密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

そろそろなんとかしないと、日本男性の、性欲至上主義(後編)

前回続き。リテラ記事より。
梅沢と同じような考えをもっている者は、きっと少なくない。たとえば、今年5月に起こった沖縄の米軍属による女性暴行殺人事件でも、橋下徹はTwitterでこんな暴言を投稿している。
〈米兵等の猛者に対して、バーベキューやビーチバレーでストレス発散などできるのか。建前ばかりの綺麗ごと。そこで風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!〉


橋下は以前にも普天間基地を視察した際に「もっと日本の風俗業を活用してほしい」と米軍指令官に提案し、指令官を凍り付かせた“前科”があるが、この橋下の考え方は、今回の梅沢の発想とまったく同じものだ。


男は世界中共通、常に”やりたい”ものだ。という無邪気な認識をとにかく家族主義第一のアメリカ軍にぶつければ、凍りつくのは当然。 妻や子供達、恋人に会うために、その日を夢見て、国にサービスしている多くの兵士たちは、バレーボールやバーベキューで、そして、電話やメールで自分をコントロールできる、というか、そんなにコントロールできない性衝動を持つということは、一種の障害と認識され、セラピーに通う。レイプというのは、通常の性欲の高まりで起こるのではない。全然別物。抑圧された状況下での憎しみの発露、自己ストレスの弱いものへの発散、差別意識に基づく支配欲求を満足させるための暴力である。この認識が日本以外の先進国の通念だろう。


こういう橋本氏の発想で、従軍慰安婦を用意してしまった日本軍。日本男性の発想は過去から何ら学ばずに、反省もせずに、今に至り社会の底辺を流れている。



なぜ、性暴力の抑止を女性が担わなくてはいけないのか。しかも、彼らはけっして自分の妻や娘に暴力の抑止係を担わせようとはしない。ここではっきりとわかることは、彼らは「守るべき女」と「暴力が向けられて構わない女」を分けて考えている、ということだ。
 イギリスの社会学者であるアンソニー・ギデンズは、歴史的に女が2つに分けてられてきたことを、このように説明している。
〈従来、女性はほとんどの場合、貞淑な女か尻軽な女かに分けられ、「尻軽女」は世間体を重んじる社会の周縁にのみ存在してきた〉
〈他方、男性の場合、身体の健康のために数多くの女性と性関係をもつ必要があると、昔から──しかも、男性だけでなく女性からも──考えられてきた。男性が結婚前に多彩な性的出会いをもつのは、一般に好ましいとされ、また、結婚後も実際には男性と女性とで異なる、性の二重の道徳規範が働いてきた〉(『親密性の変容』松尾精文、松川昭子訳/而立書房)



 今回の事件で、男性だけではなく女性からも少なからず「高畑は羽目を外しすぎた」などという甘い意見が見られるのは、“そういう生き物”という男の性に“寛容”な視線があるからだろう。同じように、社会学者でありフェミニストの上野千鶴子は、こう解説する。
〈性の二重基準とは、男向けの性道徳と女向けの性道徳とが違うことを言う。男は色好みであることに価値があるとされるが(吉行淳之介や永井荷風のように)、女は性的に無垢で無知であることがよしとされる。だが、近代の一夫一婦制がタテマエは「相互の貞節」をうたいながら、ホンネでは男のルール違反をはじめから組み込んでいたように(守れないルールなら最初から約束なんかしなければよい)、男のルール違反の相手をしてくれる女性がべつに必要となる。
 その結果、性の二重基準は、女性を二種類の集団に分割することになった。「聖女」と「娼婦」、「妻・母」と「売女」、「結婚相手」と「遊び相手」、「地女」と「遊女」……の、あの見慣れた二分法である〉(『女ぎらい─ニッポンのミソジニー』紀伊國屋書店)
こうして女は男に都合がいいように〈分割〉されてきたが、最近ではようやく「肉食系女子」のように性の主体となる動きが出てきた。それでも、その反動から処女性に重きを置いたり、性に奔放な女性を「ビッチ」と罵る男性が目立つようになり、やはり性暴力事件が起こると、梅沢や橋下のように、男が女を支配しやすいように用いられてきた〈分割〉の考え方が当たり前の顔をして幅を利かせるのだ。
 だが、このような多くの人が内面化してしまっている性道徳の二重規範や女性を分断する分け方は、女性の人権をまったく無視したものであるということを忘れてはいけない。しかも、女だけではなく男もまた「女の経験人数が多いほど男には価値がある」などというばかばかしい規範を押し付けられているのである。

 性暴力は“男の性”などではなく、どこからどう切り取ろうとも犯罪だ。それが、そうした認識もなくテレビによって平然と矮小化され、あろうことか女に責任が転嫁されていく……。昨年の世界の男女平等ランキングで日本は145カ国中101位というひどい結果だったが、それも当然だ、と思わざるを得ない。


『ビッチ』なんて言葉が流行っているのか、、、牝犬・あばずれ、の意味であるけれど、時に”悪い女”という性の上での奔放さを表す勲章的な使い方もされる。
悪意のある”ビッチ”は概ね負け雄犬の捨て台詞。映画などでは、レイプ犯も好んで使う、
つまり男性にとって、使うことで自分の劣勢を表す言葉、を即輸入?見下げ果てたものだ。 男性は常に、女性の優位に立ち、女性は男性に尽くすそういう価値観が、危うくなってきている、そう感じる焦りが、実のところの戦前回帰の原動力なのではないかとさえ思える。つまらないやつらだ。


個人生活において、女性を立て、認め、崇めることを男性のエスタブリッシュとする、アメリカ、しかし熾烈なビジネスでのガラス天井や、パワハラは存在する、議員数も十分ではない。それでも、初の女性大統領が誕生しそうである。そのライバルが、パワハラ、セクハラ、マッチョの権化、追い詰められた男性至上主義の低所得者白人の王様トランプなのだから、保守派のエスタブリッシュが次々とヒラリー支持を表明するのもうなづける。


ここにはアメリカ女性たちのたゆまぬ努力と、元来レディーファーストのヨーロッパ文化・母系社会のイタリア・ラテン系アフリカ系文化も土壌として形成されてきた。


封建的父権社会、女性能力蔑視、女性への穢れ意識、が土壌にある、日本ではより厳しい環境がある。しかし、草食男子(アメリカの若い男の子はこういう感じが多い、女の子がすごく積極的)など、いい傾向だと思ってもた。男は優しく、女は逞しく。暴力や大声で他人を支配するのは、最も下等なやり方。職場で怒鳴る上司なんて、社会人の資格なし。


ついでに、男性パワーを上手に使ってのし上がってきた(強かは買うが、政治家というのはいただけない)方に、”ガラス天井=日本はスチール天井だそうだが”を打ち出すのはいささか僭越 未だに、上手な男性扱い、乗り換えが出世のこつなのだから、ガラス天井ではなく、蜘蛛の糸天井。さらに、安倍政権の女性大臣は、後ろに男性庇護者がいるので、ものすごく胡散臭い。


旧態脳の男性男性を駆逐するにはまず、身近から。そして、決して現在叫ばれている戦前回帰=劣化版封建的父権制度(支配男性の責任はうやむや、権利だけを行使、女性に義務ををしつける)に戻してはならない。


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