密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

なぜ女性専用車両が男性差別だと考えるのか?

女性専用車両を男性差別として、抗議の意味を込め女性車両に乗り込むという行為を行なっている人々がいると記事になっているのに驚いた。差別とは本人がどうしようもない属性を理由に精神的、身体的、迫害や抑圧、未来に対する選択や、社会的、経済的に不利益を被り、またその差別が認識され是正されるまでの多年にわたる抑圧と抵抗の歴史の上に成り立っているものだと考える。
差別というからには、この主張を行う人々は、女性専用車両によっていかなる精神的、肉体的苦痛及び不利益を被ったというのだろうか?
どうも、そんな苦痛も不利益の想像できなのだが、、。

リテラ記事より、中心人物の主張は以下のとおりだそうだ。
24日に渋谷で女性専用車両に反対する街宣をおこなおうとした人物で、「差別ネットワーク代表」の「ドクター差別」こと兼松信之氏は、産経のオピニオンサイトである「iRONNA」の寄稿文のなかで、こう主張している。


〈私、「ドクター差別」は週に1回か2回、仲間と一緒に、あるいは単独で「女性専用車」に乗車します〉


〈「動機」は単純です。鉄道会社が「乗れる」と言っているからです。ですから、何かトラブル等が起こって、鉄道係員に説明が必要な場合には「もし、鉄道会社が『男性は乗れない』と言うのなら、乗らない」と申し上げています。「わざわざ」乗っていますが、「無理矢理」乗っているわけではありません〉


〈私は「男性差別と同様、女性差別にも反対」ですし、「痴漢対策には大賛成」です。ただし、「女性差別を解消すると称して、男性差別をするのは大反対」ですし、「痴漢対策と称して、男性対策をするのは大反対」なわけです〉


なんだか屁理屈で女性と女性の社会における不快感(生きづらさ)を軽減しようとする動きにいちゃもんをつけ、嫌がらせをしているだけにしか思えない。しかも非常に生産性のない行為でもある。


「”痴漢対策と称して、男性対策をするのは大反対”なわけです。」とおっしゃっている。痴漢をするような奴と、自分のような立派な男性を一緒にするな、と怒っているわけですね、この方は。(立派な日本男性が他国市民の虐殺や性奴隷化などするはずがない!!という盲目的感情的主張とどこか似ている気がする。やれやれ、、)


そもそも、痴漢をしない男性への差別・侮辱 ということに憤っているのなら、それはおかしな考えだ。女性専用車両は、痴漢でない男性を、冤罪から守る効果もあるという利点をなぜ考えないのだろうか?女性が痴漢の被害を訴えやすい社会になったことは、本当に良い進歩だと思う。しかし混み合った車内で被害女性や周囲の目撃者にも特定が難しい場合もあり、かつ間違えであった場合でも立証が難しく、疑いを晴らせない場合や、事後の風評被害のダメージも大きい。痴漢など絶対しないという男性は、女性専用車両を評価して、もっと拡張徹底を呼びかけるべきだ。


女性専用車両への攻撃など、女性に嫌がられることに非常に過敏な男性の逆ギレ気味の幼稚な被害妄想といっても過言ではない気がする。そういう自分たちのフラストレーションを、”差別”だなんて大仰に定義をして、理屈にもならない理屈をこねくり回すのは、自己の狭量さ卑屈さを世の中に晒す分、恥ずかしいだけだ。何より女性に嫌われ、負のスパイラルが続く。


女性車両が女性優遇というのなら、男性専用車両を設ければいい。男女比率でもっと分化してゆけばいい(女性車両、男性車両、混合カップル車両は双方合意の男女グループ・カップル、および複雑になりすぎるので、当面は痴漢被害が顕在化していないGLBTの方々には妥協して利用していただく、、という具合に)。


個人的未来の展望はさておき、仮に男性専用車両ができたとしても、それは女性差別だ!!と男性車両に乗り込む女性はいないと思う。こうした点を見ても、女性車両が男性差別などと騒いで実力行使で居座ること自体、男性優位社会に甘やかされた、自分の痛みを伴わないかつ他人の痛みに想像力のない人たちの差別の名を借りた嫌がらせであり、昨今の日本の男性劣化のシンボルである。


在日コリアの人たちのコミュニティーに乗り込んで恫喝・脅迫もしかり、自分が優位に立てる(立場や肉体的に)弱い集団に乗り込んで身勝手な権利を主張し、恫喝する行為は、人間として最も恥ずべき行為だということを自覚してほしい。


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