世の中がリベラルつぶしに動いている。
この記事をほぼ書き上げて、アップする前にブースター接種に行った。量も半分だし、前回程は、、と思っていたが甘かった。38度過ぎの熱が全く下がらず、丸々3日とんだ。
その間に、CLP問題はやや沈下を見せ、河瀬直美監督とNHKの捏造テロップ問題にシフト。NHKの軽くお詫びで済まそう対応、世論はこれを許さず、より大きな、そして根源的問題にまで踏み込む勢いを見せている。オミクロン=米軍問題、”地位協定見直さず”といういつもの日本政府のお約束対応は、今回は国民の不満の声を抑えきれていない。そして、国民民主と都民ファストの合流という、立民逆風に、時来きたりとばかりの玉木代表の軽〜い野心の発露など。そんなこんなで、記事の内容が、追いついていないのだが、取り合えずせっかく書いたので、アップしますので読んでください。
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立憲民主党は、比例区で大きく議席を減らし、自分たちの姿勢をぐらつかせ、枝野氏が辞任。連合の新会長の共産党排除姿勢と『批判ばかりの野党』攻撃を気にして、絶対与党に受け入れられないだろう『提案型』に舵きり。維新躍進で極右第三極政党連合に擦り寄る、国民民主とそれに同調したい立憲民主右派。
言論ネット空間でも、Dappi問題はいつの間にか下火になりそれより大問題化しているCLPと立憲民主党の寄付問題。公正中立なメディアとは?の議論は、問い続けていただくとして、なぜここまで、批判の矛先がむかなければならないのか?内輪の原理主義的潔癖議論は民主主義の根幹と捉えて、大いに怒り合うのは構わないが、それに同調し問題が全く別の流れを作ってしまうことも、考え食い止めなくてはならない。
今や”Another立憲攻撃”として定着している。事実の解明!事実の解明!!と右も左も叫んでいるが、それだけのエネルギーをDappi問題に注いだか?
そして、今NHKの証言捏造問題が、不適切な字幕への謝罪で、すまされようとしている。
この証言捏造は、オリンピック反対デモを印象操作し、沖縄の基地反対派への誹謗中傷以上に、”デモ参加賃金”という、全く無理筋のデマを、公共放送NHKが行なったという事実は重大で、それこそ、真相究明、事実の解明が絶対必要だ。
公正な言論空間、知るべき情報の発信を新しい試みを始めようと始めた人たちを応援したい、彼らの意識改革こそ望ましいと思った立憲民主党が応援に資金を提供した、という問題をこれだけ騒ぎなら、そのなん百倍のエネルギーで、この問題を明白にするべきだ。
ところが問題が大きくなると、政権に近くなると、”いじめがいが”ないのかトーンダウン。
いじめないでと必死に防御する相手には、どんどんいじめるのが快感という、群集心理を、何処かの誰かがうまく誘導しているかのような昨今だ。
そもそも、この番組は、”ドキュメンタリー番組『河瀬直美が見つめた東京五輪』”というもので、その中で、反対デモに参加している匿名男性のインタビュー(河瀨監督から街の人びとへの取材を任された映画監督・島田角栄氏の取材シーン)を取り上げ、「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」というテロップを映し出した。
ところが、問題の男性が肝心の動員された事実を語る映像は一切出てこなかった。
この放送に対し、ネット上では東京五輪の反対運動をおこなってきた団体やデモに参加した人たちが一斉に反発。本サイトでも、証拠なき印象操作であることを指摘し、NHKの責任を徹底追及していた。(リテラ)
NHK「五輪反対デモ参加者」証言捏造の悪質性は“『ニュース女子』並み”!ふだんの厳重すぎるチェックと異常な落差 その理由は?|LITERA/リテラ
彼らにとって意外な世論の反応で、『河瀬直美が見つめた東京五輪』を守らなければならないNHK。以前から河瀬直美監督の極右的発言やツイッターいいね、などが物議を醸し、オリンピックも8割の国民が中止延期を求めていたにも関わらず、
「日本に国際社会からオリンピックを7年前に招致したのは私たち」
「(開催が決まって)喜んだし、ここ数年の状況をみんなは喜んだはず」
「これはいまの日本の問題でもある。だからあなたも私も問われる話。私はそういうふうに(映画で)描く」
「コロナの不安をオリンピックにぶつけるという不満というのは、少し棲み分けないといけない」
河瀬氏の作品”あん”は感動的な映画だった。NYTimsの映画評も高い評価がされていた。社会的弱者、忌むべき人々とされた(されている)人々が、その立場を淡々と受け入れざるを得ない、悲しさと強さ。忌み・不浄の文化がDNAに根付いているかのような日本人の肌感覚。この作品は、こうした非科学的思い込みが社会の風潮となりやすい日本という制度に対して切り込み、また人と人との関わりがその偏見を心の内で、少し変えて行ける可能性を示唆した作品だった。
そんな河瀬氏が、オリンピックドキュメンタリー監督に抜擢されたのには違和感を感じた。同時に安部友的発言が報じられるようになり、何だろう?日本の伝統?古き因習に基づく家族の絆などに美を感じるうちに、昭恵的美意識・スピリッチャルにシフトしたのかもしれない。元首相夫人を試写会にご招待、一緒の写真に収まっているらしい。まあ芸術家はスポンサーが必要で、国家権力をバックにすれば、怖いもの無しだ。
”ルーベンスも宮廷画家だった”と自民党七人の侍を描いた有名イラストレーターが言った。
ゴヤも宮廷画家だったが、引退後の世に有名な怪物・魑魅魍魎の暗い作品を量産した。
ルーベンスだって、ゴヤも真っ青の、我が子を食らうサトゥルヌス を描いている。
ゴヤの方は進撃の巨人だが、ルーベンスは”子を食らうサトゥルヌス”より食われる、
子供の絶望が強く描かれており、プラド美術館でこの絵を直に目にした時に、好きではなかった巨匠ルーデンス(ただの凄腕で商売上手の宮廷画家という誤解?幼少期の、ネロの無念の象徴)深さと凄みを感じた。ゴヤは凄惨であるが、どこか個人的欲望(不安、歪んだ自己)の作品に見えるも、ルーベンスは、虐待される子供の成すすべの無さ、絶望と恐怖 諦めと苦痛。まさに多くの弱き者への虐待の絵である。
話が逸れてしまった。”宮廷画家”でも自己の精神の独立を保ち、自分の主題に向き合い続ける、権力の装飾が堕さな才能があれば、”宮廷画家”もいい。大きな仕事もできる。時に権力者に大きな影響を与えることもある。
ただ普通の人間は、いつの間にか、スポンサーのマインドに染められる。豊かさの代償も払う。
河瀬直美監督は安倍昭恵のお気に入り 「日本人が本来持つ精神性やアイデンティティーの大切さを訴えたい」と語ったことも
さらに、河瀨監督は公式記録映画のテーマについて語った産経新聞のインタビューでも「コロナ禍を克服した証しとしての東京五輪の姿を後世に残すとともに、日本人が本来持つ精神性やアイデンティティー(同一性)の大切さを訴えたい」などと発言。これは日本人が固有の精神性や同一性を持っているという、異文化差別、少数民族排除につながりかねないものだが、ようするに河瀨監督は安倍元首相をはじめとするネトウヨ政治家や極右言論人とほとんど変わりがない考えの持ち主なのだ。
そう考えれば、河瀨監督が権力側と一体化したかたちで東京五輪の開催を声高に叫び、「招致したのは私たち」「みんな喜んだ」とあまりに雑すぎる大きな主語で語ることによって体制側の責任を矮小化しようとするのも当然なのだろう。
だが、先にも触れたように、この年末年始に河瀨監督のドキュメンタリー番組をめぐって炎上が起こったのは、こうした発言の問題だけではない。最大の問題点は、NHKが今回のドキュメンタリーのなかで「東京五輪の反対デモにお金で動員されていた人がいた」と報道したことだ。
問題となっているのは、公式記録映画のために河瀨監督から街の人びとへの取材を任された映画監督・島田角栄氏の取材シーンだ。河瀨監督と島田監督は同じ映像専門学校の出身であり、島田監督の作品に河瀨氏が出演するなどの関係があるが、その島田監督が取材したなかのひとりとして、「五輪反対デモに参加しているという男性」が登場した。
その男性の顔にはボカシがかけられているが、島田監督と男性は公園へ。男性がベンチに座り、島田監督は地べたに座り込んで男性にカメラを向けている。その様子を離れた場所からNHK取材班が撮影している、という画だ。
すると、画面にはこんなテロップが映し出されるのだ。
「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」
つまり、この顔にボカシの入った男性は、五輪反対デモにお金をもらって動員された、というのだ。
本サイトも五輪反対派として取材をおこなってきたが、東京五輪に反対するデモや抗議活動で「金で動員をかけている」などという話はまったく聞いたこともない。一体どのように動員がかけられ、いくらの日当が出ていたというのか、訝しく思いながらも問題の場面を固唾を呑んで観たが、男性と島田監督のやりとりは以下の通りだった。
男性「結局、デモは全部上の人がやるから、書いたやつを、それを言ったあとに言うだけやから」
島田「デモいつあるで、どういった感じの知らせがくるんですか」
男性「それは、もう予定表もらっているから、自分」
島田「はいはいはいはい」
男性「それを見て行くだけで」
デモは全部上の人がやる」「書いたやるを言ったあとに言うだけ」という証言はデモや抗議の際に反対を訴えるためにおこなうシュプレヒコールの話だと思われ、つづく「予定表をもらっている」というのも、デモでは集合・解散場所が書かれた案内が配られることも珍しくはない。つまり、この証言では「金で雇われて動員された」ということは何も説明されていない。
だが、なんと男性の証言はこれで終わり。その後は島田監督が路上で電話をかけるシーンとなり、島田監督が河瀨監督の取材風景をニュース番組で見て映画の方向性に疑問を感じた、というナレーションが入るのだ。
”島田監督が河瀨監督の取材風景をニュース番組で見て映画の方向性に疑問を感じた”これに関しての深堀記事はないのだが、とても気になる。チーム河瀬の一員の監督が、どこに疑問を感じたのか?どう感じたのか?、現場にいてではなくニュース番組を見て、というのも、どういうことか。ここは突っ込んで取材して欲しかった。
日本の伝統や伝統を愛すると標榜する人々は、家族感〜家長制不権制〜天皇を父とする国家家族感八紘一宇や、スピリッチャル〜神道〜国家神道と考えを発展させてゆく、そしてその思いは揺るぎなく正義は我にあり、で、反対する人間は、利己的で、浅薄で何かの思想にかぶれ、大切な日本古来の精神を破壊してゆく、と考えている。ように推察している。
この悪い思想の中には、民主主義、国民主権も含まれる、と推察している。
アメリカでも、日本の右傾化が懸念されると言われてから、もはや20年に近くなっている。湾岸戦争で、一歩進んだが、まだ憲法を歯止めにしている部分があった。安倍アホ政権で、悲願の(誰の?)憲法9条骨抜き、国民監視体制(盗聴法、共謀罪、監視カメラは町のあちこちに、そしてマイナンバー)教育も道徳教育や「銃剣道」復活
こんな、馬鹿げた言い訳がましいもので、軍国主義教育復活を望む人々の願望。剣道に”突き技”という技術がある。危険なので多分中学生以下は、大会でも禁止のはず。
でその突き技メインの「銃剣道」を中学保健体育種目に加える。しかもこの技術拳銃を子供達にもたせ、訓練する。信じられないようなことを強行している。
文部科学省は3月31日付の官報で「新学習指導要領」を告示した。中学の保健体育では、武術の種目として新たに「銃剣道」を加えた武道9種目が記された。
着々と国粋主義全体主義の国づくりを進め、いよいよ悲願の改憲の前に、政権に反対する勢力を、これもこまめに潰してゆく。リベラルの内輪揉めの機会を逃さず問題を大きく取扱騒ぎ、すぐに自己反省、理念的潔癖Obsessionに陥りやすい、リベラルな人たちは、どんどん自滅してゆくのだが、最近あまりに状況が進んでいる。どこかで仕掛けている頭のいい人たちがいるように感じる。
プラスも、マイナスも、上手に進めている。大バカの安倍晋三+その周囲がやらかして、自民政権不信が高まり、政権交代か!?!とまで言われていたのに、馬鹿馬鹿しいとしか言いようもない立憲共産党政権攻撃、”それで議席を減らした”という立憲民主党の自己都合判断がリベラル殲滅の第一歩。援護射撃が連合新会長。最近は自民党といい関係を結ぼうとしているようだ。
立憲民主党の誰かに、目を覚ましてもらわなければ、いくら共産党やれいわや社民で頑張っても、次期参院選でのリベラル議席は、大きな後退は余儀なくされ、それを取り戻し取り返すには膨大な時間がかかる。その間どれほどの愚かな棄民政治が行われる。
しかし、今後、中途半端な仲間意識の数合わせに走らなければ、国民のための政治への真面目さで、ひっくり返せる可能性はまだあると思っている。
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