密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

無差別攻撃は自殺とは異なる。社会に対する抑えきれない怒りの発露。

川崎事件の後、この犯人が自殺をしたことで、『自殺したいなら一人で死ね』という人々と、そうしたことをネットで流布することにより潜在的な犯行を誘発するのでいうべきではない(社会の問題と受け止め、突き放すことは避ける)という意見が分かれている。


アメリカでは、銃社会であるがゆえに、無差別銃撃(実際無差別ではなく、理不尽でも理由がある)の犯人は概ね、自殺、あるいは間接的自殺(警官に撃ち殺してもらう)をする。アメリカの刑務所に入ることは、多くの人が、多分死ぬより恐ろしいと考えている(刑務所の種類にもよるだろうが)


ワタクシも当初は、他の人々を巻き添えに自殺!?どうして自分一人で自殺できないんだと言う生き抜くことより死に解決を見出しがちな日本人感覚の憤りを感じ、今回、一人で死ねと怒る人達と同じ感情を持った。ところが、アメリカでの認識は、彼らは、自殺したいのではなく、死んでもいいから怒りを爆発させたい衝動に駆られて犯行に及ぶ、というのが一般的の見方であると知った。


これは、日本人(東洋)の死生観と欧米の死生観の違いも関わってくるように思う。


数年前、ニュージャージーで、韓国人の男性が、同胞の取引相手を撃ち殺して逃亡。
ハドソン渓谷まで逃げてきて、うちの近所の9D道路が警戒態勢になった。ちょうどそこを通っていて何事か?と事情を聞いて、Dさんとワタクシは全く違う反応をした。
Dさんは山に入って逃げ伸びる、最悪住民の家に立てこもる、あるいはもうダメだともなれば学校などに侵入し無差別に人を殺す可能性も考え、ワタクシは、彼は今頃、後悔して死に場所を求めてさまよっているのだ、と考えた。


翌日ハドソン川に彼の遺体が浮かんだ。この男性がアジア系であったこと、彼は彼の妹に電話で、大変なことをしてしまった、といったことなどで、日本人のワタクシはういう結論になることを疑わなかったのだが(Dさんは電話もトリックかもと言っていた)、彼がアジア系でなければ、Dさんの予測の方が正しかったかもしれない。とはいえ、2007年、バージニア工科大学で、アジア系の学生(永住権保有の在米東洋系)が学内で死者33人(本人を含む)史上3番目の銃撃事件を起こしたこともあるから、民族での判断も、絶対とはいえない。この学生は学生を教室に閉じ込めて銃撃、周囲への相当の怒り、恨みをを募らせて犯行に及んだことがうかがえる。彼は、情緒障がいの疑いを持たれていて、大学から強制的にカウンセリングを受けさせられていた。


最近では『involuntarily celibate 不本意な禁欲者』による女性への無差別殺人などがおこってきて注目されている。つまり女性に相手にされないために、怒りを募らせ、女性たちを殺そうとする傾向の無差別殺人が増えているという。


こうした男性の女性への怒りと暴力は、インドなどの女性の顔に酸をかける暴行、死に至らしめるほどの集団レイプなども同根で、戦時下でなくとも、どこでも起こりうるだろう。そういえば、映画エバンゲリオンの中で、女性たちからの、「気持ち悪い」という声で埋め尽くされるシーンがあった。これなど、involuntarily celibateの心象風景そのものを代弁しているように思えた。日本でも起こり得る(ストーカー被害などもそうだ)


人から無視されることが続き、承認欲求が強ければ強いだけ、承認してくれない相手や社会に怒りを爆発させる傾向は、今後日本でももっと増えてゆくだろう。だから、自分の人生に絶望し、あるいは疲れ果て、ただ明日目を覚ましたくない、そう考えて死を選んでしまう自殺者とは、根本的に異なるのだろうと思う。してみれば、「死にたければ一人で死ね」と発することは、怒りのはけ口を求め爆発寸前の精神状態にいる人に対しては、火薬庫に火を投げ入れるのに等しいと言えるかもしれない。


また、橋本徹氏の、死に方を教える発言は、お国のための死に方教育の記憶を彷彿とさせる。相変わらずヤバイところに踏み込むお方だ。

橋下氏は「自殺に悩んでいる人をしっかり社会が支えていきますというのは当然のこと」と前置きし、「やむにやまれず自分の命を断つときは、他人を犠牲にしてはならない。ちょっと言いすぎかも分からないけど、死に方というところを教育することが、僕は重要だと思う」と述べた。


 さらに「他人を犠牲をするなんて絶対あってはならない。死ぬのなら自分一人で死ねってことはしっかり教育すべきだと思います」と主張。梅津アナは「それを言うべきではないという議論もあるが」と指摘したが「そんなことない」と反論した。


 「他人を犠牲にしていいなんてことはありえない。片一方の方で、悩んでいる人に対して社会は支えるよ、というメッセージを出した上で、どうしてもって時には絶対に他人を犠牲にするなと。そういうような教育が子供のころから必要だと思います」と語った。


この考え、煎じ詰めれば人に迷惑をかけるな、自己責任論の、優しさ装いバージョン。
人に迷惑をかけるな大合唱社会に追い詰められる人もいるし。結局人に迷惑をかけられないで追い詰められて自殺と言うことになる場合が多い(ただそういう自己責任に追い詰められた自殺と、怒りの無差別攻撃への対応すべき点は違うと考えないといけないと思う)そんな社会が、『悩んでいる人に対して社会は支えるよ、というメッセージを出した上で』て、どんなメッセージでどんな行政支援ができるのか?と言う具体的イメージが全然見えない。


この事件からの波及として、警察官が発砲により刃物を持った男が死亡した事件がある

28日午後2時ごろ、さいたま市見沼区大和田町の路上で「男の人が倒れてうなっている」との連絡が消防からあり、埼玉県警大宮東署の警察官2人が現場に駆け付けたところ、この男が刃物を持って向かってきたため、2人で男に向けて1発ずつ発砲、うち1発が腹部に命中した。男は救急搬送中に公務執行妨害容疑で現行犯逮捕されたが、病院で死亡が確認された。
 同署によると、いずれも20代の男性巡査部長と男性巡査が現場に駆け付けると、下着姿で左腕から血を流した男が刃物を持って向かってきた。巡査部長が威嚇射撃をし、「刃物を捨てろ。捨てないと撃つぞ」と2度警告。それでも襲い掛かろうとしてきたため、2人が脚などを狙って1発ずつ発砲したが、うち1発が腹部に命中した。
 男は職業不詳鎌田幸作容疑者(68)で、現場は男の自宅前だった。
 同署の金光広和副署長の話 容疑者が亡くなったことは誠に残念。拳銃使用は適正な職務執行だと考えている。

副署長はこういうしかないだろうけれど、、、。
警察官の頭に川崎での殺傷事件がよぎったとしても無理なからんことだと思うが、だとしても、いささか過剰防衛ではなかろうかという気がする。この記事関して、”アメリカなら当たり前” というコメントを見受けるが、当たり前ではありません。


銃ではなく刃物、年齢68歳であれば、まず説得を試みるだろう(警告ではなく説得)
なぜなら、警察官の生命に即座に危険が及ばない状況であり、周囲に攻撃を仕掛けていたわけでなく、自傷して倒れていたと思われるから通報が来たという状況だ。向かってきてもタバスコスプレーあたりで拘束できる。アメリカの警官もなんでも即射殺、と思われたは心外だろう。


警官の職務遂行とはいえ、特に若年者や高齢者、女性を射殺してしまい、その自責の念からPTSDを発症し辞職する警官も少なくないと聞く。今回の場合、どんな理由で刃物を持って出たのかもわからない。しかし孤独や絶望という感情を感じるし、酩酊や混乱があったかもしれない。またこの若い警察官も、人を殺したという意識が今後彼らの人生にどう陰を落とすかわからない。


日本は特に一般の人が銃を持っている可能性が低いので、警察官によるの銃の使用より別の方法を考える余地が多分にある。犯人のためにも、警察官のためにも。


もう一つは、父親による息子の殺害、父親が元事務次官であったことでニュースになっているが、これはこの父親の一線を超えてしまった判断に川崎事件が影響している可能性もある。本当に悲しい事件だ。

隣接する小学校の運動会の音を巡り、父親と息子は口論になっていた。



 東京都練馬区の住宅で、この家に住む無職、熊沢英一郎さん(44)が父親の元農林水産事務次官、熊沢英昭容疑者(76)に殺害された事件。父親は調べに対し「(長男は)引きこもりがちで家庭内暴力もあった」「周囲に迷惑をかけてはいけないと思った」と供述していることが分かった。


「息子を刺した」と英昭容疑者本人から110番通報があったのは、1日午後3時40分ごろ。英一郎さんは1階和室の布団の上であおむけに倒れ、上半身を十数カ所メッタ刺しにされ、布団は大量の血で染まっていた。英昭容疑者は妻と息子の3人暮らしだったが、妻は不在だった。


 英昭容疑者は東大卒で1967年に農林省に入り、2001年、事務方トップの事務次官に就任。しかし、牛海綿状脳症(BSE)問題の責任を問われ、02年に退官。05~08年、駐チェコ大使を務めた。


英一郎さんは自宅に引きこもり連日、オンラインゲームに没頭。SNSにはゲームに関する投稿のほか、父親を自慢する書き込みもあった。


「本名、熊澤英一郎と申しまして元事務次官の愚息であります。凄い人でしょう。国家レベルの人なんです」「庶民が私の父と直接会話なんて1億年早いわ」「私の父は役所で人間を色々見て、観察力があります」「私は、お前ら庶民とは、生まれた時から人生が違うのさ」といった具合。さらに「肉体は健康だが脳は生まれつきアスペルガー症候群だし、18歳で統合失調症という呪われた身体」という投稿も。


■運動会の音を巡り口論


 家族をよく知る近隣住民がこう言う。


「奥さまも旦那さまも立派な方で、まるでお手本のようなご夫婦でしたよ。(事務次官を)お辞めになってからは、ニコニコしてとっても感じが良かった。いつも奥さまと2人一緒に買い物に出掛け、まるで新婚さんみたいでねえ。チェコに赴任していた時は、30代後半ぐらいの妹さんが1人で住んでました。10年以上のお付き合いになりますが、息子さんは見たことがありません。奥さまは『息子とは一緒に住んでない。離れたところに住んでるんですよ』っておっしゃってました。悩みがあるようには見えず、2人で楽しそうに過ごしていらっしゃったのに……」


 事件当日、隣の小学校では運動会が行われていて、「うるさい」とキレた英一郎さんを父親が落ち着かせようとしていたという。川崎殺傷事件同様、引きこもりの息子が大事件を引き起こすのではないかと危惧したのだろうか――。


父親の存在を基盤に承認欲求を満たしたかった息子。しかしそんなものは満たされるべくもない。家族で苦しかっただろうと思う。
こうした家族にこそ、行政の手助け、ソーシャルワーカー、心理カウンセラーなどの積極的な介入、グループセラピーなどの呼びかけが必要かもしれない。結局閉じてしまって、家族で孤立、自分たちだけになってしまうことは危険であるし、もし、家族やソーシャルワーカーが暴力を受ける可能性があれば、警察官も民事不介入などと言わずに協力すべきだろうと思う。アメリカの警察官は、騒音苦情、夫婦喧嘩の仲裁(銃撃に発展しかねないしねぇ)子供、老人、ペットの保護(これは消防士か)など、格好マメだし頼りにされている。もちろん差別意識の強い高圧的警察官もいるし、そういう事件多くもあるが(あと、ネズミ捕りはみんなの嫌われ者だ。ドライバーはライトの点滅でこの先警察が網を張ってるぞ、と知らせ合う)一般的には、親切で頼りになる感じである。警察が苦情を言ってくれれば、後で怨恨につながらない、中立的の仲裁者の役割もある。


また、専門の教育とトレーニングを受けた、ソーシャルワーカーに、一定の地位を与え給与を保証し、イニシチブを取れるようにして、問題を抱えた家族が孤立しないようにしてゆくしかないのではないかと思う。誰か話ができる人間がいれば、煮詰まった考えにワンクッション入れる(クールダウン)ことができ、”魔がさす”ことも回避できるかもしれない。(ところで、銃は、魔を呼び込む、怒りを抱えて人にとっての悪魔の誘惑だ。と前述の韓国の人の事件で痛感した。同じアジア系だったから、妙に同情したというか、韓国にいたら被害者も加害者もこんなことにまではならなかっただろうに、と。日本は銃だけは絶対アメリカ化してはならない)


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