密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

七人の侍?未来を作る?自民COOL企画で際立つ安倍晋三の異物感

政府が国民に向けて発する言葉・表現の幼稚さは目を覆うばかりである。
自衛隊のアニメ広告、内閣サイバーセキュリティセンターの要請ツイート、そして、”自民党2019”で展開される、大キャンペーンはもはや国政を担う与党のそれではなく、商業主義的広告代理店のそれである。
それでも、十代の若い表現者たちが、強い意志を語る、日本の未来を感じさせる、かっこいい動画に仕上がっている、安倍晋三の登場を除いては。



♯自民党2019「新時代」篇60秒


安倍がここに登場することは、動画の方向性や意義をビジュアル的にも理念的にも、ぶち壊す。とってつけたような、いや靴の底についてしまったガムや犬の*ンのような違和感と不快感を与える。十代特有の鋭いナイフのような声の中に、どんよりよたるんだ精彩のない男が割り込んでいる。これならマリオの方が笑えるだけマシだ。


出演の若者たちは、安倍晋三に自分たちの言葉が届いていると思うのだろうか? 社会保障を削り、非正規雇用を増やし、一生懸命働いても生活がギリギリ、学びたくても、奨学金とは名ばかりの厳しい取り立ての学生ローン。こういうこと主導してきた人間は、「未来を作りたい」だと?片腹痛いを通り越して吐き気がする。


こういう全くマッチしない広告代理店戦略に、ポンと安倍晋三を落とし込むから、余計に嫌な感じが増大する。


噂の”七人の侍” 
自民党が新たな広報戦略「#自民党2019」プロジェクトで自民党が開設した特設サイトでも、やはりこのイラストが使用されているのだが、それは荒々しく勇ましい野武士ふうの7人がV字に並んでいるというもの。なかでも、もっとも目を引くのは、中心に配置されている、静かな目で刀を構えているイケメン武士。無造作に髪を束ね、胸元も大きくはだけさせているため色っぽさもあり、いかにも物語の主人公的な、強そうなヒーロー然としたキャラクターだ。
 だが、問題はここから。この主人公っぽいキャラをクリックすると、なんとそこに「第二十一代・第二十五代 自由民主党総裁 安倍晋三」という文字が出てくるのである。

(リテラより)

三船敏郎の立ち位置のサムライはどう見ても、伊藤英明くん。
選挙対策委員長である甘利明議員は、自身のブログでこう書いている。
〈自民党の7人の政治家が7人の侍の姿となって新時代を切り拓いていく劇画、そんなイメージキャラクターを墨絵で描いて頂きました。(中略)真ん中に立つのは言わずと知れた安倍総理です。我々の決意が一枚の水墨画になります。〉7人て誰?安倍・麻生・菅・二階・甘利・下村・羽牛田あたり?紅一点を入れなくちゃなら、稲田・片山・高市か?くノ一水田・花魁丸川、イヤイヤ見栄えから行って、セクシーナイト”八紘一宇”三原は外せまい。


おおそうか!百姓(国民)に雇われて、野盗(野党)と戦う7人の侍。
でも、百姓(国民)から搾取しているのは当の7人用心棒とその一派。つまり本来雇い主たる百姓(国民)は逆に支配されちゃってる状態。


だからストーリーとしては、自民砦の三悪人に囚われの人々を解放する、野党連合7人の侍ストーリーにしなくてはならない。


役者も自民より面白いよ。筆頭剣士枝野りつみんBGMは『不協和音』・迷いが多いが血潮が熱い玉木雄一郎BGMは『浪花節』・温厚にして質実剛健志位和夫BGMはショパン(安倍政権への)『別れのワルツ』・冷静沈着「人切り又市」又市征治BGMは『リムジン河』・れいわの新撰組切込隊長山本太郎BGMは『昴』・紅一点は国会極妻森ゆうこBGMは『仁義なき戦いのテーマ』・そして島田勘兵衛=志村喬の役どころは、小沢一郎
BGMは『最高の応援歌”最後の一歩”』他にもまだまだ勇ましいサムライがいます。


美食で膨れ欲惚け権力ボケでふやけた”7人のサムライ”がどこにいる。内輪受けが過ぎて、過剰な安倍へのごますりが、はた目から見て非常に醜悪で滑稽だということがわからなくなっている自民党。


天野喜孝氏も、自分の作品に安倍臭がするのが嫌でかけ離れた絵を描いたのではないか?お国の仕事は実入りがいいでしょうし断りはしたくないだろうけど、醜いもの嫌なものは書きたくないのもアーチスト。


突っ走るCOOLな企画に取り巻かれ、安倍晋三だけが、不釣り合いな異物としてぼんやりと漂う。


甘利議員は前述したブログで、〈更には、ファッションとのコラボレーションもしていきます。ファッションリーダーによる一人一人のメッセージTシャツ〉とも予告。自民党のHPにも〈“ViVi girl”とコラボレーション〉〈「これからは、こんな日本にしたい!」という一人一人のメッセージをデザインして、世界で一枚のTシャツを制作、ファッションスナップとしても撮影〉とある。つまり、若者に支持されている人気のインスタグラマーや読者モデル、タレントたちが、ファッションリーダーとして今後、自民党のPRを展開していく可能性があるのだ。(リテラ)


お前らは一体何をしたいんだ。国民の頭を”楽しいこと、幸せなこと、ほっこりすることで満たせるように”政党全体で広告代理店になって、上澄みだけをさらっとなぜて、おいしいところだけをすくい取る。


Tシャツにメッセージ書いて世界で一枚だけのTシャツ着て、それで、給料上がるのか?ブラック労働抜け出せるのか?貧困のけ出せるのか? 結婚、子育てできるのか?


表面だけ、イメージだけの未来あるある感演出で、好感度あげて、安倍自民党政権が続けば、日本は歴史修正主義、女性差別、隣国ヘイト、国連の勧告を無視し、どんどん独りよがりの国になってゆく。そんな日本すごい?


こんなこと、行政のやることとは正反対だ。アニメで可愛らしく戦闘し、”カッコイイ”キャンディーばらまいて、自分らしさ風船飛ばして、ただそれだけで、土台はない、保証もない、そんな日本はすごい国だ、と思う人本当にいるの?


7人の侍のラストで、島田勘兵衛が呟く『勝ったのは百姓たちだ』
こんな浮かれた宣伝に乗せられず、しっかり政治に参加し、最後に勝ったのは一般の国民たちだ、と言わせなくてはならない。そして、そのために身を粉にして戦い、自分の勝利ではなく国民の勝利だと喜べる政治家を代表に送り出さなければならない。


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高齢者ドライバーから免許は取り上げたい、でも人生100年時代?

87歳ドライバーの起こした悲惨な人身事故を受けて、盛り上がる高齢者は運転するな世論。政府の自動運転システムの普及を急がせるという方針を打ち出したというが、それには大きな意味がある。高齢者ほど、自動車での移動や物の持ち運びが大きな役割を果たす。しかし、視力や判断力の低下を補って安全に利用できるのであれば、大きな助けになる。自動運転の自動車が一般の人が手の出る価格になることを、ワタクシも心待ちにしている(駐車が下手くそで、、、、)個人の病歴・認知の度合いなども記憶しセキュリティーに生かすAI自動車なんかできるといいなぁ。


ただ高齢者をその判断力身体的能力により危険視し邪魔者として排除するより、テクノロジーによる自動運転システムの開発は、未来の自動車事故の被害者を減少させる可能性を秘めている。


今回のように注目を集める事件が起こると、’世論は一気に高齢者ドライバー叩きに走るが、アメリカでは、高齢者が起こす人身事故の件数は、若者が起こす人身事故の比ではない。若い世代の怖いもの知らずの運転での事故の方がうんと多い。


日本ではどうだろうと、調べて見たら、このような記事が見つかった。表は転載できないので、アクセスして見てください。要約を転載します。

10月、11月と高齢のドライバーによる交通死亡事故が相次いで報道されています。


「登校の列に車、小1男児が死亡 横浜、児童8人けが」(朝日新聞 10月28日)
「駐車場のバー折って歩道の2人はねる…車暴走」(読売新聞 11月13日)


実際に統計上、高齢ドライバーによる死亡事故の件数は増加しているようです。
2014年に約3600件あった死亡事故のうち、65歳以上の運転者が過失の重い「第1当事者」になったケースは26%だった。約10年間で10ポイント近く増えている。

でも考えてみると、いま日本では急速に高齢化が進んでいます。それとともに65歳以上の人口が増えているわけですから、事故の件数が増えてしまうのはある意味で当然のことです。


では高齢化の影響を除いた場合、高齢ドライバーによる事故は増えているのでしょうか?


高齢ドライバーが起こす交通事故は20代より少ない
ポイントは、年代別の「全件数」ではなく、「その年代の免許者10万人当たり、どのくらい事故を起こしているのか?」を調べていることです。
こうすることで、より正確に「その年代の人が、どのくらい事故を起こしやすいのか」を知ることができます。


まずわかることは、全年代でゆるやかに減っていることです。全体で見ると、10年前のおよそ半分になっています。


では、どの年代がもっとも交通事故を起こしやすいのでしょうか?
「16~19歳」が傑出して多く、それに続くのが「20~29歳」。その次に来るのが「80歳以上」です。70代となると、他の年代とほとんど差はありません。


死亡事故も大幅に減っているということです。80歳以上に限定すると、10年前の半分程度に減っています。


死亡事故の場合、確かに80歳以上の危険性が高いことがわかります。ただし「16~19歳」も高く、去年のデータでいえばわずかに80歳以上を上回っています。
その次は、20代と70代が同じくらい。とはいえ、その他の年代と比べて、それほど多いとは言えないようです。


上記のデータからは、「16~19歳と80歳以上の運転者は、死亡事故を起こしやすい」のではないか?ということがわかります。


年代ごとの交通死亡事故の「全件数」を見てみます。


全件数でみると、やはり20代や40代が多く、80歳以上が起こす死亡事故は少ないことがわかります。この年代で運転している人が、そもそも少ないのかもしれません。


データをもとに議論する大切さ


いま高齢ドライバーが起こす死亡事故が急増していることが強調され、免許返納や認知機能検査などの重要性が指摘されています。


確かにデータからも、件数としては少ないですが、80歳以上で死亡事故を起こす危険性が高いことが示されています。
今後、高齢化のなかでこの年代のドライバーの絶対数が増えるのは確実ですから、対策が急務なことは間違いありません。


ただ心配なのは、高齢ドライバーへの風当たりが必要以上に強まることです。
例えば下記の報道で「高齢ドライバー」とされているのは、67歳の男性です。
「高齢ドライバーにはねられ男性死亡 長崎」(日テレNEWS24・11月18日)


65歳以上の人は「高齢者」とされるので、この男性を「高齢ドライバー」と呼ぶのは間違っていないかもしれません。
でも実際の統計データは、60代のドライバーは20代より交通事故を起こしにくいことを示しています。わざわざ上記の事故を「高齢」と付けて報じることで、誤ったイメージが広がってしまう危険があります。


繰り返しますが、死亡事故を減らすために、増え続ける高齢ドライバー(75歳以上)、とくに認知症に気づかないまま運転してしまう人への対策は有効だと考えられます。


一方で高齢者にとって、自動車の運転が自立した生活の生命線であったり、「誇り」の象徴だったりするケースも少なくありません。


いま対策が急務だからこそ、「なんとなく危なそう」というイメージではなく、データに基づいて「どんな年代の人に、何をすべきか」を冷静に考えていくことこそが大事なのではないでしょうか。


本当にその通りだと思います。そして、かたや65歳以上を高齢者とし、運転等も危なっかしいと思うのに、年金受給年数を引き上げ70歳まで働けという。そして人生100年時代が来るからと、ぶち上げる。 70〜75歳まで、生活のために働き、お金の心配、将来の心配に中で切り詰めた生活をさせられて、どうして100歳までの長寿に至れるというのか? 


アメリカは老人が元気だ。人生の収穫期をそれぞれの方法で楽しんでいる。フロリダなど、ありとあらゆる趣味(といっても本格的なものが多い)のグループがあり、教室が
ある。美術館やコンサートホールなど、様々な、ランチ・ディナーイベントを用意していて、アート愛好家の手帳はスケジュールでいっぱいだ。クルーズ、マディグラ(カーニバル)釣りやハンティングのクラブ、Dさんのように、コミュニティーバンド、写真家の撮影ツアー。有名なシェフを招いた手のクッキングとワインテイスティングイベントトを地元のスーパーマーケットが企画する。社会に貢献したい人は、ボランティアでステイツパークの案内人や教育係などに応募する。 年金資産の少ない人でも、気候の温暖なフロリダは、家賃の低いコンテナパークで、のんびり暮らすことはできる。
また、ホリデーシーズンの家族とのコミュニケーションがある。これが平均的アメリカの老後の生活だ。それでも、100歳を超えるとぐっと人数が減る。90歳を過ぎると、歩行に何が出てくる人が多い。ひざ関節を取り替える手術、白内障手術を受けることが多くなる。人生100年時代はそう容易くはない。


70歳で、お金と生活のための働くことを、やりがい・活躍などというのは、安倍政権の詭弁だ。この上人生100年なんて無責任な標語で、まだまだ働けると煽り、年金を減らし、軍備だの国際貢献だのに税金を回す。こういうことができるのは、日本の権力者の中に、戦前の、国のための国民は働くべきという考えが染み付いているからだ。


団塊世代が後期高齢者になり、少子化で支えられない、などと行っているが、それなら、年金を博打的に溶かしたり、海外でいい顔してばらまいたり、必要のない忖度道路、必要もない建築ばかり作ったり、防衛のためと、問題の多いステルス戦闘機を爆買いしたりしなければ、どれだけの資金が浮くだろう。65を過ぎて、生活のために低賃金で働いたりする必要のない、年金や社会保障システムのサービスが受けられるはずだ。(だいたい自衛のために、なぜステルス性のある戦闘機が必要なのだ。シテルス機レーダーをかいくぐり敵地に近づき、空爆したり、ミサイルを撃ったりするのだろう。つまり敵地攻撃用だ。自衛なら、威嚇警告のためきちんと相手に認識できる戦闘機でいいではないか。と思う)


安倍政権はタガが外れている。金銭感覚も狂ってきている。大盤振る舞いしても、国民から絞り上げればいいと考えている。何でも自分たちにお金が集まるようにシステムを変えている。


生きるための働き、歳をとったら次の世代に活躍の場を譲り、自分の好きなことを始める。趣味で繋がる友人を得る。働いた自分のご褒美の時を享受する。そんな当たり前の社会は、夢物語のユートピアではない、実現すべき社会の課題なのだ。


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Consoler in Chief・慰安者としての天皇

安倍政権の仕掛けによるものか、はたまた明仁上皇の御人格によるものか、巷の大きな熱狂が伝えられる。BBCの記事の中で、テンプル大学東京校のジェフ・キングストン教授は明仁氏の存在を”Consoler in Chief”と表現した。最高慰問者と訳されている。
「陛下には道徳的な権威がある」「陛下はその権威を自ら獲得した。最高慰問者(consoler in chief)だ。陛下は父親(昭和天皇)には決してできなかった方法で民衆と関係を築いている」テンプル大学東京校のジェフ・キングストン教授


自ら獲得した、道徳的権威、最高の慰安者として活動。安倍チープな政治利用のお祭り騒ぎ、静かに退位を望まれ、静かに即位を望まれた天皇家を無視し、北朝鮮ミサイルと同等に、国民の目先を変えることに利用し、何の自分の努力も能力も関係ない事柄に乗っかり
自分への権威付けに利用する浅ましい安倍晋三には嫌悪感しかない。


明仁天皇が築いてきたものは何だったのか?他国から見た、平成天皇とは、BBCの記事
を転載する。



春らしい清々しい朝だった。私は先週、東京西部の郊外の路上に立っていた。道路の両側には何百メートルにもわたり、興奮した面持ちの人の列が続いていた。そのとき、ほとんど何の前触れもなく、黒色の大きなリムジンが両側にオートバイの警護隊を従えて橋を渡ってきた。
その車両が通り過ぎたとき、ほんの一瞬、明仁天皇、美智子皇后の両陛下が体を前に傾け、軽く手を振るのが見えた。歓声のうねりとビニール旗の波が起こり、やがて消えた。
私にとって、それは少々あっけなく思えたし、そう思ったのは私だけではなかった。近くにいた高齢の女性は警察官を責めた。
「どうしてあんなに速く行ったの?」と女性は聞いた。「普段はもっとゆっくりなのに。お顔を見る機会なんてめったにないのに」。
警察官は辛抱強くほほ笑んだ。警察官が車列の速度を決めることは、もちろんできない。
この日の天皇・皇后両陛下の昭和天皇山稜への拝礼には、筋金入りの皇族ファンが数百人集まる程度だろうと思っていた。だが実際には、5000人以上は集まっていたはずだ。集まった人たちが三々五々に散らばり始めると、中には涙を拭う姿もあった。
「日本人のためにしていただいたことを、ありがたく思っています」と、美しい着物姿の女性は話した。「長い年月に対する深い感謝の気持ちを込めて手を振りました」。
「本当に感動しました」と女性の友人は言った。「長年のおつとめを終えられた天皇陛下が、ゆっくりと幸せな時間を過ごされることを願っています」。
だらりと垂れた大型の日よけ帽をかぶったスギヤマ・カオルさんも、友人たちと一緒に来た。
「私は戦争世代ではありません」とスギヤマさんは言う。「でも、振り返ると、平成時代の日本が平和だったのは天皇陛下のおかげだと思います。ですから、陛下の最後の訪問でお顔を見て、感謝の気持ちを示したいと思ってやって来ました。陛下には『ありがとうございました』とお伝えしたいです」


こうした気持ちを抱かせる天皇陛下は、いったい何をしたのだろうか。
「最高慰問者」
1989年1月、昭和天皇の死去にともない、天皇陛下が即位した。
楽観的な時代だった。日本は金回りがよく、戦後の経済発展のピークを迎えていた。ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収する直前で、三菱地所はニューヨークのロックフェラーセンターの買収を目前にしていた。世界中で、新たな「超大国」としての日本が話題になっていた。


しかし、天皇陛下が即位した翌年、災難が起こった。バブル経済がはじけ、東京の株式市場で株価が35%も暴落した。バブル崩壊から30年近くたつが、日本の株価と地価は1990年代の水準を下回ったままだ。
ほとんどの日本人にとって、平成(「平和の達成」を意味する)時代は経済停滞を意味してきた。加えて、悲劇に見舞われた時代でもあった。


1995年1月、マグニチュード6.9の大地震が神戸の街を襲った。ビルや道路の陸橋が倒壊し、火災が何日も続いて空が暗くなった。死者は6000人を超えた。


2011年には、さらに甚大な被害をもたらす地震が東北地方の沖合で発生した。マグニチュード9は、記録が残る中で、日本における4番目に大きな地震だった。この地震は巨大津波を引き起こし、東北沿岸の町々に壊滅的な被害を及ぼして、約1万6000人の命を奪った。


この2番目の災害の後、天皇陛下は過去の天皇がしなかったことをした。テレビカメラの前に座り、国民に向けて直接語りかけたのだ。
その2週間後、天皇・皇后両陛下は、東京から離れたスタジアムに設置された避難所を訪れた。被災者たちは、床の上にわずかな所持品を積み重ねて生活していた。多くの人々は、福島第1原発の損壊によって出た放射線から避難していた。ほとんど全てを家の中に残したまま、いつ、果たして戻れるのかどうかさえわからずに、避難生活を送っていた。
天皇・皇后両陛下は床に膝をつけて家族を一組ずつ訪ね、静かに話しかけ、質問をし、いたわった。


保守層にとってはショッキングな、天皇陛下の姿だった。天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫にあるべき振る舞いではなかった。しかし、それを上回る数の日本人が、天皇陛下の人間味あふれる感情表現に深く感動した。


「陛下には道徳的な権威がある」とテンプル大学東京校のジェフ・キングストン教授は話す。「陛下はその権威を自ら獲得した。最高慰問者(consoler in chief)だ。陛下は父親(昭和天皇)には決してできなかった方法で民衆と関係を築いている」。
「陛下の避難所訪問は、政治家が写真撮影のために訪問して手を振って立ち去るのとは違う。人々の隣に座り、一緒にお茶を飲み、戦前には考えられなかった風に会話をする」


父親の罪
天皇陛下は革命家には見えない。背は低く、控えめで語り口は柔和だ。発言と行動は戦後の憲法によって厳しく制限されている。イギリスのエリザベス女王と違い、陛下は日本の国家元首ではない。
その代わり、陛下の役割は「国民統合の象徴」とあいまいに定義されている。政治的な発言は認められていない。こうした儀礼的で窮屈な役割の中でも、陛下は見事な成果を上げてきた。


まず思い出すべきは、陛下は日本がアジアで暴挙を繰り広げた1930-40年代の約15年間に日本を治めた、神格化された昭和天皇の息子だということだ。広島と長崎に原爆が投下され終戦を迎えた時、陛下は12歳だった。


教育を受けていた時期のどこかで、陛下は強固な平和主義者となり、それは現在も続いている。このことについては、アメリカ人家庭教師のグレイ・ヴァイニング氏の影響を指摘する人もいる。天皇陛下は「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べたほどだ。


陛下は日本のかつての敵や被害者とも心を通わせる努力をしてきた。北京、ジャカルタ、マニラからスペインまで、昭和天皇の下で生じた傷を癒すために尽力した


「陛下は、日本の和解のための最高の特使という、天皇の新たな役割をつくり出し、地域内を何度も訪問し、償いと悔恨の意を示してきた。基本的に、過去の戦争の傷を癒そうとしてきた」とキングストン教授は指摘する。


1990年代には、それはあまり議論にはならなかった。国内の政治家は陛下を支え、1992年には歴史的な中国訪問を実現させた。


だが、陛下が年齢を重ねるにつれ、日本の政治は急激に右傾化した。
かつての「謝罪外交」は、平和主義とともに支持されなくなった安倍晋三首相は、日本の平和憲法を改めると宣言している。安倍氏や右派の人々は愛国的な教育を復活させ、彼らの言う戦後の「自虐史観」を消し去りたいと考えている。


目立たないように、しかし強い意志をもって、陛下は繰り返し歴史修正主義者たちに対する軽蔑心を表してきた。


2015年、戦後70年の節目で、安倍氏は談話を発表した。
「安倍氏は基本的に、日本がいま享受している平和と繁栄は、300万人の戦死者のおかげだと述べた」とキングストン教授は言う。


「翌日、陛下はそれを否定した。陛下は日本がいま享受している繁栄は、国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識によるものだと、お言葉で述べた


テレビ中継を見ていた何百万人もの日本人にとって、それは疑いようのない(安倍氏への)批判だった。


東京で開かれた園遊会では、右派の東京都の教育委員会委員が、国家を斉唱するときには全教員を起立させると陛下に誇らしげに伝えた。
陛下は静かに、だがきっぱりとこう言って、その委員を諭した。
「強制になるということではないことが望ましい」


長い別れ
在位期間を通し、陛下は最も大切な伴侶で助言者の美智子皇后と一心同体だった。一般家庭の出身の皇后陛下にとって、時に宮中での暮らしは極めて大変だった。1993年には、皇后陛下は精神的疲労から倒れ、2カ月間、言葉が出なくなった。


皇后陛下は最近、天皇陛下の決意に対する畏敬の念を文章で表している。
「振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました


しかし、ここしばらく、天皇陛下の健康状態は衰えつつある。がんを患い、心臓のバイパス手術も受けた。陛下に近い人は、陛下が健康悪化によって動けなくなり、公務を果たせなくなることを一段と心配していたと述べる。


2009年ごろから、陛下は皇太子さまへの皇位継承が認められるよう静かに世論に訴え始めた。これは決して簡単なことではない。
戦後制定された憲法では、天皇は「終身」その地位にあると明確にしている。そのため、政治家たちは陛下の願いを無視してきたと、原武史放送大学教授は説明する。
9年間にわたって、政府は陛下のお気持ちにまったく同調しなかった。退位したいという陛下の希望を受け入れたら、天皇が重要な決定権限をもつことになってしまい、それは憲法違反だと考えたからだ」


これは、まさに日本独特の難問だ。原教授によると、焦燥感を募らせた陛下と宮内庁は、ある計画を編み出した。
「陛下と宮内庁はどんどん我慢できなくなっていった。そこで、宮内庁の職員がNHKに情報を流し、NHKが陛下の希望を報じた」
NHKにとってそれは大スクープとなり、こう着していた局面が打開された。1カ月後、陛下は再びテレビ放送されたビデオメッセージを通して国民に直接語りかけ、退位して皇位を皇太子さまに引き継ぎたい意向を示唆した。


世論調査の結果は、大多数の日本国民が陛下の意向を支持していることを示した。安倍首相と保守層は従うしかなかった。それから2年の年月を要したが、陛下はついに退位の日を迎えた。


5月1日、皇太子さまが新天皇に即位し、時代は「令和」に変わる。
(英語記事 Japanese Emperor Akihito's human touch)


明仁天皇美智子皇后、お疲れ様でした。ご夫妻が日本人の象徴であることは、国民の誇りだと思います。みんながあなた方のような強い意志と慎ましさと優しい心を持てたら、日本は他国との軋轢などない、ヘイトも差別もない平和な国になるだろうと思います。


象徴とは、国民が見習うべき道徳の規範であり、善なる精神的支柱。浩宮さんも、教鞭をとった知人に聞くところによると、『本当に善い人』なのだそうだ。
兄を別の立場から支えたいと思うリベラルな弟君もいる(バッシングなどとんでもない)。偉大な”Consoler in Chief”のお心の継承を。



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