私たちは”買われた”展、自己責任?いや社会の責任
たまたま、鈴木大介氏の貧困女子を読んでいるところで、神楽坂で私たちは”買われた”展
という企画の記事を見た。
- 最貧困女子 (幻冬舎新書)
- 幻冬舎
- 本
日本人の性の搾取は、それを緩和する”ネーミング”によって一般化する。
JKビジネス 援助交際等、言葉が作られ、その本質の醜悪を隠し、免罪符となる。
現政権のやり方にも共通する、イメージ作り。買う方の犯罪意識を麻痺させ、遊ぶ感覚で
行う、いやより酷いことは、自分が貧しくて無知な若い女性を救済しているという感覚を持つ(貧困女子より)者もいるということだ。
私たちは”買われた”展;東京・神楽坂のギャラリーで21日まで開催
もちろん行くことはできないがyoutubで内容の把握が辛うじてできる。
寄せ書きなのか、拙さの残る文字で、怒りの言葉を書き添える、手の幼さが痛々しい。
若い、社会と接点を見つけられない女性たちの困窮に付け込んで商品化する。
その根底には未だに、女性をものとして扱う旧態然とした男性社会がある。
星の流れに 《私たちは「買われた」展 女子中高生のSOSを知って 》 ~ こんな女に誰がした ~ 齋藤杏花は登場しません
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