密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

勘違いしたおっさんど真ん中、変えてゆこうそんな政治。いいね大石ちゃん。

大石明子さんがいい仕事をしている。内閣委員会で子供達のこども家庭庁審議の際、自民党の松本議員の発言に言及し、問題なのは、そういう勘違いしたおっさんど真ん中の政治と気持ちいたんかを切った。


この勘違い松本議員によると、今の世相批判の右翼議員の定番の、権利ばかり主張して義務を放棄するそういう大人に利用され、視野狭窄になる。会津の風習?武士道?か何かを持ち出し、『ならぬものはならぬ』を教えていかなくてはならない、と。
ご本人も医師であるようだが、だから余計に、視野が狭くなるといえばいいものを、視野狭窄と表現。現実にそういう症状に苦しむ人たちに対しての差別的表現だし、言ってるなようは、突き詰めれば、子供は黙っていうことを聞け という昭和の親父仕草の肯定でしかない。


親が、教師が、子供を叱る場合、『なぜいけないの?』と問われ、最後まで論理的に納得するまで付き合うことは、大人にとってもキツイ。『ならぬものはならぬ』で押しとおせればそれは楽だ。理屈を言うな!女子供は黙ってろ!!は、自分が世の中の中心だと勘違いしているおっさんの憧れの言い分。それで通る世の中が欲しい。女子供に理屈(と彼らはいう、時に屁理屈という)で言い負かされたりするなんて我慢ならない。まあ子供にとって権力者である親は、父母を問わず『ならぬものはならぬ』を振りかざすことがあるが。


こういう考え方は結構根深く日本社会の土台に根を張っている。おっさん差別だとヤジが飛んだみたいだが、この人たちは差別ということもわかっていない。おっさん=権力者であることが多い。未だ家父長制の根強い日本で、より強い家父長制を復活させようと声を大にことごとく騒ぎ立て、こっそり法整備して、教育勅語を学校教育になんて無茶が通っていく。
だから大石さんの発言が、名言なのは、諸悪の根源を言い当てたからだ。
そういえば菅野完氏は、日本会議は日本おっさん会議だと言っていた。
男性が年齢を経ると、おっさんになるわけではない。
人の言うことを聞かなくなり、横柄になり、短気になり、国家という幻想にアイデンティティを写し、論理性を逸脱してゆく人物をおっさんという。


おばさんはなぜ許されるかというと、政治的権力を握っていないからだろう。


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