密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

自分のために戦う、ということ

先ごろ、刃物のより攻撃を受けた宮台真司さんが、ネット上で発言を再開し、暴力による言論の萎縮に対抗する彼なりの姿勢を示している。


思い起こされるのが、伊丹十三監督への暴行:1992年の『ミンボーの女』では、ゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描き、観客は大喜びした。これまで日本では、映画でヤクザ(暴力団員)をヒーローとして扱い礼賛していた(「ヤクザ映画」という一ジャンルが存在する)。公開1週間後の5月22日夜に、自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治3ヶ月の重傷を負うが、伊丹は「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。病院に搬送された際に取材陣から「大丈夫ですか!?」と声をかけられ、声こそ出なかったもののピースサインで応えた。
警察は現場の車から山口組系後藤組の犯行であることを突き止め、5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。
伊丹氏はピースサインで応えたものの、身体への暴行の恐怖は深く残った。しかしその後も、社会的メッセージの強い作品を発表し続けた。絶対に日和らない、自分の姿勢を貫く、恐怖に屈しない、そういう思いがあったように思う。特にヤクザの犯行というのは、当時、かなり怖い(今も?)暴対法への反発か、しかし、有名人とは言えシロウトさんに手を出すというのは、誰かからの依頼があった?ようにも取られた。
1993年5月には自称右翼の男が『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起こるなど、数々の被害や脅迫・嫌がらせを受けることとなったが、襲撃事件により身辺警護を受けた。身辺警護の経験は1997年の『マルタイの女』で映画化された。
そして突然の投身自殺で人生の幕を閉じた。実は内心の恐怖と戦い疲弊していたのではないか、とか、ある宗教団体よる暗殺という説も流れた。


話はそれるが、独特の存在感で、好きな俳優である池内万作さんが、伊丹監督宮本信子氏の忘れがたみだというのは初めて知った。


もとい、当時伊丹監督の放った作品は、社会に大きな影響を与えたことは間違いない。
宮台氏の早い復帰は、伊丹氏のピースサインだ。とにかく、優秀と言われる日本の警察は一刻も早く、犯人を逮捕しなければならないし、できないのは、問題の風化を狙った、言論区あつの一翼を狙った、やってるフリ、と言われかねないし、そういう世論で、この事件の早期解決を即さなくてはならない。そうでないと、第2第3の馬鹿者が湧いて出る。
やはり抑止には、罪と罰、これが基本で、議事堂攻撃の参加者も、自分たちの浮き足立った”表現の自由”、法を無視した権利の行使、の結果をしっかり自覚するのは、公正な裁判に基づく”罰”から始まる。


もし宮台氏のような考えを持つ人間を現政権が不都合と考えれば、犯人は捕まらない。レイプ犯も逮捕直前取りやめができるくらいだ。やってるふりだけして、世間の関心がなくなるのを待てばいい。時々不安になるのが今の警察官、警察組織が、どういう意識の人間が職についているか?だ。ドラマの刑事のように、市民の安全を守り、正義を行う、偏見を排除し、証拠に基づいて操作する、ような人はどれほどいるのか(ドラマでもそういう人は少数派で圧力を受ける)日本国を守る、気にのために奉仕する、などという理念を持つ人間がいれば、警察はすぐに政権の暴力装置となる。そういえばデモの取り締まりを見てもその片鱗がうかがえる。柵の中に押し込め、危険状態を作り、それでも、デモの市民取り締まりのみを遂行する。政治家の街頭演説のボディーガードでしかない。(その割の、一番の大事件は防げなかったが)


日本が右傾化しつつあると言われて久しい。その推進役の安倍晋三氏が、凶弾に倒れ、その明白な犯行動機である、統一教会と政治家の癒着に、その犠牲者たちの悲惨な実態に光が当たることになった。自民党は要石が粉砕され、ぐらぐらの状態で、黄金の3年間を治癒に当てているように見えるが、それでも、戦争をできる国づくりには邁進している。
軍事強化、軍事費倍増計画、この先に政府が力を入れるのは、世論操作、言論統制そして兵役の法制化だ。すでに、いかに国民に富国強兵理念が素晴らしいかを強化する特別な部署によるネット上のプロパガンダを推進しているらしい。


そうなると、言論の自由への個人攻撃ではなく、国レベルの取り締まりになる。日本は他国と比較して、従順な国民性で空気を読む文化なので、真剣に自己の権利を守るための戦いは起こりづらい。ウクライナは、国民が自分の生存権、自分たちの文化、国土・生活圏への愛着から、その侵略を受け入れがちとして戦いを表明し、今に至るまで、信じがたい苦難に立ち向かっている。そんな彼ら彼女らを利用して、イメージだけ掠め取り歪曲して、日本も侵略の危機に備えるだとか、敵基地反撃(攻撃)能力だとか、言い出し、戦争に巻き込まれる道を選択肢、最後は、無言の国民を兵隊に駆り出す。戦争反対、政府への批判(これも少数派が必死で行う)は、取り締まる対象となり、警察は国民を守るのでがなく、国民を暴力で統制する集団になる。


杉田水脈が、命に関わる女性差別など日本には存在しない、と言ったが、今も個人的(組織的)に存在するそれが、全国民に普及する。


ヒジャブを「不適切に」着用していたとして道徳警察に逮捕され死亡したマサ・アミニさん(22)の事件を契機に抗議運動が女性たちから始まり、今も抵抗を続けている現状がある。その現状を残そうと、発信された日記、写真、ドローイング(スマホは警察が検閲されるので動画は難しいため)をBBCに送る人々がいる。
動画には日本語字幕がついているので是非みてください。

日本はイスラム教と多数の国ではないから、こんな状態にならない、と思うかもしれないけれど、イラン政府が女性に課している支配は、日本の家長制も、言ってしまえば同じようなものだ。世界各国歴史上、子供を産む能力を持った女性をいかに支配し、従わせるかという制度のあふれている。だから人ごとではない。


もし、日本がこのまま、形だけの民主主義になり、空気が言論統制風になり、徴兵制が復活すれば(日本の国際社会の発言力アップ、新たな経済発展、軍事産業のため、国力アップ、と政権は考え、国民の命、暮らし、尊厳優先すると考える)案外、北朝鮮のように長く国内の統制が続く可能性がある。


イランの女性たちそして市民、ウクライナの国民のような行動は、日本人は無理だ。自分たちで勝ち取った成功体験がないからだ。よほどの上が広がらない限り、その時代の統治者に従い、敗戦後はアメリカが運んできた民主主義をつつがなく運用し、戦争の記憶がうすれ手繰れば、かつて誇りを持って享受した平和憲法を押し付け憲法と言い出す始末。だから日本人は自分たちの手で何かを覆したり、何かを勝ち取ったりという根っこを持っていない。


ならば、そうならないうちに、止めなくてならない。そうならないうちにとは、警察官に武力で引きずられたり、証拠もなく逮捕されたり(今でも沖縄では起こってる)国を助けるために君が必要だ、と言われ、Noと言えない状況に追い込まれたりだ。自分の私有地を差し出したり、指摘財産没収されたり、もありかもしれない。民衆の声が小さけれそういうことをやれる。為政者を監視するメディアが取り込まれれば、そういう状態になる。
今、危機意識を持つ必要があるのは、中国・ロシアの侵略でもなく、北朝鮮んミサイルでもなく、与党政治家が考える”国力”のため(+利権)要は見てくれのために、国民を使役する政治の考え方だ。
国民は生かさぬように、殺さぬように。人権、言論の自由は贅沢品、わがまま、くらいに思っている典型的な日本の統治者たちが、民主主義の実行者、国民の代表の仮面を脱ぎ捨て、振る舞い始め、随分経ち、年々酷くなる。



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