密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

人の嫌がることをして、何がおもてなしなんだろう。日章旗を振りかざす東京五輪

東京五輪は”お・も・て・な・し”とボランティアに無償にサービスの提供を呼びかけ、その実、見栄えのいい再整備や新建築物、クールジャパン仕様の宣伝広告戦略、
デジタル・電脳化を一気に進める国家の一部の人のための成長戦略。


本来の”お・も・て・な・し”の心とは、相手の身になって、考えることから始まるものだと思っている。相手の辛い気持ちや不快な気持ちを逆なですることはおもてなしに反するのでは?


それとも中国韓国およびアジア周辺国の人たちはおもてなしの対象ではないと?
ホワイトカラーの戦勝国のみがおもてなしの対象?



この人たちは、東京五輪をいったいどんなグロテスクなイベントにするつもりなのか。内閣改造で入閣した橋本聖子・五輪担当相も、「旭日旗」の東京オリンピック・パラリンピック会場への持ち込みについて、禁止せず認める方針であるとした。
 12日の会見で、韓国が五輪会場への旭日旗の持ち込み禁止を求めていることについて「旭日旗が政治的な宣伝になるかということに関しては、決してそういうものではないと認識している」と語ったのだ。


本サイトでも既報のとおり、今月はじめ、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会が、「旭日旗は日本で広く使用されるため、それを防ぐ理由がない」「旭日旗自体には、どのような政治的意味も含まれていない。そのため禁止品目とは見なさない」として、「旭日旗」の持ち込みを認める方針を示していた。
 橋本五輪担当相つまり安倍政権は、この組織委の判断にお墨付きを与えたのである。
 橋本五輪担当相も東京五輪・パラリンピック組織委員会も「旭日旗に政治的意味はない」「旭日旗が政治的宣伝にならない」などとデタラメを吹いているが、「旭日旗」は紛れもなく戦前・戦中日本の軍国主義の象徴だ。韓国や中国のみならず、日本が侵略したアジア諸国からも反発が起こることは当然であり、しかも、まがりなりにも「平和の祭典」を標榜する五輪に持ち込むなど、国際社会の常識で考えればありえない判断だ。

こんな理屈が通るなら鉤十字はただのシンボル、日本なら寺院のマーク、旗を振っても刺青入れたも問題ないという理屈も通る。当然ドイツでは通用しない理屈だ。
 
国際オリンピック委員会がこのまま看過するとも思えないが、「旭日旗持ち込み」が強行される可能性もゼロではないだろう。橋本五輪担当相の「旭日旗持ち込み可」発言は、橋本五輪担当相が「私の父」と言ってはばからない東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の意向に追随したのと同時に、その森会長とも極右思想をともにする安倍首相の意向を反映したものでもあるからだ。


ここ数年、安倍政権は、「旭日旗」をめぐって、大日本帝国の軍国主義の象徴であるという負の歴史をネグり、正当化しようという動きに出ている。

 2017年サッカー国際試合での「旭日旗」持ち込みが国際的に問題になった当時、菅義偉官房長官は「旭日旗は差別的ではないとの認識か」との質問に対して、「自衛隊旗や自衛艦旗だけではなくて、大漁旗やしゅっさん、節句の祝い旗など、日本国内で現在も広く使用されていると考えている」などと会見で述べるなど、事実上、旭日旗の使用は不適切ではないとの認識を示した。
「日本国内で現在も広く使用されている」と言うが、それは在特会などのヘイトデモではないか。
 さらに、今年5月には、日本の外務省がホームページで「旭日旗」に関する説明文書をアップ。「旭日旗」が大日本帝国・軍国主義の象徴であるという史実を完全にネグり、“まったく問題ない”と強弁しているのである。
 しかし、安倍政権や東京オリンピック・パラリンピック組織委員会がどんなに「旭日旗自体には、政治的意味はない」などと強弁しようとも、「旭日旗」が大日本帝国・軍国主義の象徴であるという史実は揺らがない。むしろ「旭日旗」正当化は安倍政権の歴史修正主義の象徴であり、政治的宣伝にならないどころか、大日本帝国の侵略戦争の正当化というプロパガンダそのものだ。


現在の国際秩序への挑発であり、こんなものをオリンピック・パラリンピックという「平和の祭典」とも称される国際イベントの場に持ち込むなど、許していいはずがないだろう。
記事はそのあと「旭日旗」が、現在の「海上自衛隊旗」も含め、いかに問題あるものか、検証したことがある。以下に再編集して、掲載する。「政治的宣伝ではない」「政治的意味はない」などという橋本五輪担当相、安倍政権の説明がいかに欺瞞に満ちたものであるかを紹介している。


3年前の帰国時と比べても、日本はなんだかますます変な雰囲気に満ち満ちている。
端的に言えば、みんなが強いものに巻かれて生きている、そんな様だ。誰かがデザインした社会に否応なく適応させられているような居心地の悪さを、ぐんと肌に近く感じている。便利で清潔でなんでもインターネットで調べられて、疑問を持たず、受け入れていれば、何の不自由ない(普通は)。本質など考えず、与えられたものを享受すればそれでいいという人生。無意識の怒りや憤懣は、やはり用意された、隣国の内政干渉的非難にふり向けられる。本当に気持ち悪い。


日章旗にしても、国民がこの旗に抱くイメージも戦争だろうし、なぜ五輪で振りかざす人々を政府が容認する?しかし、そのうち、だんだんと日章旗は現代の国威高揚のシンボルだ、という認識がすりこまれてゆくだろう。


自国に甘く韓国に厳しい意見を持つ人が本当に増えている。人のことより自分の国のことを考えたらいいのにと思う。日本は国際的に見ても、韓国の何倍もおかしな方向に行っているのだ。もう少し、自分の国を冷静に見て、真剣に考えることの方がよほど愛国的だ、と思う。


平和とスポーツの祭典にわざわざ政治的論争を持ち出しているのは日本政府だ。国際社会では通じない理屈を自国内で通用させ、またしても恥をかく独善的閉塞国家日本


人の嫌がることをしない、(ましてや平和とスポーツの祭典だ)。これ人としての基本ではないですか?


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