密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

前原民進党の第二自民党保守中道で国民の生活は変わるのか? 

常に残念な民進党。そのグダグダしたはっきりしない体質が、はっきり姿を現した。民進党の多くの議員は、前原氏を支持=第二自民党構想に舵を切った。
政権交代可能な二大保守政党、あっちがだめならこっち、国民にあまり代わり映えしない政権を行ったり来たりさせ、それでも”共産党に日本を乗っ取られるよりまし”というステレオタイプを駆使し、新自由主義者同士のキャッチボールが始まる。


思えばそれが日本国民の望みなのだろう。だから戦後70年のほとんどが自由民主党政権で事足りてきた。しかしそれは、敗戦後の0スタートからの上り坂の高揚感。一億総中流時代の満足感、終身雇用制がもたらした人生のプラン安定感、医療費負担や高配当年金んい夜老後への安心感があった社会に支えられたきたからだ。お任せ政治、どうかうまくやってくださいよ、と一任できた、概ね満足な時代は過ぎ去った。


成長し続ける社会を成熟と安定に導くべき政治家が、2000年を境に、強気のもっと!!を打ち出し、アメリカの共和党政策を真似て小さな政府を標榜、終身雇用制を壊し、リストラという言葉が聞かれるようになると、徐々に弱いものから追い詰められ始めた。
社会の許容量が減り、ネット上の匿名のバッシングが横行し、虐待が増え、差別が表面化した。社会保障も削り、企業減税で格差社会を生み出し、正社員と派遣社員は社会の階級と化した。”国を強く”することを第一目標に、国民を絞り上げ、結婚もできず、子供も持てず、生活の余裕もなくし、消費も落ち込む。結果、この国は体力がなくなってしまった。


保守とか革新とかいう言葉なもう当てはまらない。岩盤規制破壊の革新安倍政権。
憲法順守護憲政党の日本共産党。保守・中道保守・保守二大政党と70年のお任せ政治の安心感がもはやない夢を掻き立てる。


国家も年をとる、サイクルがある。日本は世界の中心で拳を振り上げる青年の国でも、
世界の中心を牛耳る壮年の国でもなく、一息ついた知恵と経験を生かし静かに傍で
アドバイスを送る熟年の国でいい。サイクルはまた若返ることもあるだろうが、大きな心で、サポートに回る。助言援助を必要とされる落ち着いた国であるべきだ。


そうした国は、国民の暮らしの安定が第一で、幸福感が第一で、勝ち負けの過剰な競争社会はいらない。


前原新代表の投票前の決意表明。彼の”All for All"は、支え合い助け合いを目指すというが、その助けの必要な横一線を強調し、お互い助けるためです、消費税アップしますという。横目線ではなく、縦目線で一般庶民の届かない雲の上で何が行われているかは、知らされないで、”All for All"の助け合い?


どうも、前原氏の言うことは、政治家独特の玉虫色の融通無碍を感じる。


親の所得の多い少ないによって、子供まで生涯年収の多い少ないが変わる。


つまり、格差が再生産されている。


それが今の日本の姿ではありませんか。


私はこんな不平等な社会は変えたいと思っている。


是非皆さん、我々で全ての子供に平等な社会を作ろうではありませんか。
ALL for ALLで、最低限の暮らしを「施し」でなく、権利にしたい。


だから消費税が必要だ、と?ALL庶民 for ALL庶民 企業増税になぜ触れない?
原発0、なぜ、直ちに着手を約束しない。


真面目に納税している皆さんがたに、それが「あなた自身のため」と実感できる社会にしたい。


多くの国民が「民進党に政権交代などできっこない」と考えてます。


決意を示せば、失笑・冷笑で迎えられるでしょう。私はそれを変えてまいります。



どうやって?前原氏の言うことは、必ず、どうやって?と疑問符が出る。
民進党の不人気は共産党との共闘のせい?共産党と組めない大きな理由に、天皇制を否定しているような政党とは組めない、とも言っていたが、天皇制の云々など、政策でもなんでもない。


共産党は、はっきり、党としては天皇制を否定するものだが、憲法に則り、国民の総意によるものを尊重するとしている。
共産主義によらず、本来、人間は生まれながらに平等であるべきで、その観点から、生まれながらに特異な地位を与えられている人間やその制度はおかしい、と思うのは当然の論理的帰結。


天皇家憎しとかそういうことではないだろう。また天皇になるという生まれながらの選択肢のない生き方を運命付けられる人がいることも、人権的に問題がある。


常に監視監督され、子供を持つことも国事扱い。国民総意で天皇家という家系に犠牲を敷いている部分もある。それでも、国民が望み、天皇になる人がその立場を引き受けることの合意があれば、存続される。 何も目くじら立てる論拠ではない。


自分たちは、曖昧に言葉を濁したり、筋の通らないことをしたり、利害で手を組んだりしているくせに、共産党に対しては、鬼の首を取ったように目くじらをたてる。


共産主義を理想の社会形態と思うことは何も悪くない。しかしその思想には、人間のサガが含まれていない。人間社会は共産主義を行えるほど、純粋ではないのだ。


それでも、理想は持っていたい。その何が悪い。できうる限り理想に近づくよう努力する。誰でもそうだ。現実とも折衷する。自分の理想と現実のギャップも含め、理想は形を変える。何が悪い?


私は共産主義は現実的に難しいと思う。それにそうなったら、つまらなそうだという先入観?がある。プロレタリアートのプロパガンダアートがつまらない(こういうふうに思うことも理解していないが故の偏見かもしれないが)。贅を尽くすことで生まれる美・文化、”正しいこと”の外側にもある人間の真実、腐ったものも美味しいと感じる感性も大切だ。


でも、出来うる限り貧富の差をなくそう、働いた対価をきちんと各々が受けとける社会を目指そうと、一生懸命模索する人たちにも敬意を払う。 そしてそうした理想を持つ人たちが自分たちの信じていることもまた、完全じゃない、多様な幸福感、価値観を許容し、変化してゆくことを歓迎する。日本共産党の変化を歓迎するし応援するし期待する。
日本共産党は中国とも、ロシアとも違う、日本で育まれた独立した独自の政党だ。


一番最悪は、全体のために個人を奉仕させ犠牲を強いることだ。全体主義、国家主義がそれだ。


前原民進党には、期待できない。なぜなら、烏合の衆であって真の多様性がないからだ。自分と違うのものに対し、頭ごなしで人の努力や変化を認めないからだ。そして、何より政治屋さん的上から目線だからだ。


ただ、野党共闘が、小沢一郎氏との接触でいい方向に動き出してくれることを
”祈ります”


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