密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

安倍・菅が尊敬した山県有朋のなぜ?

僭越ながら、国民の涙に誘った感動の菅さん”追悼の辞”にツッコミを入れさせていただいた。

巷では、コメンテター玉川徹氏が、この文章を電通の仕込みと断定し、劣勢を力づくで挽回したい安倍応援団の集中砲火を浴びている。電通内閣と喩矢され、いい感じの安倍さん人気を支え、国家イベントで莫大な中抜きを行なってきた電通。勿論菅追悼の辞の原稿推敲はどうだかわからないが、国葬という美味しいイベントのどこかには関わっていてもおかしくない。菅さんのセンチメンタル追悼は、スピーチライターの手によるものであるのは、普通に考えて当然だろう。情緒的な日本人好みの心に刺さる演出とそれに隠れた安部政治の全肯定。明治時代のような国家の再現を、”今より後の 世をいかにせむ”と、その後山県有朋が行なった政治への肯定も含んでいたとしたら、このお涙頂戴の胸キュン弔辞の意味は随分違ってくる。日本は軍国主義へ加速する意思の表明とも取れる。


この、”山県有朋” について、佐高信氏がその危うさを指摘している。

安倍晋三元首相の国葬で、友人代表としての弔辞を読み上げた菅義偉前首相。その内容は、首相在任中に発信力不足が批判された菅氏にしては、話しぶりも含め、友人としての思いがこもって感動的だったと評価する声も多いが、果たして手放しで肯定してよいのか、気になる点がたくさんある。感動でごまかされないよう、もう一度じっくりと菅氏の弔辞を見直してみた。(特別報道部・木原育子、中山岳)
 緊張だろう。弔辞を入れた包み紙を机に置く手がかすかに震えていた。日本武道館内の記者席から双眼鏡越しに見た菅義偉前首相の表情は硬く、伏し目がち。静まり返った会場で、誰もが菅氏の言葉を待った。
◆詩的で心地よい「まるで恋文」
 「7月の、8日でした」。聞き慣れた菅氏らしい少し抑揚のない声が、波のようにひたひたと会場に広がった。安倍元首相が亡くなった衝撃のあの日に、一気に引き戻されていく。
 どんな時も「総理」と呼んでいた安倍氏を「あなた」と呼び、「セミ」といった夏の季語から「高い空」「秋の雲」へと、季節の移ろいを表現した文章。予定調和な国会答弁と違い、詩的で心地よく感じた。
約12分間の弔辞は絶賛された。菅氏に近い自民党の三原じゅん子参院議員はすかさずツイッターを更新し「まるで恋文」と表現。国民民主党の玉木雄一郎代表も「感動しました。あの挨拶で国葬儀に対する印象が変わった人もいるのではないでしょうか」と持ち上げた。近現代日本政治史に詳しい御厨貴みくりやたかし・東大名誉教授は国葬当日夜のテレビ番組で、菅氏の弔辞の後、自然に拍手が湧き起こったことに触れ、「引き込まれた」と称揚した。
 だが、国葬当日の高揚から日を置いて、あらためて文字になったこの弔辞を読むと、ひっかかるところが随所にある。
 例えば、読み上げ開始後40秒で飛び出した「あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました」という部分。
 奇跡のような話で確かに感動的だが、弔辞によると、菅氏は安倍氏銃撃の知らせを受け、現場の奈良にすぐに駆けつけたという。病室の安倍氏は心肺停止状態のはずだ。その状態でほほえむことはありうるのか。
 医師の木村知氏は「菅氏が到着した時、安倍氏がどういう状態だったか詳細は不明だが、その状況で表情筋が感情で動くことは、医学的見地からは、極めて考えにくい」と話す。ただ、否定もしない。「安倍氏のお友達である菅氏にはきっとそう見えたのでしょう」
◆「よりにもよって」他の人ならよかったの?
 再び弔辞に戻ると、菅氏は「天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか」と続けている。
 木村氏は「『よりにもよって』を、漢字で書くと『選りにも選って』。この言葉に、選ぶならほかにもっと適当な人がいるのにとの意を感じる」と述べる。「よりにもよって」との修飾語は「いのちを失ってはならない人から」にかかる。とすれば、「この一文で、他に選ばれるべきだった者、すなわち死んでもかまわない人の存在を認めている。まさに優生思想の考え方そのものだ」と批判する。
 「安倍政権は生産性の有無で人の価値を決め、弱い立場の人を切り捨てる一方、森友・加計学園問題のように身内を優遇する選別政治を行ってきた。この一文を見て、ああ、やっぱりと思う人がいても不思議ではない。『いのちを失ってはならない人』ではなく、単純に、『私の大切な友人』にすれば、何の問題も違和感もなかったのに」
◆事前に作成したのに「たくさん若者」確認は?
 菅氏の弔辞は「武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。20代、30代の人たちが、少なくないようです」と続く。文面は前もって作ったはずで、菅氏は献花の参列者に若者が多いと確認してアドリブを入れたのかと疑問がわく。
 ともあれ、この「若者のための安倍さん」アピールに不自然さを感じる人もいる。「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」元メンバーの是恒香琳これつねかりんさん(31)は「現実が見えていないのでは」とにべもない。「献花に訪れた若者もいたとは思いますが、私の周囲は仕事に忙しかったり、台風被害があった静岡にボランティアに行く準備で『国葬どころじゃない』と冷めている人は少なくなかった」
 是恒さんは、安倍政権は就職率の高さを誇り、若者や女性の味方であるかのようなアピールが目立ったと言う。「実際は非正規雇用が多く課題も多かった。政策の中身はおざなりなのに『若者の支持が多い』と政治利用したのが安倍政権だったのではないか。何より選挙の投票率の低さが、政治に失望している若者の多さを表している」
 菅氏は弔辞で、安倍政権の「成果」も並べた。まず挙げたのが環太平洋連携協定(TPP)。他国との交渉に時間をかけるべきだという菅氏に対し、安倍氏は「やるなら早いほうがいい」と考えていたという。菅氏は「どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです」と絶賛した。

 ただ、TPPは2016年に日本を含め12カ国が署名したが、17年に米国が離脱。残り11カ国で合意し18年に発効したものの、多くの市民が恩恵を実感したとは言い難い。
 東大大学院の鈴木宣弘教授(農業経済学)は「安倍政権は米国の意向に沿って必死にTPP交渉参加を急いだが、トランプ米大統領が離脱を表明してはしごを外された。米国離脱後の他国との交渉は、日本企業に有利な条項が凍結されるなどした一方、農産物の輸入枠は拡大されて国益を損なう点もあった」と指摘。国内農業への悪影響の検証もないままで、「TPPを正しかったと断じるのは、理解に苦しむ」と批判する。

◆特定秘密保護法も安保法も「正しい判断」
 弔辞のハイライトで飛び出したのは「総理、あなたの判断はいつも正しかった」との言葉。特定秘密保護法、平和安全法制、改正組織犯罪処罰法を挙げ「難しかった法案を、すべて成立させることができました」
 
だが、いずれも国会審議中は国論を二分するような反対運動が起き、「自民1強」で採決が強行された法律ばかりだ。それを忘れたかのような賛美一色の弔辞に、評論家の佐高信氏は「自分たちだけが正しいというような独善的な考え、狭さを感じた」と語る。
 
佐高氏が特に見過ごせなかったのは、弔辞のクライマックス。菅氏が、安倍氏が読みかけだったという山県有朋を取り上げた本に触れたことだ。「山県有朋と言えば藩閥政治、言論弾圧の象徴だ」。山県の死去時、雑誌記者だった石橋湛山はコラムで「死もまた社会奉仕」と痛烈に批判した。佐高氏は「強権政治の親玉のような山県を持ち出すとは、おめでたい弔辞だ。自民で首相も務めた石橋が批判した逸話を知らなかったのか」と皮肉る。
 駒沢大の山崎望教授(政治理論)は「自民の身内として、菅氏が情感に訴える表現で安倍氏を悼むことは理解できる。だが、国葬の弔辞で安倍政権や政策を賛美するのは危うい政権の全てを正当化し、異論や反対論を封じることにつながるからだ」とし、こう警鐘を鳴らす。「安倍氏の死を悲しむことと、政権や政策への評価は本来、全く別のはず。それが今回の弔辞では一体化し、まさに政治利用と言わざるを得ない」
◆デスクメモ
 頑張る選手の姿には誰もが感動したが、その裏側に汚職が広がっていた東京五輪。目を赤くして弔辞を読む菅氏の姿と声も、確かに感動的かもしれないが、冷静に読み返してみれば、これだけのひっかかりがある。感動で、安倍氏にまつわる負の記憶を上書きされるわけにはいかない。(歩)


なるほど、山県有朋は、安倍・菅さんが読んで学ぶべき政治家、ということか。
ところが、リテラがもっと踏み込んだ。なぜ安倍さんがこの部分に線を引いていたのか?
なぜこの本だったのか?本当に安倍さんのテーブルに読みかけで置かれたいたのか?という疑問を解き明かしている。

多くの国民が反対するなか、安倍晋三・元首相の国葬が9月27日に強行された。安倍元首相の業績とやらを振り返るフェイクだらけのPV、軍国趣味の式演出、男だらけの弔問客ある意味安倍政権を象徴するグロテスクな葬儀だったと言えるだろう。
 
そんななか話題になっているのが、菅義偉・前首相の弔辞だ。菅前首相といえば、スピーチ下手で有名だったが、今回は、ワイドショーやニュース番組でも繰り返し流され、「葬儀にもかかわらず自然に拍手が湧き起こった」など絶賛の嵐。


田崎史郎氏が「菅氏の言葉には心を動かすものがありましたね。昭恵さんも涙ぐむ場面があり、国葬でのハイライトでした」と評すれば、恵俊彰も「」「(岸田首相の弔辞は)申し訳ないが、あまり響かなかった」と岸田首相をくさして菅を持ち上げた。
 

橋下徹・元大阪市長は「菅さんと安倍さんは明らかに友人、友情…失礼な言い方かもしれませんけど純粋な小学校、中学校、高校生の友情関係を強く感じましたので、それが強く表れた最後の言葉だったと思います」と声を震わせた。
 

ほんこんも「心温まる、感動的な弔辞。新聞の記事で全文を読ませていただいて、凄いなと思ったところで、涙してしまうというところでございました」と絶賛。
 さらには、菅本人も調子に乗って、御用メディアであるABEMAの独占インタビューに応じ、以下のように追悼の辞の執筆エピソードを開陳する始末だった。


「提案があったので、『大変だ』と思って一生懸命資料集めから。一気にではなくまず全体像を入れていくというか、“何をして、何をして…”という構想からした。それと、私自身が今まで発言したものを集めていき、(完成形になったのは)意外に早かった」
 

しかし、この弔辞、そんな絶賛を受けるようなご大層なシロモノなのか。菅前首相の弔辞をめぐっては、玉川徹氏が『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)で、「電通が演出した」という事実に反する発言をして、大炎上しているが、実際のところ、電通以外のスピーチライターがいようが菅前首相本人が書いていようが、薄っぺらなハリボテ的演出がされた駄文だったことに変わりはなかった


「山縣有朋の歌」は安倍元首相自身がJR東海・葛西会長の追悼で引用したものだった


 その象徴とも言えるのが、山縣有朋の歌を読み上げたくだりだろう。菅前首相は弔辞でこう語っていた。



〈衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ〉

 

ようするに、菅氏は、安倍氏の死後、倒れる直前まで読んでいた本を発見。その読みかけの最後のページに、暗殺された伊藤博文を偲ぶ山縣有朋の歌が載っており、それがいみじくも、自分の思いを表していると語ったのだ。



菅前首相が弔辞で語った「安倍元首相の最後の読みかけの本」は嘘! 7年半前に読了していた


 もうひとつ、菅前首相の弔辞が問題なのは、安倍氏と山縣の短歌のほんとうのかかわりをネグって、インチキなドラマチック演出をしていたことだ。
 菅氏は、安倍氏の議員会館の部屋の机に読みかけの『山縣有朋』があったと言い、山縣の歌が載っていたページの端が折られ、歌のところにマーカーが引かれていたことから、そのページが銃撃される前に安倍氏が「ここまで読んだ、という、最後のページ」だとしていた。まるで読みかけのまま銃弾に倒れた安倍に導かれ、自分の心情を表す短歌に出会ったとでも言いたげに。
 

だが、実際の安倍はこの『山縣有朋』を読みかけのまま倒れたわけではなく、とっくに読み終えていた。そもそも、前述したように、安倍氏が葛西氏からこの本を薦められたのが2014年末。いくら勉強嫌いで知られる安倍氏とはいえ、8年近く経つのにまだ読みかけということはないだろう。


 実際、安倍元首相は2015年1月12日のFacebookで、週末三連休を河口湖の別荘で過ごしたことを報告した上で、岩波新書版の『山縣有朋 明治日本の象徴』の表紙の写真とともに、〈読みかけの「岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴」 を読了しました。〉と投稿。〈伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠みその死を悼みました。〉とくだんの歌も全文を引用して紹介している。
 

それから7年半経って銃撃される前、議員会館の机の上にほんとうにこの『山縣有朋』があって、ページの端が折られ、歌のところにマーカーが引かれていたとしたら、それは「読みかけ」で「ここまで読んだ」という印ではなく、自分が銃弾に倒れる3週間前に葛西名誉会長が亡くなった際、葛西氏の「追悼」に使おうと、歌のところを“お勉強”し直したと考えるのが妥当だ。


「葛西さんが亡くなったし、追悼文、考えなきゃ。そういえば、葛西さんに薦めてもらった山縣有朋の評伝に、伊藤博文を偲んで詠んだ歌が載っていたな、あれ、使おう。ああ、ここここ」という感じだったのではないか。ところが、菅氏はそれをあたかも、安倍氏が銃弾に倒れる前、最後に読んだ本、ちょうど読みかけの最後のページにということにしてしまったのだ。
 菅前首相も、安倍元首相ほどではないが、葛西氏とは近く、安倍氏が自民党総裁に返り咲いた直後の葛西氏との会食にも同席している。普通に考えれば、安倍氏が葛西氏の追悼に山縣の歌を使っているのは知っていたはずだ。どう考えても事実を知りながら美談仕立てのためにしらばっくれたとしか思えない。


明治軍国主義の権化・山縣有朋を国葬の場で美談仕立てで持ち出すグロテスク


 いずれにしても、巨額の税金を使って開いた国葬の弔辞で前総理が明かした「運命の秘話」が、当の故人が別の人の追悼に使っていたネタの使い回しだったとは、なんというハリボテぶり。
 とはいえ、これだけなら、まさに“愛国者のハリボテ”だった無教養な安倍・菅コンビらしいオチというだけの話で済むかもしれない。
 
しかし、今回の菅前首相の弔辞の本当の問題は、「使い回し」かどうか以前にある。それは国葬の弔辞で山縣有朋を持ち出したことそのものだ。
 そもそも山縣有朋といえば、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した人物。自由民権運動を潰し、天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上毅内閣法制局長官や儒学者の元田永孚らに命じて、

あの「天皇と国家のために命を捧げろ」と教える教育勅語をつくらせたことでも知られる。


また、菅前首相も自身に抵抗する官僚を監視し干し上げてきた弾圧体質も、自由民権運動を弾圧したり、反長州の人間を徹底的に排除するなどした山縣有朋と通じるものがある。
 

しかし、税金を使った国葬の弔辞で、そんな軍国主義の権化のような人間の歌を、堂々と美談仕立てで紹介するというのは、連中が日本をグロテスクな軍国主義の国に引き戻そうとしていることの証明ではないか。〈今より後の 世をいかにせむ〉=これからの世の中をどうしていこうかって、その後、山縣が指揮した大日本帝国がどんな道を辿ったと思っているのか。
 ところが、マスコミはその危険性を検証することも、「使い回し」を指摘することもせず、冒頭で指摘したように、この菅の弔辞を「泣けた」「素晴らしい」と絶賛している。
 統一教会報道と国葬批判で少しはマシになったと思っていたが、この国のヤバさは相変わらず、というしかない。
(編集部


確かに、多分多くの国民にとって、耳慣れない?山縣有朋という人物、多分明治の偉人、こんな人についての本を読むなんて、安倍さん、管さんすごい!!くらいのものだろうと。
国民はこんな事実まで調べたりしないだろうと、かなり舐めきったスピーチライターのお仕事に現れているし、メディアも掘り起こさないだろう、と高をくくっていた。


しかし、東京新聞の違和感提示、佐高氏の山縣有朋を国葬の弔辞で取り上げる不適切さと、その人物の実像指摘、そして、リテラ、やってくれますね。これこそメディアのお仕事です。あとは多くの人がこの事実に注目し、流した涙返せ〜!!!と、又しても安倍管政権の印象操作に引っかかったことに、怒りを覚えるべきだ。


本を進めてた人の葬儀の弔辞に、これ使える、という理由で線を引いた、これこそ安倍晋三像にぴったりくる。そんな事実が記録に残っているのに、それを国葬の弔辞に使って、嘘の物語を語ってしまう、大評判を読んだだけにスピーチラター切腹もの。


『菅さんの心の声を初めて聞いた気がする』さすが管さんダブルフェイス・二重底・でも脇が甘い。


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