密接な関係にある他国から

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ケリー国務長官かつての敵と交流

ベトナムの元兵士、ボー・バン・タム氏と握手を交わすケリー米国務長官(左)


(CNN) 米国務省のケリー長官がベトナムを訪問し、約50年前に自らの手でベトナム人兵士を殺害した地を訪れた。
当時20代半ばだったケリー氏は、米海軍兵としてベトナム戦争に従軍。1969年にメコン川の戦いで、ケリー氏の乗った輸送船スウィフトが南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)に攻撃された。ケリー氏はこの戦いでの功績を認められて後に勲章を授与されている。
ケリー氏が国務長官としてベトナムを訪問するのはこれで4度目。14日には当時のスウィフト攻撃に加わっていた元兵士のボー・バン・タム氏に面会した。バン・タム氏が通訳を介して語ったところでは、ケリー氏が殺害したのは当時24歳だったバン・タム氏の友人、バー・タン氏だった。


ケリー氏はバン・タム氏と握手を交わし、記念品を贈呈した。ツイッターには「今日、私が会ったボー・バン・タム氏はかつての敵で、私たちが昔戦ったメコン川でエビやカニを養殖している」と書き込み、「双方の元兵士が今は友人となり、米国とベトナムの関係強化という同じ目標に向けて連携できるようになった」と感慨を語った。


ベトナム戦争から帰還したケリー氏は、ベトナム帰還兵の戦争反対運動の指導者になって上院外交委員会で証言。議事堂前に勲章を投げ捨てる抗議運動で新聞のトップを飾った。後にこの時捨てた勲章は他人のものだったと告白している。
これについては、彼は友人に自分に代わってメダルを投げ捨ててくれ、と頼まれて行ったと’語っている。自身のメダルは保有している。彼が保有する5つの勲章のうちバンタム氏たちと戦った時に与えられた、シルバースター勲章は、彼の上層部の意見を無視して断行した上陸によって、彼の小隊は全滅を免れ、命令違反の軍法会議か、勲章かという議論ののちに与えられたメダル。保持していたいのも当然と思うが、紙面を飾った友人のメダル投げ捨ての写真とこの誤解を共和党が攻撃の種にして、大統領選でもネガティブキャンペーンを行ったことを覚えている。自分が戦争に行き、殺し殺される経験をし、帰還後自己肯定に汲々とせず、真っ向から反戦運動に転じたことが、なぜ愛国心欠如、裏切り者、嘘つきと言われなければならないのか?どういう理屈なのだろうと、この国に来て初めて共和党のやり方に疑問を持った(怒りを感じた)。方や共和党候補のブッシュ2は親のコネで兵役逃れ。全く相手の非にならないことを歪曲し大声で非難するやり方は、どこぞの総理と同じ、右派の常套手段。


ケリー氏が、いきなり思いつきでベトナム訪問したのではない。国務長官の任期中4年間だけでも4回訪問し、かつて戦った相手とも対面し、交流していることは、他人が見るよりうんと難しく、勇気のいることだろう。この人が大統領になっていたら、イラク戦争の様相も、ニューオリンズの悲劇も変わっていただろうと思うと残念でならない。


任期を終えた後も、反戦に動き続けるだろう。



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