差別と性被害 (単行本)
中央公論新社


女性アーチストへのセクハラは、ワタクシが若く可愛い?アーチストであった頃から公然と
存在した。今なら犯罪と認識されるような行為も、まかり通っていた。
美術教育者、ギャラリー、コレクター、ビジター様々な立場で、若い女性アーチストへの度を超えた、接触、モラハラ、レイプまがいの行為まであり、若い男性アーチストとて、時にそうした扱いを免れない、しかしそれはなぜか、アンタッチャブルなのだろうな、と思ってきた。個人の問題として、せいぜい、ビールをぶっかけるとか、ぶん殴るとかが関の山で、その際にも、経済的計算が頭をよぎる。


雨あられと降り注ぐ不愉快をくぐり抜け、アーチストを続けてきた。アメリカに移った時、しばらく、過去のストレスで、叫んで目をさます、という時期があった。
アメリカは日本に比べれば天国だった。画廊ゴロ(昭和の時代はそう呼ばれていた)の変な説教に身構える必要もない。展覧会を訪れる人は、アーチストに尊敬の念を持ち、自分の人生が豊かになることを期待し、またそういう感銘を受けたことを伝えたくて、アーチストと話したがる。批評家も、その場で批評をぶつけたりはしない。批評はアーチストと論争し、けなしたりする目的ではない。取り上げるのは、彼らが選んだ、論ずるに値するアーチストだし、有名なアーチストに対するネガティブな批評は、価値観に対する挑戦を意味する。
60年代には、性的つながりで、プロモートするということもあったようだが、今は”お金”
に集中している。経済に直結


今は改善されたが、画料のバランスも、搾取と言っていいバランスだった。それは改善されたが、貸画廊制度は、多目的スペースと形を変え、性被害の温床になっていると、”ギャラリーストーカー”は述べているようだ。


この本を読んでいないし、本心よみたくない。YouTubでの猪口千香氏のお話を聞いただけで、20年かけて治った怒りと不快感がぶり返しそうだった。

武田砂鉄 × 猪谷千香 【アシタノカレッジ】


日本で女性に生まれたことで、本来不必要な苦痛が、男性の不見識によって与えられる。それは、今炎上している、LGBT差別、自民党が示す、同性婚への必要な抵抗、女性への支配は(子供、マイノリティーにも)当然だ、必要だ、という彼らの感情的思考が根を張っていることに起因する。


ただ、ワタクシが昭和という時代で育ったために染み付いた部分、男性優位社会を受け入れ、そこで生きていく術を模索してきたためだろうが、心配もしている。
この本が、美術業界に波風を立て、現在かなり弱っている、美術界にダメージを与えないかという思いだ。純然とアートを愛し、アーチストやコレクターを育てることに誇りを持っている画廊主はたくさんある。知性の豊富なコレクター、ムカつくことも多いが、仕事が尊敬できる先輩アーチストもいた。かなり扇情的なこの本の表紙は、面白半分の興味を掻き立て、彼女の指摘に当てはまらない美術関係の人々に、不快や萎縮、不当な追訴になりはしないか心配している。以下の広告文を見ても、間違った方向に行かないか心配だ。


美大卒業後、作家として自らを売り出したいと願い、一人ギャラリーに立つ若い女性作家につきまとうギャラリーストーカー。美術業界の特殊なマーケットゆえに、被害から免れることが極めて難しいという異様な実態がある。孤軍奮闘する若い女性作家につきまとうのは、コレクターだけではない。作家の将来を左右する著名なキュレーター、批評家、美術家など、業界内部の権力者によるハラスメント、性被害も後を絶たない。煌びやかな美術業界。その舞台裏には、ハラスメントの温床となる異常な構造と体質、伝統があった! 弁護士ドットコムニュース編集部が総力を挙げて取材した実態と対策のすべて。


もちろん閉塞し治外法権みたいになっていた美術界。セクハラが伝説になるような過去の美術家の物語。昨年のドラマで、”いりびと-異邦人-”という美しいドラマを見ていた。

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日本画の巨匠を演じた松重豊さんの演技が圧巻で素晴らしかった。若い才能への憧憬と嫉妬、執着、彼女の独立に狂気に陥る姿のリアリティーがすごかった。現代のドラマは、いたずらに性描写はしないのが、見ていて心地いいが、昭和なら、この老画家の恋愛感情、性的関係の強要のシーンに至っていたはずだ。晩年のピカソも、若い愛人の才能に嫉妬し、彼女に虐待を行なったと伝えられている。女性芸術家は恋愛がらみの伝説があり、また力のある男性作家と恋愛を通じて引き上げられた例が多くある(もちろん同性愛の場合もある)。
いりびと-異邦人はこうした美術界の因習に抵抗し飛び立つ女性たちの物語だ。


カミーユ・クローデルは師匠であるロダンの愛人であり、彼の内妻ローズとの関係に悩み、また作品をロダンの真似と正当に評価されず、統合失調症を患い精神病院で生涯を終えた。
写真家のロバート・メイプルソープは美術コレクターのサム・ワグスタッフに見出された。
二人に恋愛関係があったと言われている。ゲイコミュニティーの後押しを受け、トップ・フォトグラファーとなったと言われている。フリーダ・カーロは、当時メキシコのカリスマ的アーチストでメキシコ壁画運動の旗手ディエゴ・リベラに見出され、結婚、彼の女性遍歴に悩まされ、彼女の凄まじく痛々しい作品に影響を与えた。ジョージア・オキーフも、キャリアの初期は著名な写真家スティーグリッツに導かれた。結婚をして、やはり夫の浮気で離婚、しかし、70年の間、自然のラインを抽象化した作品をニューメキシコのアトリエで作り続けた。


芸術界には、恋愛と制作が切っても切れない物語が多く語られるため、男性側も、女性側も特別な物語を夢見てしまうこともある。これらは全時代の遺物で、まあ男性視点による伝説で、男性の影響力の美化である。しかし昭和の”女流”画家は、こうした物語を、セクハラ、という無味乾燥な言葉で切って捨てられることに寂しさを感じる。
こうした感情の淀みの沼をろ過していいのか?などと思うことは、LGBTが社会を変えるなどと思い込んでいる”保守”の人々と大差ないことはわかっている。彼らは自分のロマンによっているのだ。


恐れているのは、共産党の党内の軋轢を外部に持ち出された問題のように、周りが面白半分に手を突っ込んで、かき回すことだ。共産党の改革は共産党内でやればいい。松竹氏は本が売れたんだから除名もやむなし。今後彼の不服申し立てがどうなるか、外部は見守るだけだ。 美術界もまず美術に携わる人々の手で改革していってほしい。美術家協会などで(まだある?)コンプライアンス部門を設けるとか、各美術大学、美術協会でもそういう問題に気を配るとか。


とにかく、若いアーチストの不快や不必要な負担は取り除かなくてはならない。
日本美術界もそろそろ正されるべきだろう。


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