密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

「核兵器廃絶に向けて必要なのは、人を心の底から突き動かすことー「被爆した最後の館長」畑口実さん。

ここ数日、来月日本での展覧会の案内状と資料の入校締め切りが迫って、展覧会用のアーチストステイツメントを書き終えて、ブログは無理かも、、、と思って、毎日新聞を見たら、とても、気持ちに響く記事が載っていた。
G7が始まり、オープニングのライトアップなど、各国の要人にヒロシマを訪れてもらう事で、核兵器の恐ろしさ、それを保持する愚かしさを、解ってもらえるように、広島、長崎の被災者、その家族は切に願っているだろう。


そうした思いで、自分の体験を語って原爆資料館の館長を務められた、畑口実さん。


毎日;「被爆した最後の館長」が思い…10日開幕
http://mainichi.jp/articles/20160410/k00/00m/040/034000c?fm=mnm
在任中、各国要人を資料館に案内し、核兵器のむごさを伝えた。11日には核を保有する米英仏の外相が初めて資料館を訪れる。「人類と核は相いれない。展示を見れば分かってもらえる」と力を込める。


1945年8月6日、原爆が投下された。畑口さんは、27歳だった母チエノさんのおなかにいた。自宅は爆心地から20キロ近く離れていたが、チエノさんは広島鉄道局で働く父二郎さん(当時31歳)を捜して4日後、入市被爆。職場近くで父の焼け焦げた懐中時計とベルトのバックルを見つけ、そばにあった遺骨とともに自宅に持ち帰った。翌年3月、畑口さんが生まれた。


 母は姉2人と畑口さんを育てるため、必死に働いた。親が来ない小学校の運動会はどうしようもなくさみしかった。記憶のない「8月6日」に父を奪われ、翻弄(ほんろう)されたと感じた。胎内被爆者だとは周囲に知らせず、21歳で受け取った被爆者健康手帳は机の奥にしまった。広島市職員になったが、資料館にはほとんど行かなかった。


 転機は51歳だった97年。人事異動で原爆資料館の館長に命じられた。海外での核実験のニュースを聞くにつれ、「館長の私が、誰よりも核廃絶を訴えなければならないのではないか」と考えるようになった。父の墓から遺品の懐中時計とバックルを取り出し、海外の要人を案内する時に持ち歩いた。真剣に聞いてくれそうな人には遺品を見せ、父のエピソードを語る。核廃絶への思いが伝わると、「やっていて良かった」と思った。


 00年に米国で開催されたNPT(核拡散防止条約)再検討会議の前、議長を務めるアブダラ・バーリさんが広島を訪れた。父の遺品を見せると沈黙し、目が真っ赤になった。「あなたの話を聞いて感動した。会議を成功させたい」と語り、畑口さんが胸に付けていた広島平和文化センターのバッジを持ち帰った。その年のNPT会議は「核兵器廃絶の明確な約束」を盛り込んだ最終文書を採択している。


 リーダーが変われば、政治が変わることがある。「核兵器廃絶に向けて必要なのは、人を心の底から突き動かすこと。それができるのはヒロシマとナガサキだけ」と指摘し、「外相会合では、これまでに出たどんな取り決めよりレベルの高い、具体的な核廃絶へのロードマップを示してほしい」と語った。【竹下理子】




出品予定の拙作『不可視の現景』広島、東京、ドレスデン、南京 そしてホロコーストを基に、アクリルガラスに彫り込んだ作品。 積み上がる亡がら一人一人に名前があり、家族があり、未来があった。


日本の総理は無理でも、世界の要人の中には、真摯に心を動かされる人もいるはず。
歴史にきちんと向かい合う事がベースであるアメリカ。退役軍人がなんと言おうと、
原爆投下は、人類の悲劇 二度と行ってはならない事だという事は、ベトナムを直視してきたケリー国務長官には伝わるだろう。

もう各国軍縮に向かいたいし、核兵器の拡散を止めたいという方向に動いている。

テロの問題で、速やかに軍縮に向かえないが、平和を志向している。


これから、軍拡、核兵器保有を目指す安倍政権は、逆行性頓珍漢で世界の中心で悪目立ち。安倍政権はいやだけど、でも、岸田外相は、彼自身に取って価値のある仕事ができたことに、おめでとうを言いたい。オバマ大統領もきっと訪れてくれるよ。


G7外相、広島平和公園で献花 核保有の米英仏現職で初
http://www.asahi.com/articles/ASJ4B5K8HJ4BUTFK005.html




 広島市で開かれている主要7カ国(G7)外相会合に出席した各国外相が11日午前、同市の平和記念公園を訪れた。公園内の広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪問し、原爆死没者慰霊碑に献花した。核保有国の米英仏の現職外相による公園訪問は初めて。
各国外相は一列に並んで慰霊碑の前に進み、花輪を手向けた。その後、公園内の原爆ドームの近くまで足をのばし、視察した。外務省によるとケリー米国務長官の提案という。


 公園訪問後、岸田文雄外相は「『核兵器のない世界』に向けた機運を再び盛り上げるための歴史的な一歩となった」とのコメントを発表した。


 G7外相の平和記念公園訪問は、広島が地元の岸田文雄外相の強い意向で実現した。G7で結束して、核軍縮・不拡散の意思を示す狙いだ。11日午後には、「核兵器のない世界」の実現をアピールする特別文書「広島宣言」を発表する。


原爆を投下した米国からは、ケリー国務長官が訪問した。これまで駐日米大使らが公園を訪問したことはあるが、現職閣僚は広島市訪問自体が今回初めてだ。


 岸田氏は11日午前、ケリー氏と会談。岸田氏は「G7外相とともに平和公園を訪問する歴史的な日になる。広島から世界に向けて力強い明確な平和のメッセージを発信したい」と述べた。ケリー氏は「広島は私にとっても特別な意味を持つ場所だ。平和記念公園はいかに平和が重要かを示すものだ。大量破壊兵器などの絶滅のために両国がリーダーシップをとる必要がある」と語った。


 ケリー氏に同行した米政府高官は取材に対し、ケリー氏は公園訪問で、原爆投下を謝罪する表現は使わないものの、「憎しみではなく愛情の心で再建してきた広島の市民と米国民が、戦争を憎み、平和に向けた決意を共有する」と語った。「日米の和解が並外れたレベルにまで達したことを示すことになるだろう」とも述べた。


 さらにこの高官は「核兵器を唯一使った国として、米国は世界の核軍縮に向けて努力をする責任がある」とも語り、オバマ政権が2009年のプラハ演説で提唱した「核なき世界」の実現に向けて今後も努力していく考えを強調した。


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