密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

責任の所在 正義の所在・弁護士大量集団懲戒請求問題についての追記

弁護士大量集団懲戒請求について書いた記事に、猪野亨弁護士より、コメントをいただいました。コメントは公開しています。ここでも転載させていただきます。


<猪野亨氏コメント>
お読み頂き、ありがとうございます。
 この問題ですが、「軽率な浮かれ者たちには、警鐘を鳴らし、謝罪と取り下げで済ます部分が大半になる結果であればいいし」の部分ですが、これを一人5万円を払えば取り下げてやると言っているから問題だと思うのです。何人も「和解」しているというのですが、既にかなりの額になります。
 それにこれは明らかに共同不法行為です。胴元がとりまとめて一括して弁護士会に同じもの(名前だけ違う)を送ってきますからどう考えても1つの不法行為。その損害が3億になるなんてやっぱりおかしいんです。
 それに胴元は含まれていません。胴元は卑怯にも自分の身元は明かさず、この大量懲戒請求にも加わっていません。
 だから、私はこの請求には違和感があるのです。


私がいくつか勘違いをしていた点がありました。訴訟を提起されているお二人の弁護士に一人5万円を”示談金”とは理解していなかった。
損害賠償請求金額が5万円と勘違いしていました(確かに、裁判をするなら、安すぎますよね)示談しなければ提訴して、30万から200万くらいの賠償金額求めることになるだろう、と記者会見で言っておられた。
だから、”謝罪と取り下げで済ます部分が大半になる結果であればいい”というのは、厳重注意にとどめてくれればいいという意味で書いたのですが、誤りでした。
弁護士から5万円払わなければ訴える、と言われれば、払っちゃいますよね。動機が正義?とはいえ、確かに違和感はあります。


そして、もっと驚いたのが、この集団懲戒請求に請求を煽り、というか指導した、余命ブログの胴元は、自分では懲戒請求を出していなかったということです。提訴されている2弁護士は、胴元の刑事責任を追及したい、としています。どちらかというと、それだけでいいような気がしますが。それなら、より明確な社会正義の実行で、調査比用等もカンパで集められても問題ないように思います。


お二人によれば、示談を申し入れてきた人たちは高齢者(5万10万ポンと払えるなんて余裕のある人が多いのか?)が多く、自分たちの行動の結果がどういうことかわかっていなかったと電話で訴えたそうです。これは嘘・言い訳のような気がします。中学生でも、相手の弁護士活動をやめさせることを求める行動だと理解できるはずですから。ともあれ、いい年の人たちが、”日本を良くする”と信じてやったということです。朝鮮学校を排斥することがなぜ日本を良くすると考えるのか、理解不能です。しかし、私の日本の友人親族にも韓国を蛇蝎のように嫌っていることを言ってはばからない人がいるので、想像できますが、困ったことです。『その情報どこから?調べてみたいから』というと、嫌な顔をして沈黙することもしばしばです。


ただそういう人の論拠が、2チャンネルとかのネットの情報で、十分な検証をせずに信じて(虚構新聞の記事を事実と思って拡散してしまった知人の例もありました)それを自信たっぷりに周囲に話す、周囲はそんなことは普段考えていないので、へぇそうなんだぁ〜とすぐ信じる、という構図。その根拠に乏しい、一部を取り上げ、捻じ曲げ、意図的の拡散させた人間が、今回のように、自分の氏名住所を明かす抗議方法を提唱し煽り取りまとめ、しかし自分は参加せず匿名を維持して高みの見物をしている。この非常に傲慢で卑怯な愉快犯的態度を、このブログ主を信じてきた人たちは、よく考えてみる必要があると思います。


自分が元凶を作り、周りを動かし(でも直接指示はしていない)いざ責任を問われると、知らんぷり。安全圏にいて大きな顔をしている様子は、まるで安倍首相の態度のようです。


この胴元を刑事告訴できるか否か、法律家の努力に任せ、こうした無責任で犯罪的な煽りに踊らされる危険が常にある、一般人である私たちは、安易に他人の言動の尻馬に乗る、調べもせずに信じ込む、みんなが言ってるから、という同調ことを、意識してやめなくてはいけない、それは嘘ばかりの政権が、同じことを繰り返せば、国民は飽きて忘れるとたかをくくられる現状を変えてゆくことにも繋がると思います。


正義の多面性については、
「正義」とは何か 大量懲戒請求者に対する損害賠償請求の意義 - 弁護士 猪野 亨のブログ
を読んでみてください。正義の所在は常に時代の価値観に、その人の立ち位置に左右されます。だからこそ、一人一人が自分で考えてみる必要と価値があると思う。一見正義に飛びついて同調、フルボコに興奮するのは、ネトヨウの方々と同じになってしまいます。しかし、攻撃されて泣き寝入り、というか孤立無援で怯えているのも辛く悔しいことです。前記事のスタバでの不当な差別的発言に対するアメリカの人たちの対処に学ぶべきものがあると思います。不当な攻撃、差別にさらされた個人を日常の次元で擁護できる社会、人権意識の浸透、多様性へのキャパセティーが助けになるだろう。そして、追求すべきは無責任に同調した人たち(反省は必要ですが)ではなく、第一に、そのように誘導先導し自分は高みの見物をしているような人間たちです。自分の命は惜しんで玉砕を命じる戦時下の帝国軍部・上層部のような人たちです。軍部主導の日本偉いぞ強いぞに興奮しお互いを監視し縛りあい、最終的に引きずられ逆らうことを許されない体制に封じ込められ、悲惨な結果を招いた先の大戦を忘れてはならない。いい意味でも悪い意味でも”みんなが**”という日本人気質、しかし、今、同じ失敗を繰り返してはならない岐路に立っている。自分の頭で考え、自分で検証し、日常的に、冷静に穏やかに言葉を発する(デモは別、大いに怒りの声をあげて)努力がより必要な時だと思います。


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