密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

森と同族、二階俊博、『そんなこと』で 崖っぷちへ背中を押す。

どうして自民党重鎮というのは、こうもKYなのだろう。
今彼らが森喜朗をなんとか、できる可能性の薄いオリンピックの会長に温存させたいのなら、いつものようにひたすら”死んだふり”、をしなければならない。


しかるに、二階俊博氏のエールは不適切この上ない。

東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言を巡り、自民党の二階俊博幹事長は8日の記者会見で、大会ボランティアに辞退を申し出る動きが出ていることについて「そんなことですぐ辞めると瞬間には言っても、協力して立派に(大会を)仕上げましょうとなるのではないか」と述べた。党はその後、「『そんなこと』は『そのようなこと』に訂正する」と文書で記者側に通知した。
 二階氏は「どうしてもお辞めになりたいということだったら、また新たなボランティアを募集、追加せざるを得ない」とも話した。森氏の辞任を求める声が強まっていることに関しては「周囲の期待に応えてしっかりやっていただきたい」と語り、辞任の必要はないとの考えを示した。(山口哲人)


『そんなこと』は『そのようなこと』に変えても何も変わらない。二階氏は森発言とその後に続く逆ギレ、追加女性蔑視を、大したことではない、と捉えているのだ。
自民党議員たちにとって、大したこととは、大きなお金が動くこと、出会って、人権とか、一般国民の暮らしとか安全とか、国にとっての良識・知性に関わることは、『そんなこと』なのだ。


だからこうした問題に世間が騒いでも、「女子供ががたがたいうな」と一喝する、昭和初期の家長制のヒエラルキーに立つ頑固親父的態度を盲目的に続ける。取り繕うことさへしようとしない”集団浅慮”がはびこる、男様政党だ。


今回森喜郎氏の発言がこれだけ国内外から非難を浴びたのがなぜなのか、菅首相をはじめとする自民党重鎮たちは、理解できないでいる。


ボランティア辞退者も増えているのに、その意味を理解せず、やめたきゃやめろ、代わりはいくらでもいる、と宣言してしまう態度は、旧時代の”先生”体質だ。
自分が喋る、お前らは聞け。口答えをするな。生意気を言うな。と上から押さえつけることが自分には許されている、自分の役割だ、と思っている。民主主義で選ばれた国民の代理人という意識が欠如しているので、権力を縛る現行憲法の改正を、権力側の自分たちから言い出す。


ここまで、日本の政治が劣化したのは、強いものに巻かれたい国民一人一人の自意識の脆弱さによるところだと思はざるを得ない。そして、匿名なら、そして大勢がそうしているなら、かなり酷い言葉を他人に投げつけて憚からないことも、その延長線上にある。そこには自分たちが権力のある人間と同化したい、トランプ現象と同様のものであり、その攻撃性は社会的弱者とマイノリティーに向かう。こうした人々は、自分を裁く自分自身の善悪の規範を放棄してしまい、自分が同化したい人間の価値観意見に盲従する。


それが仕方のないことと言うのなら、より良き人間を国のリーダーに選ばなくてはならない。バイデン政権発足20日、日本ではトランプ最強論がまだ根強いようだが、米国民の56%がトランプ氏に対する有罪を支持し、トランプ氏が将来大統領として働くことが禁じられることを望んでいることがわかった(ABCニュースとイプソスによる世論調査)
去る者は日日に疎し、である。 


それでも、その”日々に疎し”を作戦かして幾多の苦境を切り抜けてきたのも自民党だ。
彼らを駆逐するには、覚悟と視点が必要だ。今回森喜朗発言によって、日本の女性が、”女子”を抜け出し、自分たちの立ち位置をしっかり主張してきていることは、僥倖だ。


国際社会との乖離に目を向け、”話の長い女たち”の正論が大きな流れを作ってゆくことを期待している。


そう言う意味で、森喜朗・二階俊博 Good Job!!!


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