密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

フランステロ、お寿司屋さんは大丈夫です。

パリのテロで,日本食レストランがターゲットになったと,ご心配が聞かれるが、アメリカでは、そんな報道はありません。情報網から言っても信頼できると思います。レストランの一つがカンボジアレストランだったのですが、ターゲット選びに特にどの国のレストランだからというわけでなく、レストランは事前のリサーチで金曜夜など多くの人でにぎわい、しかも攻撃しやすい(コーナーに面していて,双方から攻撃できる、外から店内の様子が分かるなど)事をポイントの選ばれたと言う説が有力です。


海外の日本料理店は、間口が狭い上、障子、簀の子などで窓を隠しているところが多いので、選ばれにくいと思います。くわえて、日本はISIL敵リストでは,かなり下の方。まあ国の代表が彼らのテリトリーで演説したり,お金を配ったり,挑発行為をおこなえば、ちょっと怖がらせてやるか(その結果殺害されたのだとしたら、後藤さんたちの死はより痛ましいものになりますが)ということで、犯行声明もだしたのでしょう。日本は世界の軍事の一年生です。(出来れば入学を辞退してほしいですが)安倍首相が気負うほど,相手にはされていませんが,米国の後ろをチョロチョロすでば、またちょっと怖がらせてやるかと、犠牲者を捜すかもしれません。今は、自意識過剰にならず、フランスの人たちに心からの哀悼を伝え、必要なら,平和的援助を申し出る事だと思います。




もちろん将来はわかりません。アメリカの空港のセキュリティーは911以降膨大なお金がかけられた。銃を持った兵士も見かけます。不定期に個人的に調べられます。テロから1−2年のうちは,みんなとてもナーバスで、飛行機が無事に着陸する旅に拍手がおこったりしてました。一度、シカゴの空港で公衆の面前で,おへそを見せるように言われた事があります。(皆ににって訳ではありませんが) きっと私の顔がすごく怒っていたのかもしれませんが,取り調べた黒人青年係官は「申し訳ない,自分もそこまでやりたくないんだけど、、」と済まなそうにしてくれて、まあ,仕方ないそれで安全が保たれるならと思ったものです。これは、アメリカで個人のプライバシーが公共の利益によって、非常事態によって制限されたと云う事です。最近はもっと精巧なレントゲンのようなものでサーチするので,性転換や,子宮乳房摘出などのセンシティブなプライバシーが侵害されると云う事で,大反対がおこったのですが、特殊な事情の人はどう折衷したのかしりませんが、結局はみんな死にたくないし、体をスキャンされたり,すごく時間がかかったり,体を触られたり、お臍を見られたり(W)しても,我慢してしっかり調べてくれ,と云う風なっています。


来る東京オリンピックの前には、日本の空港のセキュリティー強化,加えて新幹線乗車前も,荷物チェックやセキュルティーゲートの設置、アメリカでは、公共の建物に入る場合も,セキュルティーゲートが設置してありますので,これも必要になるでしょう。オリンピックの費用の他に膨大な資金が必要になります。世界の警察犬などに,名乗りを上げて、テロとの戦いを標榜するなら,その前にこうした整備をやってから,宣言して欲しかったですね、もう遅いですが。でも,日本が思っているほど強敵視されていないので,今からでも、集団的自衛権行使は違憲と取り下げ、アメリカに,やはり平和主義を貫きますといって、全世界に平和的貢献を,国も,団体も,個人の努力してゆけば、来るべき恐ろしい状況は回避できると思います。当然、内閣総辞職解散総選挙をしてからですが。


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性の表現と禁忌

フランスのテロは,合計120人もの犠牲者が出ました。NYのフランス領事館前は、念のためNYPDが不審者の警戒,ただ,市民は花やロウソクをおいて,哀悼の意をしめしています。本当にやるせない思いです。心ない人たちのイスラム教徒の人たちへの、意味の無い恐怖、弾圧の切っ掛けとしないよう、正しい認識が必要です。亡くなられた方々の魂の安らかなることをお祈りします。


さて、日本のアニメ、コミックの性描写特に、子供や10代の少女を題材にしたものを,なぜ,日本は取り締まらないのか、と批判を受けているようです。性の商品化、若い(若くなくても)女性を、男性の性の処理に利用する事は,法律、社会倫理で取り締まらなければなりません。ただ、創作物の規制となると
そう単純ではない。芸術の歴史の中には、反社会的であったり、社会の禁忌に踏み込んだりした作品がたくさんあります。サディストの語源の サド侯爵の文学(背徳的不行幸がたたり、牢獄と精神病院に収監30年。ほとんどの作品はその間で書かれ,当時は評価されなかった)思想家ジョルジュバタイユの眼球潭、マダムエドワルダ等の小説、喜多川歌麿に代表される枕絵、バタイユの小説のイラストも担当した、ハンスベルメールの作品などのです。以下ベルメールのドローイングとオブジェを紹介します。

通常の倫理観からすれば,明らかに病気です。死物愛や幼児性愛の視点も感じます。取り締まり廃棄させるべきでしょうか?世界中の近代、現代美術館の収蔵され、今の日本の現代アーチストで、この人の作品を嫌いだと云う人はまずいないでしょう。心の闇の部分からでて来た情動を,結晶化させ美を突きつけている。それでも、アートに興味の無い人が見ると気持ちの悪い病的な物にしか見えないーこれもあたりまえです。ですが,人間の社会がその時代の倫理,政治的意図で統一され、善し悪しや倫理観もコントロールされたら、こんな恐ろしい世の中はありません。”美しい日本”観の押しつけをしたい人たちの憲法改正案まででてきている、多様な価値観を受け入れない社会は,動脈硬化を起こします。日本のアニメは確かにエロティックな表現が必須とばかりでてきます。海外で大人気でアメリカの若手映画監督たちに影響を与えている『攻殻機動隊』も、最初見たときは、草薙素子少佐のコスチュームの奇抜な露出に引きまくりましたが(人気が出始めのレディーガガがまねした衣装来ていた,それで,ホットドック買いに街を歩いていて、、)大変すばらしいアニメで,日本のアニメが海外で評価されるのもうなずけます。


幼児などを扱ったアニメ、コミックは見た事がありませんが、過激な物の取り締まりをはじめると、そこからどんどん,倫理観の押しつけ競争になっていく危険があり、賛成できません。自身の性のはけ口を自分を脅かさない創造物にもとめ、想像の中でさえ自分に対して無力な少女を対象にしなければならない、消費者の男性諸氏の臆病な社会や人間との関わり方を問題としないといけないのではないかと思いますが、心の問題でもあり、闇雲の糾弾してもよい方向にはならない、もっと経済的安定や自己実現の多様性などの出来る社会になると,少し変わってくるかもしれません。大人になるー子供を持つとか、個人の成長の問題でもあると思います。それにしても、日本の男性は”アリス”が好きなんですが、このアリスの生みの親ルイスキャロルも、数学や不思議、鏡の国アリスなどの評価は高いが,彼の写真+人格評価-病気(変態)。このキャロルの写真集が日本で発売されて飛ぶように売れました。


心の闇と拘泥したいと云う欲望は、人間の中にある複雑さの一つ、ただ、それを,自分以外の対象にどんな形であれ押し付ける事は,犠牲を強いることは、絶対に許される事ではありません。その混同をあおるような,出版物、サイトは取り締まるべきだと思います。



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女性の価値付け、無垢、無知への搾取。



日本の、若年への性の商品化、児童ポルノ(アニメ)容認の社会状況への,国際社会からの、批判ひんしゅくについて書こうと思うのだが,その前に、フランスでのテロ続報、警察はコンサートスタジアムへの突入を開始した。同日仏独親善サッカーの試合があり、仏大統領も観戦中,外部でやはり爆発が起こっていた模様。大統領観戦で警備強化故の,不幸中の幸いか?そうでなければ競技場もターゲットダッタ可能性も。犯行声明は出ていないが、自爆?のさい,犯人は『アラーは偉大なり』と叫んだと伝えられる。


日本人は,言葉が出来るとすぐ、事の重大さを考える事をやめ、倫理感も麻痺させ、日常化する傾向にあると思う。若かりし頃,”金妻” ”不倫”と云う言葉が”流行”し、不倫が市民権を得たみたいになった事がある。ブームにのって、俺も,,と色気を出して軽い気持ちで重大な結果に陥った人も少なくない。問い時は既婚男性が,軽く「不倫しない?」などとほざいて来る事も少なくなかった。この傾向は、現在の援助交際=援交とか、JKビジネス、テレクラ、様々な言葉が,本来、自己の恥のそこに蠢く欲望を,財布と一緒に、解き放ち情けなくなるような痴態をさらしている,多くの成人男性にもいえる。
不倫は最初の軽さから想像もしなかった愛憎劇、社会的制裁を生み出したが、今,若い性の商品化は、どのような結果を生み出しているのだろうか?


日本の男性は、幼い事が好きである。実際若くなくても、日本の女性は,高い声、くすくす笑い、上目遣い、小首かしげなど,なかなか抜けきれないように見える。これは、頼りなく,無知で,甘える動作、男性の会話に、愛想笑いなどが、好感を持って向かえられる社会が,多分、今も続いているからだろう。
女の子たしなみは、空のグラスにさっとお酌をする。お取り皿に男性の分も取り分ける、若い女性が競争してやっているなんてことが,目の前で行われていた(もはや古き良き時代か?)。アメリカにきて一番よかったことは、男性が横柄でも失礼でもないことだ。日本では,挨拶代わりに容姿を評価され、意見を言えば,きちんと受けず、女はこれだ、、みたいな反応が来る。巧くやろうと思えば、”キャピ!”を使うのが楽。容姿の評価も笑って受け流す。いちいち注意したり反発すれば,ガキ扱いで馬鹿にする。こういう男性の頭の中には自分を受け入れる女性だけがいい女という安易な関係性しか容認できない。だいたい、こういう事は,会ってはならない事だ。"草食男子”とかお弁当男子”などが現れたと聞いて、現在は幾分改善されたのでは、とおもっていたのだが、そうでもなさそうだ。


年を取れば”可愛くなくなる”,常に自分を安全圏において,優越感にひたれ(お金で)、責任を持たなくていい若い存在を楽しみたい-楽しませてもらいたい。その子たちを教育し「自分の色に染める』ーという気持ち悪い表現もあるよね!その醍醐味を実践しつづけている安倍友、秋元某氏なる人物は、生きた人形妄想ビデオを、CNNで芸術と言い切った(トホホ)この一方的な若い性の商品化には、相手との,精神的関係,個性のぶつかり合いが、男女間の関係として,未だに受け入れづらいセンスを,多くの男性が有している事に,一因があると思う。女性の側も、可愛いが花、相手の要望するする自分を演じたい、それに寄っての賞賛に酔いたい。必要とされている感覚を簡単に手に入れたい。金銭的な問題(これは,非常に可哀想-早急になにがしかの対策が必要)、根本的に自分の存在ー思考、精神を中心に成り立つ自分と云うのものを構築する方法機会に恵まれていないなど、問題があると思うが。


デモのアイドル『制服向上委員会』のみなさん。ある意味で、思考、精神を中心に成り立つ自分と云うのものを構築する方法機会に恵まれていて、頑張っているのだと思う。だが,これは日本の意識が海外に通用しないことの,象徴的なエピソードなので、あげるが、外国人特派員クラブに彼女たちが呼ばれた時、ある記者が、『もし皆さんが,自分の意志で自立的に活動をしているのなら、なぜ、そのような、スクールユニホームで踊るのですか?自分なりの服装でもいいのではないか?』と質問した。この質問の意味が分からなかったようで、回答は、自分たちの活動の意義を話した。彼女たちは大人たちのアイデアの中、自分の活動に誇りをみいだして、バッシングにも耐えて頑張っていると思う。ただ,根本的になぜ私たちは高校生の制服で,踊る必要があるのか?を自問してみるべきだ。大人の男性目線で、高校生の制服を来た女の子たちが、つたない歌と踊りを一生懸命踊る可愛らしさと,加えて強い社会的メッセージ。戦うアイドル。ではなぜ,戦う少女たちではいけないのか。ティーンズソウルは高校生の自発的グループだ。『制服向上委員会』には申し訳なかったが、自分たちの意識に目覚めて活動している『制服向上委員会』でさえ、アイドルと云う枠にいる、という例で引いた。彼女たちがみんなバラバラの私服でステージをしたら,もっと若者のリーダー的でいいと思う。


(幼児以外の)拙さ,幼さを愛でるとういのは,日本独特の感覚かもしれない。特に女性にそれを求め、性も重ねられると云うとかなり特殊だろうと思う。これを日本文化,芸術と見栄を切るのは正気の沙汰ではない。西洋社会では不快、理解不可能だ。ASEAN首脳陣の前で、この”日本文化”のご披露は,今後絶対はやめてもらいたい。


アニメの児童ポルノ容認については,別で書こうと思う。


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