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いじめの小山田圭吾氏音楽、このオリパラに象徴的~辞任

五輪開会式の音楽を担当の小山田圭吾氏が過去に自己のいじめ加害を雑誌で公開していたことで、オリンピックにふさわしくないという声が上がっている。


この人の音楽は聴いたことがないので、聴いてみた。悪い魂に壮絶な才能が宿ることもある。で、壮絶な才能は、、、まあ普通にかっこよく、軽くおしゃれ。70年代テクノポップを下地に現代性アンビアントを加味し、万人に受け入れられる音楽を、選ばれた人が理解できる感で味付け。個人的には、新しさの表現か、Coolのためか、リズムというかタンギングの外しが心地悪い、攻殻機動隊のTVアニメの音楽が好きで、それをやった?のと思ったが、幸いなことに違った。担当の劇場版を聞いてみたが、やはり、どうにも不快。いじめバイアス(が絶対あるから)だろうか?で割り足して、若い人好きなんだろうな、でもおばちゃんは、わざとらしい狂いが気になって、なんだろうな。不快。


なぜ、冨田勲・武満徹はもういないけれど、坂本龍一、久石譲、などポピュリズム・芸術性・実績・知名度・で見ても、もっと相応しい人はいる。きっと断られたんじゃないかな。(椎名林檎はあのリオ五輪閉会式の愛国パフォーマンスでげんなりしたから、やって欲しいとは思わなかった)


演出だって、野村萬斎〜宮本亜門〜MIKIKO、面白いことができそうな人材をのがしている、あるいは追い出している。


この、そこそこかっこよくて聴きやすいのを、少しの”わかりづらさ”をスパイスにしている小山田圭吾氏は、その才能以上にバックグラウンドが素晴らしい。
和田弘とマヒナスターズの三原さと志の長男として、東京に生まれる。
版画家の中林忠良は義理の叔父(父方の叔母の夫)。田辺靖雄は母方の叔父。ベンチャーキャピタリストである伊藤穰一とは、はとこに当たる。また、イギリスのロックバンドのLushのヴォーカル、ミキ・ベレーニとも、はとこに当たるほか、ミキは永積崇ともいとこであることから小山田と永積もまた親戚に当たる。


中林先生の甥御さんかぁ〜。懐かしい(ワタクシ日本で版画家だったんで)。こういう業界は政界と同様、ネットワークが命で、毛並みのいい人は生きやすかろう。まるで安倍晋三全総理のようだ。日本人は、叩き上げよりサラブレットに憧れを抱きやすい。


政界サラブレットで中韓攻撃、歴史修正主義安倍晋三のオリンピックには、文化系サラブレット、障害者いじめの小山田圭吾の音楽が似合う。彼にバックグラウンドがなければ即、辞任させるだろうが、ここは、形だけ謝っておいて、この思いを持って音楽で五輪成功が責任の取り方などと、いい抜けるんだろうな。



1週間後に迫った東京オリンピック(五輪)開閉会式の制作チームで音楽制作を手掛けており、14日の就任発表後に過去の「いじめ告白」が取り沙汰されていた小山田圭吾氏(52)が、留任することが16日、分かった。


本人のツイッター投稿での謝罪を受け、大会組織委員会が日刊スポーツの取材に対し「引き続き最後まで準備に尽力していただきたいと考えている」と続投を明らかにした。


「小山田氏の過去発言について、事前に把握していたのか」などの質問に対する組織委の回答全文は以下の通り。


小山田氏の当該の過去の発言については、組織委員会として把握していなかったが、不適切な発言である。一方、小山田氏本人はこの取材時当時の発言については後悔し反省しており、現在は高い倫理観をもって創作活動に献身するクリエーターの一人であると考えている。開会式準備における小山田氏の貢献は大変大きなものであり、1週間後に開会する東京2020オリンピック開会式に向けて、引き続き最後まで準備に尽力していただきたいと考えている



ほらね。


小山田氏本人はこの取材時当時の発言については後悔し反省しており、現在は高い倫理観をもって創作活動に献身するクリエーターの一人であると考えている
JOCはそう考える。でもそう考えられない人たちがいる。



障害者支援団体 小山田圭吾いじめ加害に声明「強く抗議」雑誌告白「極めて露悪的」組織委「重い説明責任」


知的障害者の権利擁護と政策提言を行う一般社団法人「全国手をつなぐ育成会連合会」は18日、東京五輪開会式の楽曲を担当するミュージシャン「コーネリアス」こと小山田圭吾(52)が過去の雑誌インタビューで告白した学生時代のいじめ加害に批判が集まっている問題について、公式サイトで声明を発表した。障害の有無にかかわらず、いじめや虐待は許されないとし「小山田氏の行為には強く抗議」。雑誌インタビューについては「極めて露悪的」とした。大会組織委員会には「重い説明責任」があるとしたが、楽曲制作の取りやめまでは求めなかった。


 雑誌は1994年1月発行の「ロッキング・オン・ジャパン」(ロッキング・オン)と95年8月発行の「クイック・ジャパン」(太田出版)。同級生を箱に閉じ込めたり、近隣学校の障がいのある生徒をからかったりしたことを反省せずに語っていた。以前から問題視されており、今月14日に発表されたクリエーティブチームの一員に小山田の名が挙がると、インターネット上で「致命的な人選ミス」などと批判の声が上がり、問題が再燃していた。


 小山田は16日、自身のツイッターに謝罪文を投稿。いじめ加害を認め「深い後悔と責任を感じております」「受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたい」などとつづった。


 全国手をつなぐ育成会連合会の「小山田圭吾氏に関する一連の報道に対する声明」は以下の通り。


 東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作へ参加しているミュージシャンの小山田圭吾氏に関する一連の報道について、一般社団法人全国手をつなぐ育成会連合会(以下「本会」という。)として次のとおり声明を発表いたします。


 新聞等の報道によると、小山田氏は私立の小中高一貫校に在学していた際、障害のあるクラスメイトに対し、筆舌に尽くしがたい苛烈ないじめ行為をしており、そのことを平成6年(1994年)および平成7年(1995年)の2回にわたり、異なる音楽雑誌のインタビューで赤裸々に語っていました。小山田氏自身も、公式サイトにおいていじめ行為があった事実を認めており、謝罪もしています。(ただし、あわせて音楽雑誌側に事実を誇張していた旨の主張もしています)


 今回の事案について、本会としては大きく以下の3点が重大な問題点であると認識しています。


 (1)障害の有無に関わらず、いじめや虐待は許されるものではない


 小山田氏のインタビュー記事は採録がためらわれるほどの凄惨な内容であり、いじめというよりは虐待、あるいは暴行と呼ぶべき所業です。このような行為は、たとえ学生という未成熟な年代であったとしても、許されるものではありません。しかも、そのターゲットが反撃される可能性が少ない障害のあるクラスメイトだったことも考え合わせると、小山田氏の行為には強く抗議するものです。


 (2)小山田氏の行為は極めて露悪的である


 上記のとおり小山田氏の行為は決して許されませんが、学生という年代であったことを考慮すると、行き過ぎた言動に走ってしまうことはあるかもしれません。


 しかし、そのことを成人して著名なミュージシャンとなった後に、わざわざ高名な音楽雑誌のインタビューで面白おかしく公表する必要性はなかったはずです。極めて露悪的と言わざるを得ません。しかも、インタビューでの発言では明らかに障害者を差別的に揶揄している部分も各所に見受けられ、少なくともインタビュー時点ではまったく反省していないばかりか、一種の武勇伝のように語っている様子が伺えます。


 (3)なぜ小山田氏が楽曲提供担当となり、留任させることにしたのか


 小山田氏の公式サイトによると、「過去の言動に対して、自分自身でも長らく罪悪感を抱えていたにも関わらず、これまで自らの言葉で経緯の説明や謝罪をしてこなかった」と明記されており、東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加要請があった際にも、組織委員会に対していじめ加害者であったことは説明していなかったことが色濃く推測されます。


 あれだけ露悪的なインタビューが公表されているにも関わらず、なぜ小山田氏が自身を「いかなる差別も禁じる」としている五輪憲章を掲げるオリンピック、そして障害者アスリートの祭典であるパラリンピックの楽曲提供を担当するに相応しいと考えたのか、理解に苦しみます。同様に、そのような小山田氏を起用し、今般の事案を踏まえても留任させる決断をしたにも関わらずまったく公式な説明を行っていない東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会には、重い説明責任があります。


 本会としては、すでにオリンピックの開催が直前に迫っており、小山田氏も公式に事実を認め謝罪していることも勘案して、東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加取りやめまでを求めるものではありません。


 しかし、今般の事案により、オリンピック・パラリンピックを楽しめない気持ちになった障害のある人や家族、関係者が多数いることについては、強く指摘しておきたいと思います。


 小山田氏が露悪的であったことも含め心からの謝罪をしたのか、それとも楽曲提供に参画したい一心でその場しのぎで謝罪をしたのか、本会としては小山田氏の言動や東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の動向について、今後も注視してまいります。


 令和3年(2021年)7月18日


 一般社団法人 全国手をつなぐ育成会連合会
 会長 久保厚子


もっともだ。いじめはする側には笑い話の思い出にできるくらい軽い行為という認識でも、される側は堪え難いものだ。学校という小さい社会にいることで、逃げ場のない絶望にかられる。しかも小山田氏の行為は”軽い遊び”感覚をも逸脱した真正の拷問だ。
これをなかったことにしたいなら、それ相応の償いをしてこなければならなかった。
非難を受けての謝罪文『本来であれば、様々な理由から、私の参加にご不快になられる方がいらっしゃることを考慮し、依頼を辞退すべきだったのかもしれません。
 しかし、課題も多く困難な状況のなか、開会式を少しでも良いものにしようと奮闘されていらっしゃるクリエイターの方々の覚悟と不安の両方をお伺いし、熟考した結果、自分の音楽が何か少しでもお力になれるのであればという思いから、ご依頼を受けるに至りました。』(全文*1)

この人自分のしたこととは全く向き合っていない。”様々な理由”と行為をねぐり、”ご不快になられた方”、と不快を感じる側の特殊事情としている。周りが困るから続けるのが責任と、本当に自民党議員の不祥事謝罪コメントにそっくりだ。


いじめ告白は当時の時流に名乗って、軽い露悪COOL程度で行ったのだろう。そういえば、昔、熊田裕通衆院議員が自分のSNSで過去のいじめ自慢を公表して叩かれたことがあった。
いじめた側って、楽しい思い出、マウンティングの優越感を内心に維持しているのだろうか。だとすると、その行為に対して社会は許すことをせず、罰に値する、ということを、しめさなくてはならない。


アメリカでは差別発言で職を失う、またこのようなひどいいじめの過去があれば、同様だ。
少なくとも、公職にはつけない。本人が後悔して、セラピーに通い、被害者支援団体に寄附行為やボランティアを続けてきたというなら、許容されるかもしれないが、こんな謝罪でさえないコメントで、時間がないからと続けさせ、国際社会に大々的にお披露目をしたら、日本の倫理観の低さを、社会の低劣さを大宣伝するに等しい。どこかの海外メディアは取り上げるだろう。


公共の仕事をする人間にとって、過去の差別発言、ましてやいじめなど致命的だ。それを、『小山田氏本人はこの取材時当時の発言については後悔し反省しており、現在は高い倫理観をもって創作活動に献身するクリエーターの一人であると考えている』などとすまして押し通してしまう、これは今回の五輪の要所要所に現れる、一部の人のための五輪の象徴だ。


類が友を読んで、本当に醜い五輪開催がすぐそこまで来ている。
抗議者も、『本会としては、すでにオリンピックの開催が直前に迫っており、小山田氏も公式に事実を認め謝罪していることも勘案して、東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加取りやめまでを求めるものではありません。』と言っているが、
ここはとても日本人的だ。仕方ないから、もう決まったことだから、と相手に譲歩する。
これはいけない。


いくら、もう時間がないから、安倍五輪に親和性がある上級国民アーチストだから、なあなあで済ませることはするべきではない。この人物は辞任に追い込まなくてはならない。それが、社会の倫理だ。小山田氏が、すべての人を、特に被害者に選ばれた障害のある人々を、心から納得させる贖罪行為を行わない限り。それがどのような行為であるか、見ることに意義がある。いじめを行なっている人も、許されない行為が自分の将来に大きな影を残すということを知らせることになる。必要な行為だ。無観客無音楽の五輪もいいじゃないか。


と、ここまで書いて、小山田氏辞任の一報。

今までの政府対応なら押し切っていただろう。昨日加藤官房長官が、「主催者である組織委員会において、適切に対応いただきたい。またそうした対応を取ることが必要だと考えている」と発言したので、辞任あり得るかも、と思っていたが、案外早かった。


武藤事務総長は、「この真摯な謝罪、反省を受け入れても良いのではないか、とまず考えた」次に「このような行為が謝罪だけで許されるものではない。その点、判断が誤った」と釈明。「混乱をもたらしたことをお詫びしたい」「挽回して、開会式を成功させることが、われわれの責任だと思う」と態度を変えている。こうした選任の背景調査は、絶対必要で、JOCがいかに杜撰で、私物化ノリで人選をした可能性も見え隠れする。


虚栄のオリンピック、もはやボロボロだ。

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