「戦争はいけない」は真実か、と言うおかしな設定
「戦争はいけない」は真実か?朝日新聞がこの問いを紙面に上げている。
朝日新聞がこう言うおかしな設定を社会に問うのか?世も末だね。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってから(2014年のクリミア侵攻からと論ずる人もいる)
平和国日本はガタガタだ。攻められれば戦わなうては!!防衛費を増やさなうては!!
攻撃されそうなら先手を打って攻撃しなくては!!
今まで平和憲法の夢の中にいた国民は、『戦争はいけない』を懐疑視し、見直さなくては、と先走る。
でも、誰も、日本がどうすれば、戦争に巻き込まれないか?(巻き込まれるのか、は、台湾有事は日本の有事などと海外で発言する日本の政治家のマメな動きは有効そのもの)
武力の災禍から国民と領土を守り、他国の紛争戦争を防ぐための国際協力できるのか?こうした具体的議論は、とんと聞かない。”戦争”と言うものが地震や津波のように突然やってきてしまうような感覚でいるが、戦争を起こすのは、人間だ。
何千年の宗教的確執や、領土の集散離合の長い歴史の経緯など、感情と時間と理念のカラっ見合った問題が戦争紛争を起こしていることが多いが、日本の場合、第二次世界大戦時の戦争犯罪を認め、心を尽くし賠償し、いじましい自己肯定の靖国参拝をきっぱりやめるか、戦犯合祀を改めて、筋の通るやり方整理する。貿易をし、経済と技術を共有し、文化を交流し、その国の文化的なものへの尊敬を示す。そうすれば、中国と戦争になるようなことはない。アメリカVS中国、なら、揉めたら困りますよ、これだけのマイナス、これだけの損失、人命をとし、何を戦いたいのか?落とし所を見つけ、見つからなければ、未来の叡智に委ねるというアジア的方法をあめろかに納得させる。これなら、日本は東アジアで重要な位置を閉まることもできる。それができれば、「戦争はいけない」は真実か? なんて愚問を発する必要はない。
ただ、複雑化する(というかバカ化している)国同士の関係、論理的に物事が進められないポピュリズムの席巻が混乱を生んでいる。その根底にある倫理観のない情報操作。それを操ることがすでに戦略と呼ばれている。そんな時、軍事費を増やす(増やせば、現状のバランスを崩し、対立する国に警戒感を高め得る)なんと単純でイージーな考えだ。
専守防衛・一億総弾丸だ、国のために戦う覚悟だ!!若者は戦場へ、女性は兵士を産め、そんなことを覚悟させる前に、覚悟すべきことがある。日本という国の揺るぎない独立国としての主張だ。お世話になっているアメリカだからなんでも差し出しますでは、アメリカの戦争に巻き込まれ流というより、アメリカがしたくない戦争の肩代わりをしなくてはならなくなる(したくてしょうがないように見える議員もいる)。
中国にも、ロシアにも、アメリカにも日本という国はこういう国是を持って、独立国として起立している、国是・憲法の示す根幹がなければ、雰囲気でなんとなく、その場御野場で戦争に参加することになる。
敵基地攻撃など、浅薄な感情論、変な被害者意識の最たるものだ。
戦争はいけない。当たり前だ。暴力で奪他の人間の生活領域を奪い、そのために命も奪う、その上、日常自覚もされない残虐性を発露することにもなる。一生涯悪夢に苛まれ理自分の行為に直面する。だから戦争はいけない。
もっと重要なのは、戦争を起こしてはいけない。戦争を計画する人間は、自分の思想・欲望のために、人々の認識を歪めるためのポロパガンだを広める。どれだけプーチンが寒さに強くむきむきで、柔道の達人で、謀略家で、元諜報部員でも、人々を巻き込まなくては自分の野望は実現できない。だから、普通に暮らしている人々をその気にさせるには、恐怖を煽り、敵意を煽り、憎しみを生じさせる社会の雰囲気を作ることだ。そして、初めてしまえば、転がる雪玉のようにどんどん大きく過酷して巻き込んでいく。戦争は災害と同じパワーを持ち、もう人間の力では止めあれなくなる。どこかにぶち当たって粉々になるまで。
今日本で、「戦争はいけない」は真実か などという認識変換を提起するような命題を、新聞社が提起し、人々が議論するのは、”社会の雰囲気を作り”に他ならない。
頭の良さげな人々は、物事を盲目的に信じ議論をしないのは思考停止だ、などと挑発する。しかし、原則としての共通認識、人が人を殺してはいけないを、疑う議論は恐ろしい。
もちろん、現実に、争いは起こり人が人を暴力で支配し、殺すことが起こる。これを暴力支配しようとした側・殺した側を正当化する議論をする必要があるのか?
議論は殺された側、暴力の被害にあった側から発露されるもののみが意味をなすと思う。
今の日本の社会に「戦争はいけない」は真実か、などと問えるのは、自分たちが被害者になるという認識があるからだろう。しかし、我々は、加害者であった歴史を持つ国民であるのだ。入管の扱いを見てもわかるとうり、自分たちに生殺与奪の権利を与えられた(と考えた時)同じ人間を人間として扱うことを忘れるキャラクターがあるのが日本人。役に立つ立たないで(生産性のあるなし)人間を判別するのが日本人、弱い立場の人間(高齢者・障害者・闘病者)はいらない、と平気で発言をできる日本人。プライドとコンプレクスをないまぜにして、弱いところに吐き出すことに恥も躊躇もない日本人。そういう人々が勇ましさに興奮して、嫌韓だ嫌中だと、自分に反論反撃できない人々をいじめていい気持ちになる日本人。そういう因子が今の日本の社会にたくさんある。
だから気をつけなくてはならない。
戦争はいけないのか? 当たり前だ、ということがかっこ悪い、思考停止、お花畑などと嘲笑を受ける社会になってはいないか? そこを考えていかなくてはならないと思う。
中国が怖い、だったら、中国は何を望んでいるのか?真面目に考えてみているのか?
香港・台湾の市民への弾圧ウルグイ人弾圧、チベット侵攻が、は許されない、しかし、中国の国内問題として国際社会として関わるべきだ。中国は何がしたいのか?とにかく、日本を侵略などしたいわけではないと断言できる。
それにしても、最近のペロシさん+5人の議員たちの行動に必然性はない。
なぜ今、中国を怒らせたいのか?中間選挙に向けたパフォーマンスだとしたら、愚かすぎる。中国も世界第二位の経済大国として、軽く扱われれば、国の権威を傷つけけられれば、権威します行動に出る必要がある。
時々アメリカは、自分たちのルールしか見えていない。
日本は自分たちのルールさえ見えていない。
「戦争はいけない」は真実か、だったら、戦争はいけないは、真実ではないのか?と問うてみればいい。より明確になる。戦争が人類最悪の犯罪であるというのは、揺るがせにできない事実であり、真実である・べきだ。。
まあ、「戦争はいけない」は真実かという命題も、実際、巧みに曖昧さを介入させている。戦争は悪か?は真理か?もしこの問いを疑う議論反論を行うとするなら、戦争において、善なる戦争はあるのか?これはよく言われる、正義の戦争と同じ醜悪な詭弁に導かれる。
戦争はいけないのか?=戦争は悪か? 悪だと認識できない社会に動いているとしたら、様々な理由をつけて、戦争に迎合してゆく前兆だと思う。
追伸
ところで学生時代スネークマンショーというグループのLP(!)思っていた、その中で、
洗浄と思しき爆音の中、インタビュアーが瀕死の人と思しき人に、インタビューする
「戦争、お好き出すかぁ?」その人はただ、「うぅぅ〜」とが「あ”あ”ぁぁ」としか答えないインタビューが繰り返される。それを思い出した。
調べたら、これかな?CDになっていた。今や俳優の方が有名な伊武雅刀さんのネトっと渋い声(伊武雅刀さんだったと思う、遠い昔の記憶だもんで、、)で、「戦争、お好き出すかぁ?」は耳に残った。
- 死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対! (プラケース仕様)
- Sony Music Direct
- ミュージック
「愛」と「平和」がテーマとなっており、スネークマンショー流の反戦運動として戦争反対の署名を送ると黒い羽根が贈られる「黒い羽根運動」[注 1]が行われた。なお、献金も送られてきたが、それらは署名とともにユニセフに送られている
音楽面はダンドゥットなどインドネシア音楽をフィーチャーしている。
ジャケットは赤十字を模したもの。発売当初のジャケットに対し、赤十字から抗議があり、それを受け十字の色を赤から金色に変えたという
帯に「ラストアルバム」とある通り、桑原茂一、伊武雅刀、小林克也3人での最後のアルバムとなった
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