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菅長官「桜を見る会、残念ながら国民からまだ理解されていない」という発言が理解できない

菅官房長官の頭の中はどうなっているのだろう。国民に理解を求めるために、ことの次第、問題点を検証する名簿を破棄、隠蔽。そのつじつま合わせに、日本語の共通認識をぶち壊すは発言を二転三転。


そもそも、菅氏は、相手とのコミュニケーションを絶つことで、安倍政権のめちゃくちゃを守ってきた。「問題ない」「ご指摘はあたりません」しかしなぜ問題ないのか?なぜ義姉的が当たらないのか?を示したことはない。その場をやり過ごす実のない「真摯に受け止めます」「丁寧に説明します」も、決して真摯に受け止めたことも、丁寧に説明したこともなく、時間稼ぎで世論のクールダウンを待つ。


それも通用しなくなって、つじつま合わせに追われ、つじつまが合わなくなり、本人も何を言っているのかわからない状態 で、国民から理解されてない、、、って。



菅義偉官房長官は9日午前の記者会見で、国の税金を使って首相が主催する「桜を見る会」について、2021年度予算の概算要求をとりまとめる来年夏までに、招待者の基準や予算など会のあり方を見直す考えを示した。また、批判が収まらない現状には「残念ながら、(説明が)国民に理解されていない」とぼやきも漏らした。
 桜を見る会をめぐっては、政府はすでに来年度の開催見送りを表明している。菅氏は会見で、会の見直しについて、来年夏を「一つのめど」と発言。そのうえで「落ち着いた環境でじっくりと検討する必要がある」と述べ、招待基準の明確化や招待プロセスの透明化、予算、招待人数の「4項目」に加え、公文書管理のあり方なども、半年以上かけて見直しを進める考えを示した。
 

一方、菅氏は会見で、報道各社の世論調査で政府の説明に納得していないとの回答が大半を占めていることを記者から指摘され、「納得されていない方がたくさんおり、私どもの説明の仕方が足りないのだろうとも思う」と話した。6日の会見では自らの説明責任を「果たしている」とした強気が影を潜めた形だ。
 菅氏は6日の発言について、「午前午後2回の記者会見で30分ずつ様々なご指摘を受け、できる限りの説明をしている」としたが、「残念ながら国民からまだ理解されていないことを承知しているので、今後とも懇切丁寧に政府として説明したい」とも述べた。(安倍龍太郎)


「私どもの説明の仕方が足りないのだろうとも思う」いや、あの説明?を理解してしまうと言うことは、日本人として言葉の意味をきちん理解していない証拠だし、論理的思考ができていない証拠だし、良識の不文律を有していない証拠だ。だから理解できなくて当然なのだ。それを理解されていないと思う菅官房長官の思考回路が理解できない。


全ての安倍政権の問題は、きちんと根拠のある説明をせず、適切に対応している=自分たちがよろしくやっているので、文句を言うな、疑問を持つな 通し切ってきたことだ。
決して説明できないことをやっているのが明々白々で、どんな追及を受けても、そんな議論を一切無視で多数決で押し切ってしまうことが繰り返されてきた。


戦後 発展ー安定 平和主義 非武装 公平平等 民主主義教育を注意深く育ててきた社会。それを守るための制度は、新自由主義的には手つかずの花園であった。それを”岩盤”としてぶち壊し、あらゆる分野に手を突っ込み利益のつかみ取りを一部の人間たちにさせてきたのが安倍政権の改革だ。


その密室性、私物化、行政の歪みが、桜を見る会で最もわかりやすい形で可視化した。
かつて小さな花々が咲き乱れていた土壌に、巨大な一本の桜が出現しは四方八方に大きく根を伸ばし国の養分を吸い上げ、かつてそこに生きていた小さな花々を枯らしてゆく。
その桜を、自分に近い人間たちと愛でてはしゃいだ安倍晋三の宴、桜を見る会。 代々続いてきた、規範のある桜を見る会を、変質させ、国民に情報を与えず、恣意的に使ってきたこの会は全ての安倍政権のやり方の象徴だ。


これをまた、突き詰めず、飽きて放置してしまえば、それが菅長官の言う”国民から理解された”と言うことになるのだろう。


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