密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

もう,空気を読んでる場合じゃない。

MARUZEN&ジュンク堂のブックフェア撤去事件、放送大学の客員教授である佐藤康宏・東京大学教授の日本美術史の単位認定試験で出題した問題が、学内サイトに問題文を掲載する際に削除されたという一件、大学内に広がる,政治活動に携わる教員、学生への圧力、など言論封殺と云える現象が、自発的に広がっている。リテラによると佐藤教授の削除された問題文は「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった。それ以前から政府が言論や報道に対する統制を強めていた事実も想起して、昨今の風潮には警戒しなければならない。表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」+当時の画家への抑圧と云った内容で、まさに,今、私たちが学び自覚しなければならない過去からの警鐘だ。それも、たった一人の学生からの『問題なのでは?』と云う発言によって削除が行われたと云う。


日本は和を尊ぶ文化である、が、それは同時に”事なかれ主義”に堕する。”空気を読む”と云う表現は、集団の意志を察して,それに順応する事を是としたもの。お互いを縛り合う。それは”和”ではない。今、日本は70年来無い異常な状態が続いている。匿名性を盾に個人やグループ、企業にネットで攻撃を仕掛けることが効果的である、と認識した人々が,ことあるごとに自分の力を行使する機会を狙っている。彼らにとっては、自分に大きな権力があると錯覚できる、集団でするので連帯意識の高揚感も楽しめる、興奮する遊びなのだろう。そしてそれを助長する”事なかれ”対応がある。


多くの国が,あるいは戦前の日本が,独裁、恐怖政治に移行する時、必ず暴力による粛正が起こる。それはまず、非公式のグループによって,引き起こされる ナチス政権下のSA-ブラウンシャツ、ルワンダのインテラハムエ、日本の若い将校のクーデター、文化大革命の紅衛兵。政府は,彼らの暴力に憂慮し,たしなめるポーズをしめす。そうなった社会では、それに抗する事は,生命の危機を意味するので,私たちの多くは頭を低くして従ってゆくしかなくなる。確かに,集団で酷い事を書かれれば、気分が悪い。脅されれば怖い。企業であれば、ネット販売,宣伝等の営業支障がでるだろう。けれど,それに怯えて、ほんの少しの反応に自粛してゆく事は、無血恐怖政治の実現を手助けする事に他ならない。ちなみに共産党志位委員長のTwitterこの頃は応援ツイートもたくさんあるが、以前は(今も)酷い悪口がたくさん。それをそのままに、淡々とご自分のツイートを発信しておられる。信念のある胆の座った政治家であれるから,当然といえばそうなのだが、我々も、不当な悪口に一喜一憂しすぎない、反応しすぎないことが肝心なのかもしれない。


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