森喜朗発言で発芽する日本の女性への意識改革
伊藤詩織さんのレイプ事件とその組織的もみ消し、およびそこで彼女の著書によって広く明らかにされた警察や病院でも全時代的被害者への扱い、その後行われた、被害女性バッシング、レイプ、あるいは関原をされるのは女性にスキがあるから、派手な格好をしていたから、と言ういわれなき誹謗中傷。そうしたことに多くの今まで言葉を飲み込んできた女性たちが、声をあげ、認識が一歩進んだと感じた。
今回の森喜朗発言で、まず女性への先入観・事実と異なるステレオタイプで、社会を構築するのが当然と言う社会をいまだに維持し続けている日本の問題点に陽が当たったと思う。
”わきまえた”女性であることにストレスを溜めてきた女性たちの声ーChoose Life Project
2/6 Don’t Be Silent #わきまえない女 たち
もともと甘やかされることが好きで、当然だと考えてしまいやすい日本の男性の無邪気な無知、不見識、デリカシーの欠如、それを助ける社会の空気。
以前書いた”女子力”と言う言葉の違和感。そうした中で、わきまえささられる続ける日本の女性たちは、いまだに男性の評価の中で生かされている。
戦後、ウーマンリブ運動や学生運動の嵐が過ぎ去った直後の社会的風潮は、女性は自由で強くなり始めていた。それでも、腹立たしい認識や言動がまだまだ横行していたし、セクハラという言葉がなかったため、男性の”全ての女は俺のもの”的接し方は奥こうしていた。それでも、きっと段々良くなるだろうと思っていた。しかし今の日本は、逆行してしまった、いや男性が劣化していると感じる。特に2000年を境に(ワタクシが渡米した頃)、自民党の保守オヤジを担ぐネトウヨのような人たちが跋扈して、なんだか社会が、えっと言うほど悪くなっていると帰国するたびに感じる部分があった。
日本が幸福追及に逆行しだしたと感じたのが、黒沢清監督の”東京ソナタ”がアメリカで評判になって、この家族に解雇を隠して会社に行くふりをして、職安に行き公園で時間を潰す男性たちのことを、日本独特のものとして語られていた時。リストラという言葉を初めて聞いた時。給食費を払えない子供達が増えていると、教師をしている友人に聞いた時。
日本に”貧困”が広がっていると聞いた時。派遣さんというポジションが普通に会社の半数を占めると知った時。
そんな中、コンプライアンスで、セクハラ・モラハラ・パワハラ・マタハラなどの言葉が生まれて、ある程度行動を規制する、あるいは被害者になるとしている側からの注意喚起・警鐘を発することができるようにもなってきた。
しかし、それに比して、女子力という言葉は、新たに男性価値観で生きろという、旧時代は、女は女らしく、と閉じ込められたきた呪縛が新たに現代の衣装を着て現れた、女性たちはの自主規制だ。これはじわじわとソフトに生きる範囲が狭められ、生きていいポジョンが限定されたゆく社会の絞り込みの一環だ。女性に限らず、弱者・マイノリティーに対する高圧的支配が以前より跋扈している。
日本に帰ると、母や妹が、ただじっと彼女らの夫の話を聞いている、意識がどこか遠く行っているような、脱力した顔をして。こうした人間を相手によく話し続けられるなぁと話している方のデリカシーを疑うが、意見を言ってはいけないわけでもなさそうなのに、意見は言わないのだ。アメリカでも、一方的に話す男性が”時々”いて、聞いてる方は同じ顔になるのだが、だいたい理由をつけて部屋を出て行く。日本ではそれはない。
話がだいぶずれてしまったが、#わきまえない女たちの配信を聴いて、女性たちは進化していると感じた。劣化しているのは、必死に抗う男性側なのだろう。
ハフィントンポストで【徹底解説】森喜朗氏の「わきまえている女性」発言、問題点はここだ。という記事の中で、大変注目すべき分析があった。
全文もとても良いのでぜひ読んでください。
「同質性のリスクは組織のリスク」
「同調圧力がかかった同質性の高い集団の中で物事が決められると、『グループシンク=集団浅慮』がおきます」
集団浅慮とは、①リスクを楽観視する、②集団の実力を過度に評価する、③都合の悪い情報を遮断する、④社会ではなく集団内の規範を重視するーーことなどを指すという。
「今起きている様々な事象に照らせば、思い当たることばかり。同質性は不祥事を起こしやすい組織の特徴です」
女性が参加した会議で次々と発言し、結果的に会議の時間が長引いたとして、それがマイナスであるかどうかは、また別の問題だ。
あれあれ、これって、自民党支配の行政にまさにぴったりだ。
集団浅慮
①リスクを楽観視する(新型コロナ対策とオリンピック強行)
②集団の実力を過度に評価する(国際社会において日本が中心だとか重要だとか思い込んでいる)
③都合の悪い情報を遮断する(言わずもがな、遮断どころか、隠蔽・改ざん・捏造・廃棄)
④社会ではなく集団内の規範を重視する(まさにその通り、強行採決で決めたしまえるという恥知らずの認識。今回も、国民や国際社会がこれだけ非難しているのに、一体誰が引き止めたのか?余人をもって変えがたし?ほんと内輪のことしか’絵に入らない)
集団浅慮が日本全土に広がる前の、病根を叩くべきだ。
とこりで、ポスト森に安倍マリオという恐ろしい予想を聞いたが、しかし集団浅慮の自民党ならありえる。でも、今静かに雲隠れしているのに、餌につられてのこのこ出てくれば、集中砲火もありえるけど。
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