密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

台風15号猛威 ほんの少し、被災された方々の気持ちを共有できたように思う。

フロリダはハリケーンのメッカで、出発前もハリケーン情報・日本についても必ずハリケーン進路とパワー確認をし、フロリダの家族と連絡していたDさんである。
NYも雪吹雪、突風、時に竜巻、ハドソン川水害など、数多な危機に見舞われ、停電にはもう慣れた、という感じの生活を送ってきたが、まさか日本に来て、、、、とは思いもしなかった。


正直日本の台風、特に千葉県の台風被害を舐めていた。
家族の祝祭の手伝いと、老父母を訪ねたり、荷物整理を手伝うために、実家をおとづれ、
8日に東京に戻る予定でいたが、夕方から台風ということで雨風を避けて、翌日戻ろうという、今思えば最悪の変更をしてしまった。


まさか東京への交通手段が断たれ、広範囲の停電が続き、(幸い地元地域は断水はなかったがこの、ものすごい蒸し暑さの中、シャワーも浴びられなければ、不快を通り越して、皮膚にトラブルが起こる次元だ。)蒸し暑い中で、なすすべもなく、ただひたすら、交通機関の復旧待つのみ(パソコンもiphone使えない。一部地域では使えるのでそのあたりのスタバで電話や情報収集もした)


実家の屋根が一部破損しキッチンの天井が落ち水が流れ込む、同じ敷地内に立つ妹の家の
天窓から水が滝のようにリビングに降り注ぐ。みんな一睡もできずに対処に当たっていて、翌日、妹の事務所の屋根が飛び、お店のシャッターが85%吹き飛んで何処かに行ってしまったと知る。


東京に仕事を残して来て、帰国も決まっていて、なんとか東京に帰らなくてはと思っても、動かないものは動かない。ただ、家族の大変な時に共有できたことは、いつも遠くに暮らしているものにとって、良かったと思えることだった。


木更津は東京湾横断道路アクアラインの高速バスがある。JRが全く回復の見込みのないまま、アクアラインはかろうじて10日に再開した。停電の影響でスイカなど使えず現金のみ。バス停は長蛇の列、時刻はわからない。その横で、罹災証明の交付を待つ人たちも列を作っていた。気温はむせ返る湿気に強い日差し。健康被害も出たのではないか、と思われる。


それでも食料や飲み水、レストランも9日には営業開始していて、家にいても暑くていられないせいかみんな自動車でぐるぐる、信号もついていない、警察官もおらず(人手不足で?)事故も結構あった。隣町の山中で高さ50m級の送電鉄塔が倒壊し、周りの倒壊木べ復旧に近寄れず大変な有様だという”噂”が流れた来た(のちにニュースで確認)


しかし何もできない、ただただ忍耐しかない。何もできない。もっと大きな被災地、亡くなる人も出るほどの、家に住めなくなるほどの、食べ物飲み物が手にできなくなるほどの、プライバシーのないまま長い生活を強いられ、もちろん体を清潔に保つことも難しい、どういう支援が必要なのか?つくづく、グルメの総理大臣全権委任なんかより地元の必要に即座に対応する、現地主導型が一番であると思った。



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