密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

とても論理的、今上天皇”お気持ち”

遅まきながらYouTubでお気持ちの録画ビデオを見た。
現人神から、人間天皇へ、生涯感情を封印された昭和天皇。唯一その心、思い、人間としての感情を知ることができたであろう、今上天皇は本当の意味で人間(らしい)天皇、平和の象徴、であり、開かれた皇室、自分たちの足で国民に歩み寄ることに努めた天皇であられたと思う。その結果、国民の皇室への親しみは増し、天皇皇后お二人の活動は自然な敬愛を生んだと思う。 国民とともに歩みたいという思いと、国民の安寧への願いは、お言葉に繰り返されていた。


天皇家の歴史は常に時の権力者に利用され続けた。その歴史も紐解いての、幼少の天皇、重い病気の天皇への摂政を置くことに苦言を表明したのは、現状の日本を鑑みても、大変な思慮配慮がにじむ。


天皇の崩御における、長い時期に及ぶ行事と、危機感のある国際情勢とのバランス、国民生活・社会の停滞を考慮され、終生天皇に在位することと崩御による、状況への負担の一つとしてあげられた点は、とても冷静、道理的とも言えるお考えだ。日本社会への配慮とともに、人間天皇らしく、残された家族の大きな心的、体力的負担にも言及された。これも、対等な立場をとって国民に訴え、理解を求める素直なお人柄の表れだ。


国民の84%が生前退位を、”させてあげたい” と思っている模様。
象徴として、ふさわしくあること、そして何がふさわしいか常に考え続けてこられたと、
伝統の継承者として、体力的、気力的にもはや厳しい、神事を行ったこられたこと。


高齢者のあり方や社会との関わり方を、高齢者社会を迎えている日本の、象徴として、自身でお考えを示されたこと。


象徴天皇としての責任感として、日本の未来に対しての思い、すべての国民への思い、一人の人間としての心情としても、とても納得のできる筋の通った、かつ多方面に配慮もされた、お気持ちの表明だったと思う。


こういう方が、日本の象徴で、良き日本人の美しい心を象徴してきたことは、日本人の誇りであると思う。どこぞの人たちの思い上がった、支配的見地からの押し付け”美しい日本”など足元にも及ばない。


一部で言われている、改憲阻止の一手であるかどうかはわからないが、今上天皇と、そのご家族が平和国憲法を遵守され、大切にされてきたことは疑う余地もない。


『日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。』特に、このように触れられた点も、今、沖縄で起こっていること、沖縄の人たちの悲しみを思われての言葉と受け止められた。


皇太子も、本当に、人格の良き方らしい(と学友であっ友人から聞いた)きっと、今上天皇の、謙虚さ、真摯さと優しさを継承した天皇になってくれると思う。


安倍周辺にゴチャゴチャ言わせないように、私たち国民が頑張らないといけない。


『象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)



 戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。



 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。



 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。



 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。



 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。



 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。


 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 
 国民の理解を得られることを、切に願っています。』


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