密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

”#検事長法改正案に抗議します”の抵抗に”興味ありません”て姑息じゃない?

最近は罵詈雑言より、上から目線の応援調みたいなディスりがはやり?
スポーツ選手や、歌手の人の意見表明に、わかってないんだろうけど、、とバカにし、
(余計なことに頭を使わず、わかんないことに首を突っ込まず)と頑張ってください。と応援? こういう人って、人間を一面でしか認識しない、してはいけないと思ってる?
しかも自分の認識が全てだ、決めるのは自分だ、というめちゃくちゃ単純で傲慢な人、である可能性がある(そうでない場合は、意図的計画的な情報操作のバイトさん信奉者さんとか、特別な才能のある人を目下にみて悦に入る実は僻み根性強い人とか、自分にやり返してこない有名人をやっつけて強い気になってしまう可哀想な人とか、匿名で自分が優位に立っていないと、不安でやってられない人、とかという可能性も考えられる。)


最近の、”#検事長法改正案に抗議します”に対抗して、”#検事長法改正案に興味ありません”というものが出されたのだが、”抗議します”、に反対するなら、”改正案賛成します” という立場を打ち出すのが一般的だ。抗議している人たちは、抗議している理由を挙げている。それを面白く思わないなら、その理由を挙げて、論争することはいいことだ。


ところが、興味ありません、と標榜することに、何の意味があるのか? 興味ないなら標榜する必要がない。自分は興味ありませんにとどまらず、興味を持つやつこが不愉快だ、なのだろう。しかも、興味ありません、なのだからその理由は上げる必要もない。だだ、無言の同調圧力に期待している。こういうのはずるい。


誰かが行なっていることは、その人が行なっていることで、その行為によって、自分の権利、あるいは公共の福祉が損なわれている、人権が侵害されている、のでなければ、とやかくいう筋合いではない。それを、興味ありません、と興味を持つなよ、、的な自己主張こそ、個人主義の確立で来ていない日本独特の自己主張。


興味を持つべき、という同調圧力にさらされた、というのなら、興味ありませんを標榜するのはわかるが、#つけて、対抗するってのは違うよね。抗議しますというのは自主的な立場を示す。抗議しろよ、と強制されるわけではないのだから、同調圧力にさらされたというわけでもないだろう。(しかも自粛中なんだから、いかに自主的な発信かわかる)


こういう違和感というか滑稽感について、誰か発言してるだろうかと、調べてみたら安田純平さんが書いていたので転載する。

安田純平氏「#検察庁法改正案に興味ありません」に「論理で対抗できないのですね」
ジャーナリストの安田純平氏が10日、ツイッターを更新。コロナ禍の中、政府が検察官の定年を65歳に引き上げる法改正を性急に進めていることへの批判投稿が続くツイッターで「#検察庁法改正案に抗議します」がトレンド入りしたことに対して「#検察庁法改正案に興味ありません」も同時にトレンド入りしたことに注目し、「もはや論理で対抗できない」「無関心を煽る」と苦言を呈した。


 安田氏は「#検察庁法改正案に抗議します に対してもはや論理で対抗できないのですね。政治に興味がないことは、わざわざ表明して自慢できるようなものではないんだが」と指摘。その上で「無関心を煽ることで国を変えようするとは。やはり民主主義を否定したい人たちがやっているのだな」と嘆いた。


 安倍内閣は1月末、政権に近いとされている黒川弘務・東京高検検事長(63)の定年延長を閣議決定。今月8日、内閣の判断で役職定年を延長できるようにする改正案の委員会審議が与党の強行で始まり、週明けにも採決される可能性が出ていることに、多くの著名人を含む批判がハッシュタグ「#検察庁法改正案に抗議します」と共に投稿された。


 その一方で「#検察庁法改正案に興味ありません」のハッシュタグも生まれ、「内容も理解せず騒いでる連中ばかり」「政治に何の興味もないのに雰囲気で参加する頭の悪い芸能人」などと改正案に反対する投稿者を批判する声が続いているが、それに対して「興味ない奴がわざわざ興味ないことを表明するかよ」といったカウンターの投稿も見られた。


興味がないなら、それで結構だが、抗議している人についてとやかくいう筋合いではないことは、理解していただきたい。


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