密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

死について考えたこと:Memento Mori

とても大切な友人がこの世をさった。昨日知らせがきた。数少ない日本人の友人で、アメリカ生活の大先輩の、大きな存在だった。15年前に知り合ってから、何かにつけて頼りにしていたし、気さくで淡々として、虚飾とは遠藤い、まさにDown to Earthの人だった。
知り合った当初から、腎臓に問題を抱え、その影響で他のパートにも治療の副作用が頻発し、辛い治療や手術を繰り返していても、わがままは言わず、甘えず、働き者で、勉強家で、親切で、、、、喪失感がとても大きい。長いこと、病気と付き合い続け、何度も復活してきたので、今回も、きっと、、と信じきっていた。彼女のHusbandは、安らかで静かに、天使になった、といった。彼女の忍耐と努力、でも命を召される時が来たんだな、安らかだったななら、せめて。最後までしっかり寄り添ったHusbandのDさん(彼もDさん)の彼女のいない人生を送ることを、思い友人として何ができるか、を考えている。


世界中であまりにも多くの不条理な3人称の死を知らされ、悲しい思いや怒りを感じて過ごしているが、2人称の死は格別に辛い。戦果や弾圧、事件・事故や病気で命を落とす人たちにも、2人称の死を抱える人が周りにいる。1人称の死を迎える間際まで、3人称の死・2人称の死の喪失感の中で漂い続けるのだろう。


以前、日本アマゾンに注文していた本が届いた。昨年亡くなった山本文緒さんのなくなるまで続けた日記”無人島のふたり”。最初に手に取った彼女の著作は”プラナリア” 小田原に住んでいた頃で、まだ、Dさんともあっていない、アメリカに住むとも思ってもいに頃だったが、過剰な表現を廃し、悲しみも怒りも不安も、静かに深々と沁み渡る、正常な空気を発しながら語られる文章が好きで、アメリカに来たからも、Book Off や紀伊国屋で見つけては読んでいた。


無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―
無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―
新潮社
Digital Ebook Purchas

静かに自問自答する、死期を告知された彼女の思考の経路をとても知りたかった。
内容には触れないが、大変素晴らしい本でした。お勧めします。
こうしたことを書くことの是非、他の人に何を伝えられるのか?という彼女が自問自答した続けたことも、読む人の心に深く染み込んでゆく。浄化・受容・穏やかな救済を受け取れるだろうと感じた。

友人も、穏やかに逝ったと聞いたので、山本氏のように、ゆっくりと遠のいていったのだろうと思った。


やはり癌で逝ったカリオグラファーの友人の最後は、彼女がホスピスに入ることを決め、その前に数日間を、親族や友人、教え子やダンスカンパニーのメンバーが彼女の自宅をおとづれてお別れを言う機会が設けられた。長いチューブをつけていた彼女は一人一人をしっかり抱きしめた。絶対泣いてはいけないと思っていたが、心の弱いワタクシは耐えきれずに泣いてしまった。そして彼女はみんなに挨拶をして、抱きしめて、ホスピスに移る前日に自宅で息を引き取った。彼女の人となり、愛した人々、愛したダンス、それが凝縮された、もっとも心に残る美しいお別れだった。


友人ともそういう機会を持てたらよかったと、心から思う。次々とやってくる多様な症状に悩まされ、手術の跡や、人工透析で硬くなった血管や、枯れてしまったような皮膚、そうして痛々しい体とは裏腹に健全で前向きな心を持ち続けてきた、尊敬する友人だった。
細い肩を抱きしめたかった。


日本でも、コロナ死者が最大値を超えていると聞いた。日本は安全、観光客誘致をしているから、と日本行きを計画している友人から聞いた。どこまで本当なのか?日本政府のGOTOやっちゃえ体質を知らない他国の人は、日本政府が言うなら安全だろうと思ってしまうみたいだ。コロナ死が悲しいのも、この最後のお別れをできないことだ。本人にとっても、残された人たちにとっても。 ましてや、爆弾に攻撃されてなくなる、他人の暴力でなくなる、サヨナラも、思い出も、何もかも奪われてこの世を去る。
それは、とても残酷なことだ。


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