密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

”拝察” 象徴ゆえに国民の不安を代弁

天皇の五輪への懸念を拝察した宮内庁長官の発言。科学者としてこのコロナ蔓延を考察情報蒐集してきた今上天皇からのメッセージをどう受け止めるのか。


嫌がる天皇を無視して”天皇陛下万歳!!”を叫んできた自民党はおとくいの西村長官の”個人的見解”で無視しようとしている。自身の名を冠して行われた”イベント”で国民に重篤な被害を及ぼすことは、祖父の思いを受けても絶対にしたくないだろう。父が貫いた、反省平和・国民ファーストへの静かな戦いを見てきた、戦後教育・民主主義・平和志向の天皇だ。


第二次世界大戦の罰で、末代まで人権を封じ込められた天皇。それでも人間だもの、言いたいこともある。彼は協調的で争うを好まないように見えるが、学友と憲法の穴を考察するだけの気概と知性を有している。


今回のことも、憲法と照らし合わせた熟考の末の戦略だろう、と思う。
天皇のコントロールと政治利用は歴史的に時の権力者が、血道をあげるアイテムだ。
戦後天皇の戦争責任・しかし国民統治の影響力として、死刑に処せず、象徴天皇となった。
象徴天皇という立ち位置を、裕仁氏自身が徹底することにつとめ、息子の明仁氏がそれを積極的に役割を模索した。今上天皇も、その役割とは何かを、それこそノーブレス・オブリージュで、、考えているだろう。しかも祖父の巻き込まれた、そして止めることができなかった狂気の支配者と酷似して、人間たちによる国民無視の強行・強行の行き着いた先のこの五輪、ここで何もできなければ、祖父の轍を踏むことになる、という思いを抱いたとして、誰が憲法違反だ!!と責められるのだろうか。


憲法違反にならないように注意深く発しられた今回のメッセージだ。巷では、”御聖断”
”玉音放送”になぞらえている。リテラは、”令和の天皇の「祈り」にも近いメッセージ”、と表現している。単に利用するだけで、不都合は強引に封殺する現政権を動かすことはできないだろう。動かすのは国民の心だ。


今や、正しい美しい日本語、知性・良識、思いやり、文化を体現する良き日本人の象徴である天皇であれば、こういう誰が見ても異常な、かつ必ず悪い結果を生む現状は、肯定できるはずもなく、無視したり妥協したり諦めたりもできないだろう。


政治家が、がん無視するなら、国民がこの呼びかけを受け止めよう。同じ人間だ、黙っていられない、いてはいけないと思って何が悪い。
通常の人の、何百倍ものプレッシャーの中で、危機に対して踏み込んだ今上天皇の「お気持ちを拝察」してもいいのではないか。


憲法論議はさておき、日本の象徴は、『善人の沈黙』を良しとしなかった。そういうことだろう。



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