密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

噛み合ない民主党質問、「どう思いますか?総理」はやめるべき。

国会衆議院予算委員会、全く噛み合ない議論。いくら民主党が格差拡大、庶民の生活水準の低下、貧困をのべても、最後に「どう思いますか?総理」と聞く。総理は自説を滔々と述べ、達成されていない,成果が見えない事はこれから起こってくるといい、政策方針は全て間違っていないとの答弁に終始する。


いつも思うのだが、民主党の安倍総理に対する質問の仕方が、逆に安倍をべらべら喋らせるようになっているのではないか。安倍政権のやり方を責めて、国民の実感を訴え、「どう思いますか?総理」
どう思うか聞かれた総理は自説をべらべら。この繰り返し。


大串議員は、強行採決、議事録改ざんの強い追求も最後に、『総理、このことをどう認識しているのか?』と問う。総理の口から何が聞きたいのか知らないが、けして聞きたい事は出でこず、へ理屈、言い抜け、饒舌の自論でうめつくされる。あそこまで攻めたら、違憲廃案、議事録改ざんの責任追及をはっきり打ち出す方が、事態が明確になるだろう。


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ


にほんブログ村


民主党(維無)は何を期待して「どう思いますか?総理」と聞くのだろうか? 総理が,仰る通り、私の方針が悪いと認めると思うのだろうか? 敵は歴史的事実さえねじ曲げて主張する脳みその持ち主なのだ。民主党の攻め方は正攻法で、しかも議論の先を読んでの構成がされていないようにも見える。


総理に正義を訴えても,相手は正義の概念が違うのだ。「どう思いますか?総理」はやめるべきだ。
「私はこう思うのですがいかがですか総理」と云う自分のカードを晒して、相手に問うやり方は、特に相手に良心、倫理観,公正さが期待できる場合は成り立つだろうが。その上、民主党が与党時代の政策と結果を持ち出して比較しても、安倍が民主の過去の成果を認める訳がないし,現在進行形と,過去結果の出ている政策では、現在進行形はいくらでも未来の成果を立てに、言い抜けもできる。


共産党議員や山本太郎議員は、チェスのように,質問も廻りを固めつつ、逃げ道のない方向に追いつめるプロットがあるように思う。こういうやり方は相手も用心し,好き勝手にべらべらまくしたてたりできない。本質が分かっていないなどと,放言を放つ余裕も奪う。


そういう意味で、今回の階猛議員の質問の運び、プロットは,とても良かった。こういう攻めで全て行えれば、安倍のピントはずれの余裕しゃくしゃく態度を見る事なくなるだろう。
安倍の辞書に”論理”と云う言葉はない。そういう相手に真っ向勝負+お互いの理解を得たいと云う議論は無駄と云うもの。


国会質疑も野党共闘。重複質問をなくし、安倍首相の言い抜けを予測して、連携で徹底的に追いつめる方法が必要なのではないかと思う。とにかく、安倍首相が,下手に答えられない質問、あるいは喋らせてチェックメイトできる構成、質問をする事で何を言わせれば勝ちか、野党連帯してを冷静に質問内容、順番を練って戦線を組むべき。そして、総理の反省、認識、意見を求めるやり方はもうやめるべきだ。


PVアクセスランキング にほんブログ村

ランキングに参加しています。宜しかったら
下のバーナーをクリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村