密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

検証共産党アレルギー

共産主義恐怖症のご本家はアメリカなんじゃないか?常に寛容でルベラルだが偏らない我が夫Dさんが、私が近頃日本共産党を支持していることになんとなく心配そう。何で?と尋ねると「共産主義社会は、実現性が無く独裁主義に転嫁しやすい,権力の一極集中を招く、過去の共産主義国家は悲惨な状況を招いた」ということ。つまり,「思想的な問題ではなく,実現性の問題なの?」と聞くと,それだけではないというのだが、とにかく危険意識があり,生理的抵抗感があるようだ。この現象は、ネット番組”神保哲生-宮台真司;野党連携に向けた共産党の本気度”のなかで宮台氏が示した、共産党をほとんど認めたいでも、簡単にはいかないという抵抗感とか、大竹まこと氏も同じような反応をしている。(もちろん両氏とも、現在の共産党のアクションを論じ,理解を深め、共闘したいと云う気持ちがあるから、議題にあげたり、志位氏をまねいたりしているのだけれど。このDさんも含めたリベラルな男性陣の手放しには認めないぞ,と云う警戒心はどこから来るのか?


1950年代から1990年代のアメリカは共産主義の台頭を恐れていた。 そのころの映画や本を見ると、共産主義というのはとんでもないものとして扱われている。ソ連との冷戦もしかり、ベトナム侵攻も共産主義勢力への恐れが根本にある。でも、なぜ?いろんな考えがあり,一つの考え方で社会が統合され支配されることは、ナショナリズムにしても,コミュニズムにしても同じだし、ましてや資本主義も行き着けば経済と云う一つの方向性にしはいされる(企業優先、弱者切り捨て)。


1950年代から1990年代のアメリカ反共産主義は、非常にプロパガンダとして成功したのではないか?若かりし頃”サッコとバンゼッティ事件”のことを聞きた。”赤狩り”の犠牲者、疑獄事件である。私の好きな画家ベンシャーンがこの事を題材作品を書いている。

強盗事件の冤罪で処刑された靴工場労働者サッコとバンゼッティは、電気椅子で処刑された。有罪判決に対する抗議行動には多くの知識人が参加し、アナトール・フランス、アルバート・アインシュタイン、ジョン・デューイなどが支援した。日本からも草野心平などの文学者が米国に抗議を送った。イタリアの首相ベニート・ムッソリーニも助命を嘆願している。それから50年1977年7月19日、マサチューセッツ州知事のマイケル・デュカキスは、この裁判は偏見と敵意に基づいた誤りであるとして二人の無実を公表、処刑日にあたる8月23日を「サッコとヴァンゼッティの日」と宣言した。1920年代当時、不景気で労働紛争が熾烈化していたアメリカでは、社会不安の原因を過激分子になすりつけ、共産主義に対する憎悪を募らせていた。ボストンでは特にその傾向が強く、裁判では二人の前歴とアナーキストという点が、二人の思想を嫌う裁判長と陪審員に誤った予断を抱かせ、死刑判決が出されたといわれる。作品棺の左バルトロメオ・バンゼッティと右ニコラ・サッコ、ふたりの棺の前に立っているのは、左から、当時の最高裁判事、審議委員会議長、裁判所判事。背景は裁判所だ。
ちなみに,これも私の好きな作品

以前は特に意味を見いださなかった赤い階段、世界を廃墟と化し、老いさらばえた資本主義が,赤い階段を昇りはじめる?穿ち過ぎか?まあ絵解きはともかく,この作品が好き。



日本共産党歴史をひも解けば、政党発足直後、治安維持法発令(1925年、28年に死刑法に改悪)。天皇絶対という反民主的な政治の体制に異議を唱えることを罪として、最高は死刑にするということを決めた民主主義弾圧法でした。その法律にもとづいて日本共産党への弾圧がおこなわれ、この迫害は1931年に中国への侵略が始まった時期からとりわけひどいものとなりました。戦前の弾圧といえば、日本共産党などを弾圧することを専門にした特別高等警察の存在があり、この警察の活動も、中国侵略の開始とともに、いよいよ熾烈下 そのなかで、日本共産党だけ戦争反対を貫いた結果 共産党員を逮捕したら、その場で死ぬまで拷問する、こういうことも珍しくはなく、中央委員で上田茂樹さんという人は、1932年4月につかまったことまではわかっているのですが、その後の消息は不明で、どこでいつ殺されたかも今日までついにわからないままであり、中央委員の岩田義道さんは、同じ年の十月に逮捕されましたが、逮捕の四日後に拷問で殺されました。最近また注目を集めた作家の小林多喜二さんは1933年の2月に逮捕され、七時間後に絶命しました。やはり党の中央委員だった経済学者の野呂栄太郎さんは33年の11月に逮捕され、拷問をうけて三カ月後に死亡、こういうことが相次いだと云うのが事実です。その後 共産党の危険を世に知らしめた、宮本顕治「スパイリンチ殺人事件」の背景は、特高警察はスパイを送りこみ党の幹部になり、銀行襲撃のような犯罪を計画してそれに党員を動員すると云うような事がおこっていて、スパイに神経を尖らせていた宮本氏の調査の尋問の途中、二人のスパイのうちの一人が急性の心臓発作を起こして死亡、この事を,リンチによる殺人と位置づけ今に至るまで,リンチ殺人がネットで流布されたいますが、当時の支配的法廷でさへ殺人の立証ができず、1945年5月には、日本政府が宮本氏の全面的な復権を認めざるを得なくなり、「復権証明書」を出しました。


日本共産党は迫害されこそすれ、何ら恐ろしい事を行ってなどいない。毛沢東やレーニンの行いは共産主義独裁で悲惨な結果を招きました。しかし、国家主義独裁も、王制独裁も、自由の名の下の経済的独裁も行われ,また行われうる無辜の民の搾取苦しみはいっしょです。ようは、あらゆる社会形態もそれを行う人間次第ということですし、民主主義と(正しい憲法ならば)立憲主義を基本にすえれば、わたしたちは、いろいろな考え方の行政を選択できる。レッテルはりの共産主義アレルギーより、国粋主義全体主義の暴走によつて実際に被った結果をもう一度直視検証するべきではないかと思います。一党の統一した考えでまとまるより、多様な考え持った,政治団体、政党が話し合いで決めてゆける政府があっていい。理想じゃ何も出来ないよ、と云うのが日本の大人の考えかもしれないが,理想が無ければ何も出来ない。駄目でも駄目でも,理想に向かって手を伸ばす、よりよい社会を望むポジティブな情熱をアメリカには見いだすことができる。日本も日本の方法で,理想の実現に努力できる事を信じたい。


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