密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

小西議員は全く悪くない。傘にかかる維新の知性の無さと庇えない立民のだらしなさ。

高市辞任発言も放送法問題もかき消されるほどの大騒ぎになっている小西議員の猿・蛮族発言。なるほど、今の状態を見ると、猿・蛮族の集合体であることがわかる。小西議員の言う通り。憲法審査会だけでなく、国会も、内閣も、猿以下・蛮族の所業が往々する。


そもそも維新は何を生きっているのか?やんちゃなイジメ集団が、あいつ生意気だからヤき入れてやろうぜ!!と盛り上がっているに過ぎない。そう言うことは現実社会、特に閉じられた社会の中でしばしば起こる。一度起こるとエスカレートし、止まらなくなる。時に攻撃対象が死ぬまで続く。楽しくてしょうがない。もう善悪も、論理的思考も、どうでもいい。
それを止まる場合、対象が死ぬか、警察が介入するか、かばって戦う味方が現れることだ。今回は、小西位議員所属の立憲民主党がそれをすべきだ。ところが、いじめっ集団に唯々諾々と従い、袋叩きされるがままにさせ、役職を解くだの、謝罪をさせるだの(だいたい何で維新に謝罪するんだ)している。
維新はただ、立民に対し、マウントを取りたいと思っていて、小西議員の発言をチャンスと騒ぎ立てた。そこで立民が突っ張って、謝らせない、としたなら状況は違っていた。


弱腰、事なかれ主義?こう言う人たちが、政権を取っても、外交交渉できる? 経団連・連合の圧力に抵抗しことをまとめられる?できないから今の立民がある。


小西議員は何も間違ったことを言ってない。不適切な表現?ただのよくある比喩だろう。
維新には予算委員会の場で、立民をターゲットに、アホを繰り返した議員がいた。そう言うことを大喜びで、やっていた維新がよくゆうよ。
少し前は、今回もイキっている馬場代表が、菅直人さんに絡んで、議員室に押しかけ、言い負かされすごすごひきあげた。菅さんは首相までやった人なので、維新に謝れ的党内圧力はなかったと思う。もちろん弁護士で社会活動家だった菅さんはそんな”いちゃもん”に取り合わないで、議員室からすごすご帰る馬場さん。見ている方は菅さんに拍手喝采した。


小西くんはそれが許される立場ではなかったんだろう。党内圧力で、悪いと思ってないのに、謝罪させれるわけだし、内心不本意なのだから、それを隠し殊勝見せるタイプではない。馬場代表の部屋に、ツイッターのプリントアウトと名刺を置いてくるなど、喧嘩売ってる?と言うわけで維新のうざ絡みは続く。


頭を押さえつけて、理不尽に謝らせる、これは典型的内心の自由の侵害だ。


以前の本多平直さんのケースも、性交同意年齢についての党の会合で、「例えば50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」発言について、最終的に離党届を出すに至った。これは小西発言と比べれば、確かの問題発言であり、”気持ち悪い”と言う感情的反応を呼び起こしてしまった。
性交同意年齢13歳(Oh My God!!)からのひき上げについての議論の中、一律に刑罰を決めてしまうことへの危惧だったのだろう。例を出すなら、15歳と17歳のカップルの場合17歳は罰せられるか?のようにして議論を進めるべきだった。14歳と50歳だと、金銭による合意が即想定される。もし、パパ活ではない、真剣な恋愛だと言う前に、50歳には未成熟な相手に対する分別があってしかるべきだ。


デリケイトな問題に対し、軽率な例えでその発言でご自分がどう見られるか、に考えが至らなかった。それでも離党届けを出すほどのことか?冷静に本当に痛かったことを頭で理解し、不快を感じだ学者の先生には公式謝罪。これでいい。
立憲民主党は、自党の議員に対してすぐ切って捨てるのが最悪。絶対謝らなかった安倍さんを見習ってもいい。


中堅として、党の中核になれる人材をみんなして潰して、最後には維新は立民を潰したいと言う目的を達する。原口さんや杉尾さんが小西さんを擁護している。こう言う時はそう言う人たちが大事だ。あるきっかけでいじめのターゲットにされた友人を一人がかばうことは難しいが大勢でかばうことは大事だ。しかも彼は何の落ち度もないのだ。
サルが言い過ぎだの、蛮族が差別だの、後で探した言い訳的非難で公平性を演じているに過ぎない。本質的問題は、小西さんが警鐘を鳴らした、現在の憲法審査会。
ニューズウィークにもこう言う意見が出ていた。

<「サルがやること」という言い方に問題はあったとしても、毎週開くことの妥当性は実際の議論の内容から改めて検証されるべきだ


立憲民主党の小西裕之参議院議員が、憲法審査会の毎週開催は「サルがやること」と述べたことで波紋を呼んでいる。言葉の妥当性に関心が向くばかりで、肝心の参議院の憲法審査会の毎週開催についてはほとんど議論がなされていない。そこで筆者は、参議院の憲法審査会に関して、昨年行われた第208回国会~第210国会までの議事録を全て読んでみた。
結論としては、参議院の憲法審査会は毎週開催する必要がない、全く内容がない会議だった。


憲法審査会の議論
憲法審査会は、「(1)日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制についての広範かつ総合的な調査、(2)憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等の審査を行う機関」と位置づけられている。しかし、議事録からみられるのは、殆どの委員は、憲法学の基本的な知見を持っておらず、これまで積み上がってきた憲法をめぐる議論に基づいて法律を論じる能力はないということだ。
(猿!!)


たとえば昨年の主な議題のひとつは参議院の選挙制度をめぐる問題だった。参議院は都道府県別に選挙区を設置していたが、一票の格差を解消する目的で、2015年から一部の都道府県を「合区」として選挙を行っている。しかし、参議院議員は地方代表としての性格があり、一都道府県に最低一人の議員を保障すべきであり、これを憲法に書き込むべきだ、とする議論がある。


憲法審査会でもこの議題が論じられるのだが、各々が言いたいことを主張しているだけで、さっぱり議論が進んでいないのだ。たとえば、参議院の選挙制度を一票の格差問題の例外とする改憲に賛成する委員は、日本の地方の惨状を解説し、「合区」は解消しなければならないと述べる。しかしこれは憲法論とは呼べない。
(猿!!)


12月7日の会議では、小西洋之委員が、6月8日に行われた会議での参考人の意見を踏まえ、憲法に平等権が原則として書き込まれている以上、一票の格差を無視する制度を憲法に書き込むのは憲法の改正限界の問題があり、「合区」解消は国会改革によって行われるべきではないかという指摘をしているが、そのような憲法上の問題を克服するための具体的な議論は改憲派委員からは全く出てこないし、参考人の意見などなかったかのようにゼロから議論がスタートしてしまう(猿!!)


それどころか、同じ12月7日の会議で山谷えり子委員は、参議院の選挙制度改革がテーマの会議にも拘らず、ウクライナ戦争に触れながら憲法九条の問題について演説し、主題である選挙制度の話題には全く触れなかった。これには同僚の自民党議員からも苦言を呈されたが、憲法審査会を自分の独演会の場と勘違いしている議員もいるようなのだ。(猿!!)


具体的な憲法論が行われない
そのような独演会の場と化しているのが、第208回国会と第210回国会でそれぞれ一回ずつ行われた「憲法に対する考え方について意見の交換」だ。この会議では文字通りそれぞれの委員がそれぞれの「考え方」を述べるばかりで、議論の場にはなっていない。それぞれの委員が語っている内容も、先述の「合区」問題を初め、自衛隊、緊急事態、デジタル化、憲法裁判所、道州制など、自分が思いついたこと、あるいは自分の党の政策をただアピールしているだけ、といった様相となっている。中には憲法に日本の伝統を書き込もうとする西田昌司委員のように、近代憲法の根本を理解していない意見を述べる委員もいる。( 猿以下丸出し!!!)


また、「日本国憲法は制定以来改正されていないのだから改正されなければならない」「憲法の時代に合わせたアップデートを行わなければならない」など、憲法審査会という専門的な機関で述べるにそぐわない抽象的な意見を述べる委員も多い(猿)
これが、憲法審査会が設置された初めての会議で出てくる意見なら、まだ理解することはできる。しかし各国会の会期ごとに、これまでの議論がリセットされたかのような意見交換を繰り返す意味はあるのだろうか。
これに対して、護憲派あるいは改憲に慎重な立場からは、「憲法を活かす」(吉田忠智委員など)ような審査会にすることが繰り返し要求されている。


たとえば福島みずほ委員は、「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制についての広範かつ総合的な調査」という審査会の役割はいまだ行われたことがないと指摘し、違憲が疑われるような法制について審議することを要求している。確かに、建設的な改憲論を始めたいのであれば、まずはそのような現行法制についての具体的な調査から始めるしかないと思うが、このような要請は棄却され続けているようだ。


憲法審査会の議論が進まない原因は、山添拓委員が繰り返し述べているように、国民の間に憲法を改正する機運が醸成されていないからだろう。だとすれば、小西議員が主張するように、毎週開催するのは無駄ということになるだろう。


藤崎剛人(ふじさき・まさと)  埼玉工業大学非常勤講師、批評家
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿 
Twitter ID:@hokusyu82 


猿と呼ばわれるにふさわしい意見頻発、ピントの外れた会議内容。一部委員(まあ自民・維新・公明(?)だからほとんどと言っていいかも)は、改憲=日本国(大日本帝国)の復活、敗戦を無かったことにする第一歩。「みっともない憲法ですよ」と言う安倍Mindの継承。彼らはそれを愛国と思う。


こう言う猿(以下)の議員たちが時間と税金を使って、愛国マスターベーションに毎週ふけっているのが今の憲法審査会の実態であることを多くの国民が注目すべきだ。


維新はなぜ小西議員をしつこく叩くのか?愛国マスターベーションに彼が邪魔だからだ。
憲法審査会を、猿以下レベルの心地いい会議に変えたい。そう言うことだ。
彼らの非論理的いちゃもんレベルの大声に、良識あるサイレントマジョリティーは不快を表明してもいい頃だ。


PVアクセスランキング にほんブログ村
ランキングに参加しています。宜しかったら、両方を
クリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ

経済・社会 人気記事 一覧 経済・社会ブログ天紹介所