密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

平和ボケ政権 南スーダン惨状認識できず

アフリカの民族紛争は、コンビニを昼夜利用できるような国にいては、到底想像もできない価値観で殺人略奪強姦が行われる。アフリカだけではない、一旦ジェノサイドが始まってしまった地域は、国連の武装兵士でさへ、目の前の暴力になすすべもなく、見ているだけになる。多くの国連軍兵士が証言している。彼らの多くは病んだ心と共に地獄の日々を続けている。そしてそれは今南スーダンでも始まっている。


過去の記事、レポート、何がしかを少しでも読んでいれば、今の南スーダンに「ジュバ市内は比較的安定している」などと呑気なことは言えないだろう。自衛隊を”駆けつけ警護”なんていう曖昧で呑気な、現実にとことんそぐわない任務で送り出したりできないはずだ。


自国の若者の”血”で、国際貢献のカードを切るなら、せめて過去の文献、経験者、生存者の証言や記事、レポートに目を通すべきだ。日本を守る強権安倍政権こそ”平和ボケ”である。


平和ボケとは何か? 戦争に、戦闘にロマンを感じることである。勇ましさをある種の憧れと共に、推奨し、鼓舞し、美しいと称賛する。そういう心情が平和ボケであると思う。
”平和時においてのみ、人は暴力にロマンを感じる” 日本では究極の暴力が、小説や映画で表現され、人々はそれを楽しむ、それは日本が平和だからだ。暴力による死は日常にはない。 戦争のただ中、理不尽な暴力のただ中にいれば、こういうことを直ちにやめてほしいと願い、”退屈な人生”や”平凡な人生”を羨むだろう。


1990年初頭までは、日本は平和ボケではなかった。ちょっと軍国主義を思わせる動き、発言があれば、政治家は世論の批判にさらされた。自衛隊さへ、必要より悪的な見方のあった。社会が軍国アレルギー、戦争アレルギーであった。、


戦前回帰、軍事強化、中国が攻めてくるのなんの、言い出して火種をほじくり、勇ましい夢をもう一度という平和ボケが始まって2000年以降この平和ボケの軍国思想が蔓延し、ついに憲法無視の強行採決で、自衛隊海外派兵に至った。


戦えば、血が出る、痛い、自分が戦う憎悪を持てば、相手もそうなる。平和にボケていないなら、わざわざ、


現在日本も、モノの溢れる、一見豊かな社会から、はじき出された人たちが孤独と生きる糧を得られないために追い詰められている。じわじわと殺されているに等しい。


国民を自分たちの自己実現の消耗品と認識している政府をいつまで支持し続けるのか?



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