密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

案外的を得ている、麻生副総理の暴言

”ナチスに学べ”などというくらいなので、言語表現上も怖いもの無しの麻生副総理。


90歳になって老後が心配とか、訳のわかんないこと言っている人が、こないだテレビに出てたけど、オイ、いつまで生きてるつもりだよと思いながらテレビを見てましたよ。


 わたしのばあさんは91歳までピンとしてましたけど、この人は、金は一切息子や孫が払うものと思って使いたい放題使ってましたけど、ああ、ばあさんになったらああいう具合にやれるんだなと思いながら眺めてました。』


当人も75歳にして、感じる今後の人生の長さを踏まえて、90歳での将来設計、という”大変厳しい現実”と、そのおかしさに向けられたユーモアの言葉としては、悪くない。

北野武でもいいそうだ。


麻生氏の大きな詭弁は、安心して使える、生活の心配をしなくていいだけの、年金がもらえない、そしてもっともらえない状況が待っている現実で、それを作り出したのが、あなた方、お金に困ったことのない、選民世襲政治家の愚かな金融政策であるという事実にちっとも言及しないこと、いや、思い至らないところである。


後半の麻生氏の”ばあさん”の生き方、これは、時代劇にも登場する、楽隠居という境遇。
小津安二郎の映画なんかにも、楽隠居の状態の主人公の緩やかで、少し寂しい心情が、訥々と流れてくるシーンなどもある。最低線でも、このように老境を過ごすことが国民の権利でなくてはならない。


”90歳になって老後が心配とか、訳のわかんないこと言っている人が、こないだテレビに出てたけど、オイ、いつまで生きてるつもりだよと思いながらテレビを見てましたよ。”〜これは、90歳の人がそりゃそうだ!と言いつつ笑う、そんな状況でなけれならない。ユーモアとして通用する状況でなければならない。 


90年、生きて、働いてきて、体が効かなくなって、お金が稼げなくなった時に、明日のお金を心配をしつつ不安でいっぱいの毎日、食べたい物も我慢して節約に励まなくてはならない、これを幸福な国民生活と言えるのか。両親を温泉に連れて行くことを親孝行と言って、当然としていた時代もあった。今は親の年金からサポートが必要なほど、若い人、働き盛り、に余裕がない。


5年で30兆円投資、リニア延伸前倒し を参院選公約にする自民党のこの現実乖離も然り。


民間では困難なインフラ整備などに必要な資金を国が調達して融資する「財政投融資」を大胆に実施する。社会保障の財源がなくて、消費税増税延期で、また削るつもりでいる政府が、”資金調達”?どうやって? いつもの、”大胆な”政策?肝心の説明はなし。そのあとのリニアの大阪延伸時期を2045年から短縮する事業のほか、超低金利の奨学金、開かずの踏切対策などに利用する。脈絡も方策もない。思いつきとイメージで言うから、こうゆうことになる。国民にお金を使って欲しければ、自分たちの見栄ばかり+お友達利益誘導のみの金使いをなんとかしてくれ。30兆円あれば、どれだけ国民生活が安定するか。そういう方向を考えられる政権を選びなおさなければならない。


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