密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

自由民主主義を掲げて中国に対抗?どの口が言う。

この人の思考乖離はどうなっているのか?巷では、”息を吐くように嘘を吐く”と言われて久しい、安倍首相だが、またもや外遊先で、普通の神経では考えられない自己矛盾の大ボラを吐いた模様。

ケニアで開かれたアフリカ開発会議に出席した安倍首相が、3年間で総額3兆円の投資を表明した。いつもの“バラマキ”外交だが、目立ったのが安倍首相の中国への対抗心だ。


 アフリカ諸国への投資で、中国は金額や規模で圧倒的に先行している。そのため日本は「量」ではなく、「質」と「技術力」をことさら強調。さらに安倍首相は基調講演で、「自由で開かれたインド太平洋戦略」という方針を打ち出し、こう締めくくった。


「アジアで根付いた民主主義、法の支配、市場経済の下での成長が、アフリカ全土を包むことが私の願いだ」



「自由」「民主主義」「法の支配」は、中国との差別化で安倍首相が毎度持ち出すフレーズだ。しかし、違憲の解釈改憲で憲法を踏みにじり、国民から自由や権利を奪うような国家優先の改憲草案を作成した自民党の総裁が、よく言うよ、である。


「市場経済」にしたって怪しい。官製相場で株価を左右したり、賃上げや設備投資を官主導で指図したりと、今や日本は“統制経済”だ。


根付いた民主主義、法の支配を掘り返し、名目だけの市場経済の下での成長、実は破綻隠しの政策を行っている張本人が、どの口で言う。


 聖学院大教授(憲法・フランス法)の石川裕一郎氏もこう言う。


「中国包囲網の一環で安倍首相は以前も、『米や豪、インドなど自由主義の国々とともに』と言い、自由や民主主義といった『価値観共同体』を強調していました。しかし、米ニューヨーク・タイムズや仏ルモンドなどがたびたび書いている通り、欧米の知識人は、安倍首相が欧米と価値観を共にしているという主張に疑念を抱いています。自民党改憲草案のQ&Aには『我が国の伝統を踏まえたものにする必要があるため、天賦人権論は見直した』と書いてある。天賦人権論とは『人は生まれながらに人権を持っている』というもので、欧米の価値観の根底にあるものです。それを否定する政党のトップが、一方で欧米との『価値観共同体』を持ち出す。底の浅さを感じます」


発展途上のアフリカでは、中国以上の強権国家も少なくない。安倍首相の言う“価値観”が通用するのかどうか。欧米だけでなくアフリカにも相手にされず……、ってことになるんじゃないか。


今や、安倍氏首相の言うことが通じるのは、唯一、マスメディアを統制している国内のみ。親しいつもりのアメリカ・イギリス・フランス・お友達のつもりのロシアなどの本気に相手にされていないその理由が、安倍首相の一貫性のない認識、発言・できるだけ国民に頭を使わせず、スポーツ・芸能人スキャンダルに集中させておいて、こっそり進める方法を模索する、天賦人権説剥奪の憲法改正。この人のこんな演説を聞いたら、中国も噴飯ものだろう。こんな人に、民主主義だの、法治国家だの言われたくない。



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そろそろなんとかしないと、日本男性の、性欲至上主義(後編)

前回続き。リテラ記事より。
梅沢と同じような考えをもっている者は、きっと少なくない。たとえば、今年5月に起こった沖縄の米軍属による女性暴行殺人事件でも、橋下徹はTwitterでこんな暴言を投稿している。
〈米兵等の猛者に対して、バーベキューやビーチバレーでストレス発散などできるのか。建前ばかりの綺麗ごと。そこで風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!〉


橋下は以前にも普天間基地を視察した際に「もっと日本の風俗業を活用してほしい」と米軍指令官に提案し、指令官を凍り付かせた“前科”があるが、この橋下の考え方は、今回の梅沢の発想とまったく同じものだ。


男は世界中共通、常に”やりたい”ものだ。という無邪気な認識をとにかく家族主義第一のアメリカ軍にぶつければ、凍りつくのは当然。 妻や子供達、恋人に会うために、その日を夢見て、国にサービスしている多くの兵士たちは、バレーボールやバーベキューで、そして、電話やメールで自分をコントロールできる、というか、そんなにコントロールできない性衝動を持つということは、一種の障害と認識され、セラピーに通う。レイプというのは、通常の性欲の高まりで起こるのではない。全然別物。抑圧された状況下での憎しみの発露、自己ストレスの弱いものへの発散、差別意識に基づく支配欲求を満足させるための暴力である。この認識が日本以外の先進国の通念だろう。


こういう橋本氏の発想で、従軍慰安婦を用意してしまった日本軍。日本男性の発想は過去から何ら学ばずに、反省もせずに、今に至り社会の底辺を流れている。



なぜ、性暴力の抑止を女性が担わなくてはいけないのか。しかも、彼らはけっして自分の妻や娘に暴力の抑止係を担わせようとはしない。ここではっきりとわかることは、彼らは「守るべき女」と「暴力が向けられて構わない女」を分けて考えている、ということだ。
 イギリスの社会学者であるアンソニー・ギデンズは、歴史的に女が2つに分けてられてきたことを、このように説明している。
〈従来、女性はほとんどの場合、貞淑な女か尻軽な女かに分けられ、「尻軽女」は世間体を重んじる社会の周縁にのみ存在してきた〉
〈他方、男性の場合、身体の健康のために数多くの女性と性関係をもつ必要があると、昔から──しかも、男性だけでなく女性からも──考えられてきた。男性が結婚前に多彩な性的出会いをもつのは、一般に好ましいとされ、また、結婚後も実際には男性と女性とで異なる、性の二重の道徳規範が働いてきた〉(『親密性の変容』松尾精文、松川昭子訳/而立書房)



 今回の事件で、男性だけではなく女性からも少なからず「高畑は羽目を外しすぎた」などという甘い意見が見られるのは、“そういう生き物”という男の性に“寛容”な視線があるからだろう。同じように、社会学者でありフェミニストの上野千鶴子は、こう解説する。
〈性の二重基準とは、男向けの性道徳と女向けの性道徳とが違うことを言う。男は色好みであることに価値があるとされるが(吉行淳之介や永井荷風のように)、女は性的に無垢で無知であることがよしとされる。だが、近代の一夫一婦制がタテマエは「相互の貞節」をうたいながら、ホンネでは男のルール違反をはじめから組み込んでいたように(守れないルールなら最初から約束なんかしなければよい)、男のルール違反の相手をしてくれる女性がべつに必要となる。
 その結果、性の二重基準は、女性を二種類の集団に分割することになった。「聖女」と「娼婦」、「妻・母」と「売女」、「結婚相手」と「遊び相手」、「地女」と「遊女」……の、あの見慣れた二分法である〉(『女ぎらい─ニッポンのミソジニー』紀伊國屋書店)
こうして女は男に都合がいいように〈分割〉されてきたが、最近ではようやく「肉食系女子」のように性の主体となる動きが出てきた。それでも、その反動から処女性に重きを置いたり、性に奔放な女性を「ビッチ」と罵る男性が目立つようになり、やはり性暴力事件が起こると、梅沢や橋下のように、男が女を支配しやすいように用いられてきた〈分割〉の考え方が当たり前の顔をして幅を利かせるのだ。
 だが、このような多くの人が内面化してしまっている性道徳の二重規範や女性を分断する分け方は、女性の人権をまったく無視したものであるということを忘れてはいけない。しかも、女だけではなく男もまた「女の経験人数が多いほど男には価値がある」などというばかばかしい規範を押し付けられているのである。

 性暴力は“男の性”などではなく、どこからどう切り取ろうとも犯罪だ。それが、そうした認識もなくテレビによって平然と矮小化され、あろうことか女に責任が転嫁されていく……。昨年の世界の男女平等ランキングで日本は145カ国中101位というひどい結果だったが、それも当然だ、と思わざるを得ない。


『ビッチ』なんて言葉が流行っているのか、、、牝犬・あばずれ、の意味であるけれど、時に”悪い女”という性の上での奔放さを表す勲章的な使い方もされる。
悪意のある”ビッチ”は概ね負け雄犬の捨て台詞。映画などでは、レイプ犯も好んで使う、
つまり男性にとって、使うことで自分の劣勢を表す言葉、を即輸入?見下げ果てたものだ。 男性は常に、女性の優位に立ち、女性は男性に尽くすそういう価値観が、危うくなってきている、そう感じる焦りが、実のところの戦前回帰の原動力なのではないかとさえ思える。つまらないやつらだ。


個人生活において、女性を立て、認め、崇めることを男性のエスタブリッシュとする、アメリカ、しかし熾烈なビジネスでのガラス天井や、パワハラは存在する、議員数も十分ではない。それでも、初の女性大統領が誕生しそうである。そのライバルが、パワハラ、セクハラ、マッチョの権化、追い詰められた男性至上主義の低所得者白人の王様トランプなのだから、保守派のエスタブリッシュが次々とヒラリー支持を表明するのもうなづける。


ここにはアメリカ女性たちのたゆまぬ努力と、元来レディーファーストのヨーロッパ文化・母系社会のイタリア・ラテン系アフリカ系文化も土壌として形成されてきた。


封建的父権社会、女性能力蔑視、女性への穢れ意識、が土壌にある、日本ではより厳しい環境がある。しかし、草食男子(アメリカの若い男の子はこういう感じが多い、女の子がすごく積極的)など、いい傾向だと思ってもた。男は優しく、女は逞しく。暴力や大声で他人を支配するのは、最も下等なやり方。職場で怒鳴る上司なんて、社会人の資格なし。


ついでに、男性パワーを上手に使ってのし上がってきた(強かは買うが、政治家というのはいただけない)方に、”ガラス天井=日本はスチール天井だそうだが”を打ち出すのはいささか僭越 未だに、上手な男性扱い、乗り換えが出世のこつなのだから、ガラス天井ではなく、蜘蛛の糸天井。さらに、安倍政権の女性大臣は、後ろに男性庇護者がいるので、ものすごく胡散臭い。


旧態脳の男性男性を駆逐するにはまず、身近から。そして、決して現在叫ばれている戦前回帰=劣化版封建的父権制度(支配男性の責任はうやむや、権利だけを行使、女性に義務ををしつける)に戻してはならない。


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そろそろなんとかしないと、日本男性の、性欲至上主義(前編)

甘やかされた芸能人に、ひどいことをされた被害女性は、この大騒ぎもひどいことだが、
この問題が、表面的にはなぜつけられてきたが、その根底ではなんら変わることのない、日本社会の女性蔑視と、男性の性欲絶対主義(W)関する問題を浮き彫りにしていることも否めない。


昨日は、レイプ被害者に対する、非常に軽い認識と、年齢への侮蔑について書いたが、今度は、日本社会に蔓延る、男性の女性総私物化感覚である。



日本の芸能界に疎いのだが、
TOKYO MXで放送中の夜のワイドショー『バラいろダンディ』
21日放送の『行列のできる法律相談所』(日本テレビ)で高畑容疑者からアプローチを受け、拒否したばかりだったグラビアアイドルの橋本マナミが出演しており、番組は“被害者女性は橋本マナミ似”と報じた東京スポーツを紹介し、番組レギュラーの梅沢富美男が彼女に事件の感想を求めた。
 この東スポの報道じたいひどいもので、話題を振られた橋本も、「ちょうどこの事件が起こる前日に『行列のできる法律相談所』で(アプローチを)断っていた、その矢先のことだったから……。あまりにも私もびっくりしちゃって」と困惑。すると、ここで梅沢が橋本に対し、こんなことを言い出したのだ。
「でも俺、これが出たときに、おまえがいちばん悪いのかなと思ったよ」
 咄嗟に橋本は「え? わたしが悪いんですか?」と驚いたが、梅沢は怯むことなく「蛭子(能収)にやらせるくらいだったら、高畑にやらせてもよかったんじゃないの?」とつづけて発言したのだ。
「おまえがいちばん悪い」「高畑にやらせてもよかったんじゃないの?」


まず、基本として、この梅沢氏、橋本嬢をなぜお前呼ばわり? よほど近しい間柄なのかどうか知らないが、この時点で、若い女性の公共物化。親しみの表現だよ!!なんて言って正当化する男性が山ほどいるが、”あんたにお前呼ばわりされる言われはないんだよ!!!”と心の中でムカついいる女性はかなり多いのでは?
毎日;C課長の“言動と接触”を拒めなかった営業女子の悩み
http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160812/biz/00m/010/040000c?fm=mnm
男性が思っているほど、女性は男性の”親しみの表現”を評価していない。
お前呼ばわり、教えてやる口調、体へに接触、見た目についてのコメント(褒めてる?褒めるなら、髪型、服。綺麗になったね、痩せたね、は Not Your Business !!なんですよ)


そして、論外、”やらせる”発言。セックスに関して平気でこういうアプローチをする、もう目も当てられない男性がなんと多いことか!! 本来現代における、人間の性行為は両性の合意で行われる楽しみ、もっと深まれば、深い愛情の表現。これを「何子供っぽい綺麗事言ってんだよ、男ってそんなもんじゃないよ。」的なセリフも日本にいた頃なんども聞いてきたが、そんなこと大威張りで言ってるのは、先進国の中では、日本ぐらいなものだ。


女性差別主義者のトランプでさへ性関係に関しては、言葉を選ぶ。”やらせろ”なんて、即物的な表現は"FUCK YOU"罵り言葉である。パワハラ・セクハラな奴もいるが、”やらせろ”なんて、低脳なことは言わない。威圧的丁寧な言葉で要求する、権力を持つとどうもそうなる人が多い。最近FOXTVの創始者が、複数の女性部下にセクハラ/昇給と引き換えにセックスを要求、が表沙汰になり、自分の創設した会社をクビになった。どれほど権力があろうと、告発を受ければ、うやむやにはならない罰を受ける。


どうしてそんな話になるのかさっぱりわからないが、梅沢の発言が「橋本がやらせておけば事件は起きなかった」という意味だったことは明々白々だ。
 しかし、このあまりにグロテスクな橋本に対する暴言に場は凍り付くかと思いきや、橋本が「蛭子さんにヤラせてないです!」と梅沢に返すと、スタジオはスタッフと共演者たちの笑いに包まれたのだった。……思わず戦慄が走る光景だが、これは昨晩、現実にテレビで起こったことだ。

前の記事にも書いたが、日本ではこうした、ひどい発言に、反論する、不快を表すと、『子供っぽい』『ヒステリー』『世の中わかっていない』などの批判にさらされるので、
上手に受け流す術を身につけないといけなくなる。それは、この橋本嬢の対応だ。
こんなにも、女性が不当な譲歩しなくてはいけないことが当然の社会がずっと続いているのだ。だが、それは女性の側も、改善を求め、態度を改めて行く必要がある。


アメリカの女性に学ぶところは大きい。彼女らは公共では非常に大人の態度に徹し、男性の失礼な態度の対しては、その場で是正を求める。決して声を荒げず、感情的にならず(プライベートではかなり感情むき出しにすることもあるが)冷静に相手に与えられた不快感を伝え、訂正・是正を求める。特に性的な表現は、自分にその気がなければ、早期にきっぱり対処する。もちろん男性も、即、失礼しました、と謝るし、そうすれば、笑顔で、Thank you.という(それに対して怒ったりする奴は、周囲からも社会不適格者とみられる)。


顔を潰したら悪い、恥をかかせたらいけない、悪気がないのかもしれないし、そこまで言ってはかわいそうなど、日本の女性は優しすぎる。相手の悪気の有無ではない、自分の気持ちが大事なのだ。それは決して身勝手ではない。男性の中にも当然の逆襲なのに、感情的に切れる馬鹿者が多いし、タチの悪い奴は根に持って嫌がらせもする、こういうことは、法整備の問題だ。


残念ながら、大方の日本女性は男性に下手にでる根性が染み付いてしまっている。そして重ねて残念ながら、日本の社会では、女性にも女性下位意識が美徳として染み付いているから、毅然とした態度でいることは難しいだろうが、穏やかに、笑顔できっぱり、ユーモアを忘れずに(冗談でごまかすは、相手にされているとおバカな男性を勘違いさせ増長させるのでNG)を少しづつ続けていかなくては、現状は変えられない。


<後編に続く>





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