密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

共産党党首公選制で着目すべきは『派閥・分派をつくることを奨励する』と言う視点

志位さんが20年も党首をやっている。「国民の常識からかけ離れていると言わざるを得ない」と批判が起きて注目されている、共産党党首公選制問題。
これをぶち上げて記者会見した松竹氏は党内で議論をすることを飛び越えて、世論に訴えるやり方は、ジャーナリストの戦い方?


前々から思っていたことだが、”党名を変えろ”圧力?とおんなじ匂いがする。
日本社会が、少数派、独立した考えを持つ人間を、”折伏”する典型的な方法は、『みんなのために』とか『あなたが意地をはれば多くの人が迷惑する』とか言うものだ。これって、いやらしいやり方だし、言ってる方は正義は我にあり、とか 正しいことを言っている、とか、柔軟な考え方をしている、と言う自負心で、疑うこともなく”折伏”に努める。


ワタクシがアーチストになると両親に行った時、盛大に殴られ、最後は、家系の恥、妹の結婚ができなくなる、などと、”折伏”=恫喝が行われた。父は、家父長制どっぷりの地方の成功者だったので、これに抵抗し続けるのは大仕事だった。結果家父長制・封建制 全体主義などにアレルギー反応を持つことになった。こう言うのが日本の最低なところだ、と思って生きてきた。「みんなが言っている」と言うセリフもよく聞くし、ワタクシも以前は何気なく使っていたが、Dさんは、みんな=Everyoneとは、誰?そう言うことはあり得ない。と言われてなるほどと思った。これを英語で表現するときは、Popularで表す。
Popular・Typical(典型的な)・Majorityなどを使うが、これにデーターの数理があるわけではい。それでも”みんな”より筋が通る。


日本のドラマでも、みんなが言ってます。と断言する人や、私は何の役に立っているんだろう価値観で自問自答し悩む主人公がたくさん登場する。アメリカに来て、最も苦しんだのは、”What you want?”と言う問いかけだ。みんなが良いように、と常に考えてしまうから、まず自分がどうしたいから始まることが受け入れられなかった。NOと言えない、言わせない。そのために忖度したり、配慮したり、根回ししたり、が日本の交渉システムで、NOは最後の言葉、と言うイメージがあるが、交渉は”What you want?”から始まるので、日本政府の外交姿勢は欧米ではずれてゆく。そこを超訳でつじつま合わせしているのだ。ただ全部悪いとは思わない。交渉をスムーズに行い努力は硬軟取り混ぜて様々な方法があると思っている。


話を戻すと、日本は今、反共が盛り上がっている?共産党に投票したこともなく、彼らの政策に耳を傾けたこともなく、綱領もつまびらかに読んでもいず、100年の歴史的経緯も、また世界史的な共産主義の広がりと反共思想の経緯。アメリカの冷戦時代のCommunist Phobia、もちろん同調する日本のレッドパージも、そもそも共産主義とは何か?をつまびらかに知らない人たちほど、共産党嫌いを声高に叫ぶ。


竹内さんは、反米・反共 名前を変えろと言い募る人々と新党でも立ち上げればいいではないか。それでも、そう長くは持たないだろう。派閥・分派行動になっていくからだ。


もちろん、党員の要望があれば、党内で話し合い(多数決ではなく、話し合いでお互いの納得を模索し結論を導き出す努力をする、と言うのが民主主義で、多数決は最後の手段。話し合いを拒否し・あるいは話し合うふりをして時間を稼ぎ、多数決で全てを決まる方法を民主主義だと捻じ曲げられ、そのとうりと受け入れて久しい日本だ)新党首を決める、それは共産党の問題だ。「国民の常識からかけ離れていると言わざるを得ない」?共産主義に対する国民の常識(偏見は確立しているけれど)は形成されていない。そして共産党は党の憲法と言える綱領に照らし物事を進め、また反対者の立場、反論の場、綱領の改変などきちんとしたものを作り上げ、実行している。これは人治政治ではなく、法治政治だ。


共産党は正しい、共産党はよくやっている、でも志位さんの独裁だ、みんな同じことを言う。今後の課題は、もっとふわっとした民意を集めないと、、、意地を捨てて名前を変えよ。あなた方のためですよ。持ったえない、、みんなが望んでいる。こう言うのを聞くたびに、すごく気持ち悪い。


今回の問題は、共産党は、党内で話し合い、決定してゆくことがベストで、そうするだろう。外圧を頼りに党を動かそうと言う考えは、卑怯な要求だろうと思う。
あるいは、竹内氏のご本の出版に関わる話題作り?と言ういやらしい考えさへ持ってしまう。だって、こう言う等の根幹『安保条約堅持」と自衛隊合憲を党の「基本政策」にせよと迫る』姿勢も、だったらもっと長く議論されてしかるべきものを、今、いきなり公共に主張をぶつけると言うのも解さない。


独裁かどうかより、着目すべきは、『そうした方式(公選制)を実施するならば、理の必然として、各候補者が多数派を獲得するための活動を奨励する――派閥・分派をつくることを奨励することになっていくからです。』と言う見解で、ここにはなぜ日本の政治がここまで劣化したがの理由が語られている。自民党はその典型で、結局派閥・の力で全てが動いている。分派が発生し、衆参烏合を繰り返し空中弁解し続ける立憲民主党、維新もしかり、民主主義の皮を被って、権力ゲームが、共産党より民主的だと言うのか?


今考えなくてはいけないのは、ふわっとした民意に鼻ズラを引き回される立憲民主党や、いかにふわっ押した民意を作り上げるかに全力を注ぐ自民党のような政党を作り出したのは、
日本国民だと言うことだ。その日本国民のふわっとした民意を共産党まで追いかけまわしたなら、日本は本物のバカの国になる。こういうのを愚民政治というのではないか?本当に真剣にならなくてはいけない国の根幹が壊されようとしているときに、共産党に、真の民主主義を!!志位独裁はおかしい!!だの騒いでいる場合か?とおもう。


共産党が気に入らない理由は、全てに論理武装していた、負けを知らないから、論客はそこが欠点だと言うが、論客なら彼らの論理を突き崩したらいい。みんなのため、とか共産党のためとか、言ってる自体で恥ずかしい。


練習問題にこの論説を論破して見よう〜!!

赤旗編集局次長 藤田健


 元日本共産党本部職員で「現役日本共産党員」を名乗る松竹伸幸氏が、記者会見、最近出版した本、ネットTV、週刊誌などで「党首公選制」を主張しています。


自ら同意したはずの党規約に違反する行為


 まず指摘しておかなければならないのは、松竹氏の行動が党のルールに反していることです。党規約では、党員は、「中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめる」(第5条第6項)ことができるとしています。松竹氏も「党首公選制」を実施すべきだという意見があるなら、中央委員会に対しても幹部会や常任幹部会に対しても、そうした意見をのべる権利がありました。しかし、松竹氏が、そうした行動をとったことは、これまでただの一度もありません。異論があれば党内で意見をのべるということを一切しないまま、「公開されていない、透明でない」などと外からいきなり攻撃することは、「党の内部問題は、党内で解決する」(第5条第8項)という党の規約を踏み破るものです。


 「党首公選制」についていえば、日本共産党の規約が、党員の直接投票によって党首を選出するという方式をとっていないことには理由があります。そうした方式を実施するならば、理の必然として、各候補者が多数派を獲得するための活動を奨励する――派閥・分派をつくることを奨励することになっていくからです。


 日本共産党は、旧ソ連や中国の干渉によって党が分裂した「50年問題」という痛苦の体験を踏まえ、規約で、「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める」「決定されたことは、みんなでその実行にあたる」「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制を組織原則として明記(第3条)しており、「党首公選制」という主張は、規約のこの原則と相いれないものです。
これに関しては、党内にいてみないと雰囲気がわからない。意見が違うことに対する無言・有言の圧力の存在とか、それはわからない。ただし、公選制が政治の本質を離れ、単なる、愚かなポピュリズムの醸造の一因であることは(トランプ政権のその後の最悪の混乱のように)今の日本社会は考えてみる必要がある。
公選制=派閥・分派と言う図式以外の方法は、模索してみてもいいと思う。
 


そして党規約には、次のように明記しています。


 「党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」(第5条第5項)


 松竹氏の行動は、党の決定のなかでも綱領とならんで最も重い決定である党規約に反する意見を、党内で主張することもせず、勝手に発表したものであって、松竹氏自身も同意したはずの党規約に違反する行為です。


 松竹氏は「党規約に反することのないよう、慎重にやっています」などと言っていますが、それは党規約をまったく理解していないものと言わなければなりません。


「安保条約堅持」と自衛隊合憲を党の「基本政策」にせよと迫る


 それでは松竹氏は、何のために「党首公選制」なる主張をとなえているのか。


 松竹氏は、19日の記者会見で、2021年の総選挙で日本共産党が「安全保障問題、とりわけ自衛隊問題での野党間の違いを克服できなかった」などとして、それが野党共闘の失敗の原因であるかのようにいいます。そして、「『政権共闘の議論の対象になる』というぐらいのもの(政策)は提示する必要がある」として、安保・自衛隊政策を転換するよう主張しています。


 それでは提示すべき政策とはなにか。松竹氏は新たに出版した本のなかで、次のようにのべています。


 「共産党が現段階で基本政策として採用すべきだと私が考えるのは、結論から言えば、『核抑止抜きの専守防衛』である。日本は専守防衛に徹するべきだし、日米安保条約を堅持するけれども、アメリカの核抑止には頼らず、通常兵器による抑止に留める政策である」


 これは、日本共産党の綱領の根幹をなす、国民多数の合意で日米安保条約を廃棄するという立場を根本から投げ捨て、「日米安保条約の堅持」を党の「基本政策」に位置づけよという要求にほかなりません。


 松竹氏は、「専守防衛」を党の「基本政策」に位置づけることも主張しています。いま私たちは、「専守防衛」さえ覆す岸田内閣の大軍拡に反対する国民的多数派をつくるために奮闘しており、「自衛隊は合憲」と考えている多くの人々とも、「岸田内閣の大軍拡を許すな」という一点で広く協力していくことを願っています。しかし、そのことと、「専守防衛」を党の「基本政策」に位置づけることとは全く性格を異にした問題です。「専守防衛」とは、自衛隊合憲論を前提とした議論だからです。結局、松竹氏の主張は、自衛隊は違憲という党の綱領の立場を根本から投げ捨て、自衛隊合憲論を党の「基本政策」に位置づけよという要求にほかなりません。


「綱領の枠内」という言い訳は通用しない


 松竹氏は、自身のこうした主張を、「綱領の枠内」のものと言い訳をしていますが、驚くべき主張というほかありません。


 党綱領では、日米安保条約について、「日本を守る抑止力」どころか「日本をアメリカの戦争にまきこむ対米従属的な軍事同盟条約」(第4項)と規定し、「日米安保条約を、条約第十条の手続き(アメリカ政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ」(第13項)と、日米安保条約廃棄の旗を高々と掲げています。


 自衛隊については、「国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」(第13項)と明記していますが、ここには自衛隊が憲法違反であるという認識と、自衛隊解消によって憲法9条の完全実施に進むという目標がはっきりのべられています。


 党綱領のこれらの根本的命題を投げ捨て、「日米安保条約の堅持」と自衛隊合憲論を党の「基本政策」に位置づけよと主張しながら、自分の主張を「綱領の枠内のもの」と強弁する。いったい松竹氏は、長い間党に在籍しながら、綱領を真剣に学んだことがあるのでしょうか。


 日本共産党に対して、日米安保容認、自衛隊合憲の党への変質を迫る議論は、総選挙以来、自民党や一部メディアによって、執拗(しつよう)に繰り返されてきた攻撃です。松竹氏の行動は、“日本共産党という党の存在に期待している”といった装いをこらしながら、こうした攻撃に押し流され、迎合したものと言わざるをえません。こう言う人多いよね。


個人的に志位外務大臣を切望してきた、と言うのは、彼の話ぶりの穏やかさと妥協のなさ、論理性、よくいる自民右翼・おやじ政治家のような、反論のための反論・忖度・愛想笑い・悪感情によるブレなど、全くない知的で上品な態度は、海外で高く評価されるだろうし、日本人の良さを体現してくれると思うからだ。(まあ共産党と身構える、バカ共和党議員とかいるかも。)公人が、特に男性が、メディアや支持者に、不機嫌な対応や声を荒げるなどは、バカの証明。日本ではなぜか評価している向きもありから、救われない。そう言う奴らが戦前回帰したいんだろうな。


とにかく論理性を持たないと(+知性を感じるユーモア)、日本以外の国では全く通用しない。アメリカも、小学生から大統領まで、ディベートの国だ。論理に詰まると『理屈じゃないんだよ!!』対話を終わらせていいと思う親父が支配している国は衰退するし、世界に取り残される。


ともあれ、志位委員長でも、小池委員長でも、田村委員長でも、竹内委員長でも、共産党の人々が納得し、決めてゆくのなら、外からとやかく言えることではないと思う。
政権を取ったら、その時こそは色々、みんなのためにこれをすべき!!と堂々と言ったらいい。


共産党の人たちより、自分は真剣に社会や福祉のことを考えている!!とか、平和護憲に行動している!!とか言える人はどれだけいるのか?純粋な信念が鬱陶しいとか言う、ふわっとした不満くらいで、一人の人間が覚悟を持って行動していることを、簡単にクタしたり、攻撃するのは、恥ずかしい(議論はいい)。
委員長が誰になるにせよ、我々は、彼らの真剣さ、徹底的論理性を尊敬し、もっと学ぶべきだと思う。


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