密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

ルドン邂逅−追悼水木しげるさん

まだ3才くらいの時親戚の家で従兄弟のお兄さんの少年漫画雑誌があって、ひらいたら、水木しげるさんの,多分『墓場の鬼太郎』が載っていた。もちろん読めないし,なんだか解らないのだが,そのページがたくさんの点と影で構成された不思議な絵が目に焼き付いた。


12才で、オデュロン・ルドンのモノクロのドローイングを見た時、画家になりたいと思った。


美大にいって、ルドンの手法の石版(リトグラフ)より銅版画を選択したのは,小さな時見たあの不思議な点描がに憧れていたからだ。水木しげるさんの訃報を聞いて、ルドンのことも思い出し、画像を探していると,びっくり、水木さんは漫画の中にルドンのモチーフを登場させていた。


これにはほんとに驚いた。やはり共通世界を感じておられたのか。今のように簡単に検索や,コピーが出来る訳ではない時代,よほど勉強して,ヨーロッパの絵画も見ておられたのだろう。1840年生まれ−1916没のルドン作品はもちろん著作権は切れている。それより驚いたのは、水木さんの画力。参考にできるものがある、といっても、なかなかこうはいかない。きっとルドンの作品を見てご自分の中の想像力が刺激されたのだろう。あの頃の漫画作家たちは本当に勉強家だったし,文学的思想的素養も深く、なにより確かな腕前も持っていた。ルドンの作品のどこか深層心理の闇の中に潜む奇妙な生き物とその世界と,水木しげるさんの妖怪の世界が通じている。


夫DさんもMizukiファンで英語出版の豪華版をたくさんもっている。『総員玉砕せよ』は英題『Onward Toward Our Noble Death』日本で読んでいなかったので,英語で読むはめになったが、渾身の作品である事は間違いなく、ラストシーンの特攻突撃で死んでゆく下級兵士たちの悔しさと何の意味も無い死を強要された恨めしさが悲壮で胸を締め付けられた。巨星水木しげるは逝っても,作品はのこる、ずっと読み継がれていくだろう。それが、片手を失っても生還した水木さんの天命だったのかもしれない。作品を読み続けます。ありがとうございました、どうぞ安らかに。


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