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野党共闘とは何かを見直す時+山本太郎自由党から独立、長州維新討伐の令和新撰組 

昨今の小沢代表の行動から、いずれはこうなるだろうと思っていたが、相変わらず、派手に悪目立ち?のネーミングセンスは健在だ。『新党 今はひとり』『山本太郎と仲間たち』そして『れいわ新選組』。 小沢一郎氏には恩義も感じ尊敬もしていただろうから、断腸の思いの苦渋の決断でもあるだろう。こちらは会見の模様。

2019.04.10 参議院議員 山本太郎 記者会見@参議院議員会館
寄付によっての資金集め、その集まり具合によって、また、山本氏以外の候補の擁立の可能性をさくってゆくという。5月後半までの目標1億円を目標に、集まれば、10人擁立、集まらなければ、自身の東京選挙区のみ。政治団体としては届け出済みではあるが、
れいわ新選組」は参加する議員は現在のところ、山本氏1人だけなので、政治資金規正法の対象としての「政党」には該当しない。


政策としては「消費税の廃止」や「辺野古基地の建設反対」「原発の即時禁止」などを掲げた。


いわゆる野党結集というのは、どこまでのイメージであるか?という質問と、歴史的に見て新撰組=新選組という命名はマイナスイメージあるのでは、という質問、が出た。



■名前の由来は?(ハフィンポスト記事より)
前日の4月9日には、山本氏が離党して新党「令和新撰組」を立ち上げる方向だとテレ朝newsが報じたが、まもなく記事を削除していた。


山本氏は会見冒頭で、「山本太郎は自由党を離党します。ただし、これには時期があります。統一地方選の後半戦が終わり、国民民主党と自由党の合流の可否が出たあとになります。離党というのは、そこになります。離党しないという選択肢はなく、どちらにせよ離党します。その間にも準備を進めていくという状況です」とした。


その上で「昨日の段階で出た報道ですが、一部違うところがあります」として政治団体の正しい表記を「れいわ新選組」と紹介した。


名称の由来について山本氏は「一つはアイロニーが込められている。それについては想像にお任せします。元号についての思いは人それぞれ。新しい時代に新しく選ばれる人達という意味。(幕末の)新選組は幕府側・権力側ではないかという意見もあると思うが、今の権力は誰が握っているかというと、主権在民だ」と話した。   


ハフポスト日本版が山本氏に「幕末の新選組は、明治維新に勝てなかったという意味で縁起が悪いのでは?」と質問すると以下のような回答だった。


「過去は、そうでしたね。でも、新しい時代ではどうかというと、維新を名乗りながら、権力にべったりという逆転現象が起きているから気にすることはないと思っています。自由民主を名乗る者たちが真逆なことをしている。そういう逆転現象が起きるのが永田町だと思ってもらえれば」



国民のための新撰組ーということか。そういえばNHKドラマ新撰組では原田左之助(はらだ さのすけ)役だったよね。Wikipediaによると、原田左之助は『甲陽鎮撫隊の敗戦後、永倉と共に隊を離れ、江戸で同志を集めようとしていた所、永倉が旧友と再会し、靖兵隊への参加を持ち掛けられるも旧友との縁から永倉が承諾したのに対し、「別の隊に加わるつもりはない」と拒否。永倉とは笑顔で分かれ、妻のいる京に戻ろうとする。近藤が板橋の刑場に引き立てられた際に現れ、甲陽鎮撫隊の敗戦後、永倉と共に隊を離れ、江戸で同志を集めようとしていた所、永倉が旧友と再会し、靖兵隊への参加を持ち掛けられるも旧友との縁から永倉が承諾したのに対し、「別の隊に加わるつもりはない」と拒否。永倉とは笑顔で分かれ、妻のいる京に戻ろうとする。近藤が板橋の刑場に引き立てられた際に現れ、「尽忠報国の士天晴れなり!新選組は不滅だ!!」と、涙ながらに熱いエールを送り、近くのお地蔵様に供えられていた菓子を食いながら「俺も不滅だ!」と言い、颯爽とどこかに駆け去っていった。


「尽忠報国の士天晴れなり!小沢一郎は不滅だ!!」涙ながらに熱いエールを送りそして、「俺も不滅だ!」颯爽と新党立ち上げ去る。といった風情の独立。このドラマあまりの三谷風すぎて見る気がしなかったが、さすが人と個性に執着する三谷幸喜、見てみよかなという気になった。)


だって、無理だろう、国民民主党(民進党右派)のメンバーに山本太郎!?なんて。
それは応援してきた人たちへの裏切りでさえある。そして裏切れない太郎は敢然と一人、荒野に旅立つ、といったところか。今回改選の山本氏にとって、離党は退路を絶っての挑戦でもある。


山本氏の独立は、まとまらない野党共闘、その原因は枝野立民と業を煮やしてのこと、という見方も一部にあるが、はたしてそうだろうか? 枝野立民の、慎重さというか、排他的とも捉えられる姿勢には、確かに好意的な感じは持っていないだろうけれど、野党結集にはやはり、立憲民主党の力が(中心的存在として)必要だとも論じている。政治生命がアウトになるかもしれない賭けであると覚悟して上で(小沢氏にもそう言われたようだ)何かの変革の起爆剤としての(宮本岳志氏の無所属立候補もそうだろう)アクションであると思える。


地方選前半は、総合的に自民が議席を増やす結果になった。野党第1党の立憲民主党は31増の118議席、国民民主党は60近くも減らす83議席、共産党は12議席減の99議席(ただし、定数1の和歌山県御坊市区で自民党現職との一騎打ちで勝利するなど、新たに議席を獲得する選挙区も生まれた)


旧民進党保守派の票が自民に流れている。国民民主の掲げる、”反自民の保守の受け皿”ではなく、嫌国民民主の受け皿が自民ということだ。国民民主なら自民の方がマシ、という国民の判断。立憲民主もかつての仲間という情のつながりで、抱き合わせの心中は嫌だろう。いくら反安倍でまとまるまとまるとお題目を唱えても、まとまって、勝ったとしてもまた分裂でゴタゴタで決められない政治になることは国民も見切っている。


豪腕小沢氏の、敷居の低い国民と合流は、いかがなものかと思っていたし、森ゆうこ氏や山本太郎氏のような原発政策を掲げる議員はかなり無理を強いられるのは想像に難くはなかった。”野党が一つになれば勝てる”は、数の上での計算でしかない。野党も市民も、共闘とは何か、をもう一度根本から考え直して見るべきではないか。


胸襟を開き、何歩も前に進み出ている共産党を、まだ足りないという小沢氏は、自分の定義に当てはめて考えすぎているように感じる。


勝てばいい、だけではない。勝ち方が問題である。筋の通らない政治に立ち向かうには筋の通った政策を持つ、志のある政治が必要がある。


ブレない共産党、頑固な立憲民主党、それを反安倍触媒で融解して一つに混ぜても、
悪臭を放ち、分裂が起こるだけだ。(とはいえ、大阪12区補選の”無所属”宮本氏に対しては、尊して支援推薦を行って欲しい、失うのはあまりに惜しい人材であるからだ。)


我々は、”野党は共闘の”の定義をもう一度、話し合い、見直すべきだろう。
そしてそのイニシアチブを取るのは、枝野幸男氏の役割だ。自分の党の理念を説明し、全体の野党共闘を見据えたイニシアチブを取るべきだ。しかしそれは、数では勝てるというようなものであってはならない、野党共闘の新しい形の定義でなくてはならない。


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