密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

進次郎流自分の見せ方

丸山穂高議員に対する糾弾決議が与野党合意で提出された。当初戦争発言だけでは動かなかった与党も、品性と倫理観に問題のある発言と国民の怒りを受けて決議に賛成。
だが、ここで果敢に自分を貫く”我らが小泉進次郎”が立ち上がり”違和感”を覚え棄権した。

自民党の小泉進次郎衆院議員は6日、衆院本会議で全会一致で可決された丸山穂高衆院議員に対する「糾弾決議」の採決時に退席した。「みんなで糾弾するということに自分の中では腑(ふ)に落ちなかった」と記者団に述べ、国会の対応を批判した。


 小泉氏は「丸山さんの言動はかばえるものは何もない。でも、議員の出処進退は議員一人ひとりが判断すべきことで、辞めなかったとき、その方をどうするかを判断するのは選挙だ。それが有権者に与えられた民主主義という力だ」と指摘。「決議理由には『人間としての品位を疑わせる』とまで書いている。個人の批判は自由で、政治家は甘んじて受けなければならない立場。だけど国会として(批判する)というのは、私は次元が違う話だと思っている」と述べた。
確かに、議会の権限で、議員を辞職させる前例ができれば、どこかの国の政府のように
恣意的な運用が大好きな人たちに悪用される危険もある。”違和感”なんて中途半端なニュアンス言葉を使わず、警鐘を鳴らすなら、危機感とはっきり言えばいい。”違和感”という表現が進次郎流。


それに、選挙で選ばれたと言っても、国民が支持したとは限らない、比例の候補は党の力が優先する。そういうなら、問題を起こした議員は、即国民に信を問うために、選出の選曲で、信任不信任投票を行い、不信任なら免職、勝てる気がしないなら辞職、そういうことの方がより民主的だ。国民に選ばれたということを盾に取り、強引に居座る(しかも有給療養2ヶ月)議員はいなくなる。


 衆院はこの日、北方領土返還に関し「戦争」に言及した丸山氏に対し、「院として国会議員としての資格はないと断ぜざるを得ない」などとして、事実上の議員辞職を促す「糾弾決議」を全会一致で可決した。事前に全会一致を申し合わせる「異議なし採決」のため、各議員の賛否はわからない。丸山氏は国会に提出した弁明書で議員辞職を否定している。決議に法的拘束力はない。(永田大)


進次郎氏は、小さな舞台が好きだ。そこで颯爽と登場する。決して大舞台のヒーローには踊りでない。客寄せパンダ+小さなヒーロー


「みんなで糾弾するということに自分の中では腑(ふ)に落ちなかった のなら、数の力で議論を無視して押し等す御党の体質には違和感を感じないのか?


野党からの委員会開会の再三の要求に、委員長が応じず、衆院では、3月1日の開会を最後に、98日間も開会されていないことに違和感を覚えないのか?


安倍一強に反旗を翻した総裁選の石破氏に、最後の最後まで支持を表明せず(していれば、情勢が少しは変わったという声も聞く)、事が終わってから、支持していたなどとコメントする、これも姑息と言わずしてなんという。


いかにも果敢なイメージを、ダメージを受けないところで衆目にアピールする。
イエスマンではない、デキる男演出でも、上司の機嫌を損ねないツボを心得ている。
進次郎流処世術、ゆとりの姪っ子世代風に言えば、”マジ、小ちゃくね?”


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旧民主小競り合い 安倍の不始末は自民にさせろ、野党共闘に求められているのは山本太郎的な何か

またしても、旧民主小競り合い?まさに”不協和音”

立憲民主党と国民民主党は4日、夏の参院選で主戦場となる改選数1の1人区の対応をめぐり、いずれかの党の公認を得て出馬する野党統一候補は、もう一方の党に「推薦」を求めないことで合意した。推薦より緩やかな「支持」を要請し合うにとどめる。相互推薦を見送る背景には旧民進党分裂以来の確執があり、候補一本化の効果が限定的になることも予想される。
 共産、社民を含む4野党は4日までに、32ある1人区のうち鹿児島を除く31選挙区で一本化に合意した。所属の内訳は立憲公認7人、国民公認5人、共産公認3人、無所属15人、未定1人。
 これを踏まえ、立憲の福山哲郎、国民の平野博文両幹事長が4日、両党の協力の在り方を協議。(1)立憲、国民いずれかの公認候補は、もう一方の党本部による支持を要請できる(2)どちらの党籍も持たない無所属候補に限り、両党の推薦を要請できる-との原則を確認した。
 推薦対象を無所属に限定したのは、原発などの政策や国会運営で対立を繰り返してきた立憲、国民両党の間に根強い不信があるためだ。立憲幹部は「公認候補が当選すればその党の公約の実現に頑張る。そういう人に他党が推薦を出すのは筋が違う」と語った。
 相互推薦見送りについて、野党系無所属のベテラン議員は「本当にばかだ。戦う前から負けている」と嘆いた。


いずれかの党の公認を得て出馬する野党統一候補は、もう一方の党に「推薦」を求めないことで合意した。推薦より緩やかな「支持」を要請し合うにとどめる。
これって、共産党に対しても、と言うことだよね。支持はすれども推薦まではしない。
孤高を崩さぬ立憲民主党?


もう無理やり、仲良しごっこしても、本音は透けて見え、国民はげんなりし、目的のためなら手段を選ばぬ全体主義の自民党の方が国民のために頼りになると(ただし手段を選ばないのは彼らの利益と理想のためで国民のためではないことが、いまいちまだ伝わっていない?)


だいたい、もし旧民主でまた政権を取っても、選挙の共闘でこんな調子では、行政も内輪揉め、決められない政治の再来になるのではないかと、思うのは、仕方ない。


心配なのは、旧民主系に配慮して、本来の消費税廃止を表に打ち出せない共産党が、巻き込まれて議席を減らしてしまうことだ。


選挙巧者の安倍一派がW戦に打って出て、しかも手段も選ばず恥も外聞もなく、電通的民心誘導を駆使して、令和・新天皇・オリンピック・仲良し地球俯瞰外交を追い風(なんで追い風になるのかわからないが、そう言う風が吹く不思議の国Japan)消費税延期を打ち出せば、同じ延期を打ち出し、小競り合いばかりが注目される野党共闘は又しても惨敗する。


こう言うとなんなんだが、そもそも小沢一郎氏が国民と合流あたりで、力ずくで旧民心を一つにまとめようとしたのが、返って、不協和音を醸し出すことになったのではないかと思う。


枝野たて!!そう言うハッシュタグがたった、前選挙の立憲民主党はある種国民に希望の旗をたなびかせた闘士をイメージさせた。山本太郎氏が、自由党を飛び出し、れいわ新選組を旗揚げ、最初は不安視していた周りを、熱い全国行脚と、専門家も賞賛する経済政策・真摯で正直な社会保障政策、現実的な消費税、まずは5%を打ち出し、現在1億5千万超えの寄付を集め、第一の推薦候補に蓮池透氏の擁立を発表したあたりから、本格的な風が吹き始めている。


枝野氏のように、かつての与党経験者と言うバックグラウンドを背負っているわけではなく、蓮池氏の言葉を借りれば、インディーズ であるが、国民が求めているのは、変化を起こす強いリーダー、ヒーローなのだ。


かつて枝野氏はヒーローだった。だから、高みからではない聴衆と同じ高さに立った演説に人々は熱狂した。その立憲民主党は、今、ただの政党になった。枝野氏の理念に忠実、頑固なところは、小沢氏の豪腕なまとめ方より、個人的には好感が持てる。
だって、安倍を倒すという目的のためとはいえ、目的のために、自分の理念を曲げ、妥協をして、なんて、とても自民党的だし、そんなことをしても、人々の心は動かせない。


人々は、妥協と諦めのおまかせ政治を支持しつつ、変革のヒーローを求めている。
玉木デニー知事は沖縄の人々の悔しさと苦渋の上にたった優しきヒーローだ。
小沢氏も個人を無理やり説き伏せないで、枝野氏も、玉木氏も、相手の邪魔をせず、合理的に対立候補を立てないで、あとは自分の信じる理想の未来を相手に遠慮せず語る選挙にしてゆくほうがいいように思う。


みんなで山本太郎化してゆく。共産党も、野党第一党に遠慮して、目的のために忍耐を持って続けている大人の態度を、かなぐり捨てていいのではないか?共産党が候補を降ろしてくれれば当選できる的な安易な傲慢な視点をまだ感じる時がある。そういうものを感じれば共産党支持者は投票に行く気持ちを萎えさせるだろう。 応援したい人が党派を超えて応援演説に駆けつける。選挙中は5野党は候補者調整をし、誰の応援についても党議拘束なし。共有する未来を語る、そういう姿を国民は望んでいる。


政権を取る取らないは結果論で、自民党の議席を減らすには、一人一人が山本太郎化して、自分に国民の希望を集めることだ。


あまりに野党は一つに!!が時間をかけすぎ、此の期に及んでも、一つになれず、その諍いだけがメディアでクローズアップされるのでは、野党共闘は失速してゆく。


全体数でどうのという戦略もあるだろうが、共通政策に縛られ、自分の本音も思うことも言えないような選挙演説では、人々の心は掴めない。


だいたい政権交代と、安倍政権を終わらせることは同じではない。政権交代を目指して、無理やり統一政策〜それはいいとして、一致しない政策は訴えられなくなるのでは、エネルギーさ削がれる。安倍政権の悪政と腐敗の尻拭いは、まずは同じ自民党にやってもらう、そうして、、まともな政策論争とまともな国会運営ができるようになったところで、政権交代を目指すならそれもよしだ。めちゃくちゃにされた日本を、当面超党派でまともに戻す。ついでに諸悪の根源を権力の座から追い落とし自分たちがごまかし続けてきた悪事を追求し、きっちり責任を取らせる。自民の中の心ある議員が中心でそれを行い野党も応援する。手緩ければ厳しく追及する。それには、自民党の、大きく議席を減らさせることで動き出すだろう。政権交代目指しすぎて無理やりくっつければ、政権をとって空中分解、安倍たちの不始末の結果を全部被って、期待した国民の怒りを買い、また小狡い安倍的な人間の台頭を許す。


とにかく、共産党は消費税廃止を訴えるべきだ。令和新選組とも相互推薦したほうがいい。なんだか野党共闘も全体主義化している。候補者調整は賛成であるけれど、別に相互推薦にこだわらなくても、一人一人自分の考えを言ったらいい。
全体主義に対抗するのは、個人が生き生きと自由に、まとまらないようでいて、未来を共有できる、そういうエネルギーのある塊だ。


野党の諸君、もっと生き生きしてくれ!!今、野党共闘に必要なのは嘘くさい妥協を払拭する山本太郎的率直さと、個々の声を大きくする自由さなのだと思う。それこそ多様性の社会、誰もが自分の足で立っている、自分の声を、居場所を全体のために目的のために奪われない、そういう社会の象徴なのではないかと思う。


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無差別攻撃は自殺とは異なる。社会に対する抑えきれない怒りの発露。

川崎事件の後、この犯人が自殺をしたことで、『自殺したいなら一人で死ね』という人々と、そうしたことをネットで流布することにより潜在的な犯行を誘発するのでいうべきではない(社会の問題と受け止め、突き放すことは避ける)という意見が分かれている。


アメリカでは、銃社会であるがゆえに、無差別銃撃(実際無差別ではなく、理不尽でも理由がある)の犯人は概ね、自殺、あるいは間接的自殺(警官に撃ち殺してもらう)をする。アメリカの刑務所に入ることは、多くの人が、多分死ぬより恐ろしいと考えている(刑務所の種類にもよるだろうが)


ワタクシも当初は、他の人々を巻き添えに自殺!?どうして自分一人で自殺できないんだと言う生き抜くことより死に解決を見出しがちな日本人感覚の憤りを感じ、今回、一人で死ねと怒る人達と同じ感情を持った。ところが、アメリカでの認識は、彼らは、自殺したいのではなく、死んでもいいから怒りを爆発させたい衝動に駆られて犯行に及ぶ、というのが一般的の見方であると知った。


これは、日本人(東洋)の死生観と欧米の死生観の違いも関わってくるように思う。


数年前、ニュージャージーで、韓国人の男性が、同胞の取引相手を撃ち殺して逃亡。
ハドソン渓谷まで逃げてきて、うちの近所の9D道路が警戒態勢になった。ちょうどそこを通っていて何事か?と事情を聞いて、Dさんとワタクシは全く違う反応をした。
Dさんは山に入って逃げ伸びる、最悪住民の家に立てこもる、あるいはもうダメだともなれば学校などに侵入し無差別に人を殺す可能性も考え、ワタクシは、彼は今頃、後悔して死に場所を求めてさまよっているのだ、と考えた。


翌日ハドソン川に彼の遺体が浮かんだ。この男性がアジア系であったこと、彼は彼の妹に電話で、大変なことをしてしまった、といったことなどで、日本人のワタクシはういう結論になることを疑わなかったのだが(Dさんは電話もトリックかもと言っていた)、彼がアジア系でなければ、Dさんの予測の方が正しかったかもしれない。とはいえ、2007年、バージニア工科大学で、アジア系の学生(永住権保有の在米東洋系)が学内で死者33人(本人を含む)史上3番目の銃撃事件を起こしたこともあるから、民族での判断も、絶対とはいえない。この学生は学生を教室に閉じ込めて銃撃、周囲への相当の怒り、恨みをを募らせて犯行に及んだことがうかがえる。彼は、情緒障がいの疑いを持たれていて、大学から強制的にカウンセリングを受けさせられていた。


最近では『involuntarily celibate 不本意な禁欲者』による女性への無差別殺人などがおこってきて注目されている。つまり女性に相手にされないために、怒りを募らせ、女性たちを殺そうとする傾向の無差別殺人が増えているという。


こうした男性の女性への怒りと暴力は、インドなどの女性の顔に酸をかける暴行、死に至らしめるほどの集団レイプなども同根で、戦時下でなくとも、どこでも起こりうるだろう。そういえば、映画エバンゲリオンの中で、女性たちからの、「気持ち悪い」という声で埋め尽くされるシーンがあった。これなど、involuntarily celibateの心象風景そのものを代弁しているように思えた。日本でも起こり得る(ストーカー被害などもそうだ)


人から無視されることが続き、承認欲求が強ければ強いだけ、承認してくれない相手や社会に怒りを爆発させる傾向は、今後日本でももっと増えてゆくだろう。だから、自分の人生に絶望し、あるいは疲れ果て、ただ明日目を覚ましたくない、そう考えて死を選んでしまう自殺者とは、根本的に異なるのだろうと思う。してみれば、「死にたければ一人で死ね」と発することは、怒りのはけ口を求め爆発寸前の精神状態にいる人に対しては、火薬庫に火を投げ入れるのに等しいと言えるかもしれない。


また、橋本徹氏の、死に方を教える発言は、お国のための死に方教育の記憶を彷彿とさせる。相変わらずヤバイところに踏み込むお方だ。

橋下氏は「自殺に悩んでいる人をしっかり社会が支えていきますというのは当然のこと」と前置きし、「やむにやまれず自分の命を断つときは、他人を犠牲にしてはならない。ちょっと言いすぎかも分からないけど、死に方というところを教育することが、僕は重要だと思う」と述べた。


 さらに「他人を犠牲をするなんて絶対あってはならない。死ぬのなら自分一人で死ねってことはしっかり教育すべきだと思います」と主張。梅津アナは「それを言うべきではないという議論もあるが」と指摘したが「そんなことない」と反論した。


 「他人を犠牲にしていいなんてことはありえない。片一方の方で、悩んでいる人に対して社会は支えるよ、というメッセージを出した上で、どうしてもって時には絶対に他人を犠牲にするなと。そういうような教育が子供のころから必要だと思います」と語った。


この考え、煎じ詰めれば人に迷惑をかけるな、自己責任論の、優しさ装いバージョン。
人に迷惑をかけるな大合唱社会に追い詰められる人もいるし。結局人に迷惑をかけられないで追い詰められて自殺と言うことになる場合が多い(ただそういう自己責任に追い詰められた自殺と、怒りの無差別攻撃への対応すべき点は違うと考えないといけないと思う)そんな社会が、『悩んでいる人に対して社会は支えるよ、というメッセージを出した上で』て、どんなメッセージでどんな行政支援ができるのか?と言う具体的イメージが全然見えない。


この事件からの波及として、警察官が発砲により刃物を持った男が死亡した事件がある

28日午後2時ごろ、さいたま市見沼区大和田町の路上で「男の人が倒れてうなっている」との連絡が消防からあり、埼玉県警大宮東署の警察官2人が現場に駆け付けたところ、この男が刃物を持って向かってきたため、2人で男に向けて1発ずつ発砲、うち1発が腹部に命中した。男は救急搬送中に公務執行妨害容疑で現行犯逮捕されたが、病院で死亡が確認された。
 同署によると、いずれも20代の男性巡査部長と男性巡査が現場に駆け付けると、下着姿で左腕から血を流した男が刃物を持って向かってきた。巡査部長が威嚇射撃をし、「刃物を捨てろ。捨てないと撃つぞ」と2度警告。それでも襲い掛かろうとしてきたため、2人が脚などを狙って1発ずつ発砲したが、うち1発が腹部に命中した。
 男は職業不詳鎌田幸作容疑者(68)で、現場は男の自宅前だった。
 同署の金光広和副署長の話 容疑者が亡くなったことは誠に残念。拳銃使用は適正な職務執行だと考えている。

副署長はこういうしかないだろうけれど、、、。
警察官の頭に川崎での殺傷事件がよぎったとしても無理なからんことだと思うが、だとしても、いささか過剰防衛ではなかろうかという気がする。この記事関して、”アメリカなら当たり前” というコメントを見受けるが、当たり前ではありません。


銃ではなく刃物、年齢68歳であれば、まず説得を試みるだろう(警告ではなく説得)
なぜなら、警察官の生命に即座に危険が及ばない状況であり、周囲に攻撃を仕掛けていたわけでなく、自傷して倒れていたと思われるから通報が来たという状況だ。向かってきてもタバスコスプレーあたりで拘束できる。アメリカの警官もなんでも即射殺、と思われたは心外だろう。


警官の職務遂行とはいえ、特に若年者や高齢者、女性を射殺してしまい、その自責の念からPTSDを発症し辞職する警官も少なくないと聞く。今回の場合、どんな理由で刃物を持って出たのかもわからない。しかし孤独や絶望という感情を感じるし、酩酊や混乱があったかもしれない。またこの若い警察官も、人を殺したという意識が今後彼らの人生にどう陰を落とすかわからない。


日本は特に一般の人が銃を持っている可能性が低いので、警察官によるの銃の使用より別の方法を考える余地が多分にある。犯人のためにも、警察官のためにも。


もう一つは、父親による息子の殺害、父親が元事務次官であったことでニュースになっているが、これはこの父親の一線を超えてしまった判断に川崎事件が影響している可能性もある。本当に悲しい事件だ。

隣接する小学校の運動会の音を巡り、父親と息子は口論になっていた。



 東京都練馬区の住宅で、この家に住む無職、熊沢英一郎さん(44)が父親の元農林水産事務次官、熊沢英昭容疑者(76)に殺害された事件。父親は調べに対し「(長男は)引きこもりがちで家庭内暴力もあった」「周囲に迷惑をかけてはいけないと思った」と供述していることが分かった。


「息子を刺した」と英昭容疑者本人から110番通報があったのは、1日午後3時40分ごろ。英一郎さんは1階和室の布団の上であおむけに倒れ、上半身を十数カ所メッタ刺しにされ、布団は大量の血で染まっていた。英昭容疑者は妻と息子の3人暮らしだったが、妻は不在だった。


 英昭容疑者は東大卒で1967年に農林省に入り、2001年、事務方トップの事務次官に就任。しかし、牛海綿状脳症(BSE)問題の責任を問われ、02年に退官。05~08年、駐チェコ大使を務めた。


英一郎さんは自宅に引きこもり連日、オンラインゲームに没頭。SNSにはゲームに関する投稿のほか、父親を自慢する書き込みもあった。


「本名、熊澤英一郎と申しまして元事務次官の愚息であります。凄い人でしょう。国家レベルの人なんです」「庶民が私の父と直接会話なんて1億年早いわ」「私の父は役所で人間を色々見て、観察力があります」「私は、お前ら庶民とは、生まれた時から人生が違うのさ」といった具合。さらに「肉体は健康だが脳は生まれつきアスペルガー症候群だし、18歳で統合失調症という呪われた身体」という投稿も。


■運動会の音を巡り口論


 家族をよく知る近隣住民がこう言う。


「奥さまも旦那さまも立派な方で、まるでお手本のようなご夫婦でしたよ。(事務次官を)お辞めになってからは、ニコニコしてとっても感じが良かった。いつも奥さまと2人一緒に買い物に出掛け、まるで新婚さんみたいでねえ。チェコに赴任していた時は、30代後半ぐらいの妹さんが1人で住んでました。10年以上のお付き合いになりますが、息子さんは見たことがありません。奥さまは『息子とは一緒に住んでない。離れたところに住んでるんですよ』っておっしゃってました。悩みがあるようには見えず、2人で楽しそうに過ごしていらっしゃったのに……」


 事件当日、隣の小学校では運動会が行われていて、「うるさい」とキレた英一郎さんを父親が落ち着かせようとしていたという。川崎殺傷事件同様、引きこもりの息子が大事件を引き起こすのではないかと危惧したのだろうか――。


父親の存在を基盤に承認欲求を満たしたかった息子。しかしそんなものは満たされるべくもない。家族で苦しかっただろうと思う。
こうした家族にこそ、行政の手助け、ソーシャルワーカー、心理カウンセラーなどの積極的な介入、グループセラピーなどの呼びかけが必要かもしれない。結局閉じてしまって、家族で孤立、自分たちだけになってしまうことは危険であるし、もし、家族やソーシャルワーカーが暴力を受ける可能性があれば、警察官も民事不介入などと言わずに協力すべきだろうと思う。アメリカの警察官は、騒音苦情、夫婦喧嘩の仲裁(銃撃に発展しかねないしねぇ)子供、老人、ペットの保護(これは消防士か)など、格好マメだし頼りにされている。もちろん差別意識の強い高圧的警察官もいるし、そういう事件多くもあるが(あと、ネズミ捕りはみんなの嫌われ者だ。ドライバーはライトの点滅でこの先警察が網を張ってるぞ、と知らせ合う)一般的には、親切で頼りになる感じである。警察が苦情を言ってくれれば、後で怨恨につながらない、中立的の仲裁者の役割もある。


また、専門の教育とトレーニングを受けた、ソーシャルワーカーに、一定の地位を与え給与を保証し、イニシチブを取れるようにして、問題を抱えた家族が孤立しないようにしてゆくしかないのではないかと思う。誰か話ができる人間がいれば、煮詰まった考えにワンクッション入れる(クールダウン)ことができ、”魔がさす”ことも回避できるかもしれない。(ところで、銃は、魔を呼び込む、怒りを抱えて人にとっての悪魔の誘惑だ。と前述の韓国の人の事件で痛感した。同じアジア系だったから、妙に同情したというか、韓国にいたら被害者も加害者もこんなことにまではならなかっただろうに、と。日本は銃だけは絶対アメリカ化してはならない)


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