密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

Too Much Me Too: 橋下氏の発言に一理ある+セックスワーカーへのセクハラ被害訴え勝訴NZ

日本は男性優位社会であり、社会の根底には、ミソジニー、女性に対する不浄感が横たわる。だから、伊藤詩織さんの訴えと、彼女の、ジャーナリストの資質で事態を冷静に分析し、強姦被害者に対する、偏見や攻撃に対しても社会が目を向け、認識を新たにする大きな動きを作ったことも、性被害女性(男性)に勇気を与えたことも、本当にすごいことだと思っている。


しかし日本社会は、Me Tooが流行れば、なんでもMe Too化し、問題の本質をごっちゃにしてしまっているのではないか、と考えさせられたのが、性欲過多の芸人の所業による”賛否?”の問題だ。その人物が(既婚)が複数の、”セフレ”を呼び出し、全くロマンチックではない場所で性行為を楽しんだ、しかし相手の女性はその扱いに不満があって、週刊誌に”告発?”した。マスコミは、彼が既婚であることの罪と、野獣であることの罪をないまぜにして攻撃した。


ここで、タカ派論客橋下徹弁護士が、この問題で発言し、彼の意識こそ女性をモノ扱いしている!!という論調の記事に、違和感を持った。『これは単なる不倫スキャンダルなどではなく、渡部建が複数の女性を性のはけ口としていたという、性的搾取・ハラスメント問題である。』『橋下徹の発言は力関係を無視した差別者擁護 想起される大阪市長時代の慰安婦発言』という視点で語られてゆく記事だ。
まず、橋下氏の発言の部分だけ転載する。

「女性は傷ついているんですか? そこはどうなんですか」
「渡部さんとのお付き合いのなかで、女性が本当に傷ついたんだったら、第三者の僕が言うことじゃないんですけれども、渡部さんがしっかり対応すればいい話なんですけれど。なんか女性がものすごい傷ついて傷ついて傷ついて、世間的には女性の人権とかどうのこうの言うんですけど、本人たちはそういう意識なんですか。」


「いちばん報じなきゃいけないのはその部分でね。女性が、わかんないですよ、わかんないですけど、渡部さんとのそういう関係のなかで、いろんな状況のなかで、ある程度納得して、合意してっていうんだったら、そこはしっかり言わなきゃいけないし、傷ついているんだったら、傷ついている。なんかそこを曖昧にして。なんかこの対応のところだけを。アンフェア。」


「なんで断らなかったんですか? 付き合いを。この現代社会においてね、女性と男性をこれから同等にっていうことのなかで、いま僕らは一生懸命努力して。昔の時代なら断りにくいようなこともあったと思うんですけど、いまの時代、そうではないと思うんです」


「事実をもうちょっとフェアに伝えもらいたいと思うのは、やっぱり女性のところで、女性は本当に傷ついて、渡部さんが本当に傷つけて、何か騙したとかなんとかだったら、これは報じて、渡部さんにもそれなりの対応してもらわなければいけないけれども。そうじゃない事実があるんだったら、世間の受け取り方も違うと思うんですよ。僕は、やっぱり裁判でずっと仕事をしてきたから、これはフェアじゃない。渡部さん、防御権を行使しないと。事実については、もうちょっとね、謝るところはしっかり謝らなきゃいけないんだけど、やっぱり女性との関係は、事実が出てくれば、見え方も感じ取り方も世間違うと思うんで。弁護士つけてやってもいいと思うし。そこは文春自身が報道機関という気概・矜持があるんだったら、しっかりそこは伝えてもらいたいと思うんですけど」


「今回の男女の問題っていうのは基本的に犯罪行為でもなければ、渡部さんが騙したり傷つけたり何かやった場合には、徹底的に報じてね、僕らこういう立場で仕事している以上は、そこは報じる必要があると思うんですけれども。そうじゃない限りは、本来は当事者の問題じゃないですか。でもだからこそ一番問題なのは、渡部さんとその女性との関係、その行為が、何か暴力的なことがあったのか」


以上が、橋下氏の発言(リテラが掲載していた)


橋下氏は「女性は本当に傷ついていたのか」「何か暴力的なことや騙したとかあったのか」と遠回しな物言いをしているが、暴力的なことや騙したとかがないのであれば、渡部が一方的に責められることはないと言っているのだ。
 また、橋下氏は「なんで断らなかったのか」「いまの時代、断にくいなんてことはない」とも話していたが、これもあの卑劣な“性のはけ口”扱いが合意・納得のもと行われた可能性が高いことを示唆したうえ、それなら問題ないと言っているに等しい。


と記事は反論している。橋下氏は、一見正義ヅラして実はミソジニー社会を背景に、女性を貶めている?のだろうか?。私には橋下氏の意見は正論であると思える。
男女間において、特に”遊び相手”との関係において、力関係が生じることは、避けられない。が、彼女たちが渡部に言われるまま会いに行っていたのは、「有名人」で「売れっ子」である渡部に精神的に支配されていたからだろう。』
相手が「有名人」で「売れっ子」だから、自分の尊厳を投げ捨てるほどに精神的に支配されていたとしたら、この女性の価値観やセルフスキーマの低さにも問題があるように思う。
どっちもどっち論で攻撃されるべきではないが、彼女(ら)は何かを学ばなくてはならないと思う。


オヤジ社会で勝ち残った塩対応のビッチ(褒め言葉です)、指原莉乃さんは「何度も呼ぶのもバカ」、「結婚しているってすでに皆が知っている人から呼び出されて何度も行くのもバカ」と発言している。ある意味オヤジ社会で戦っている彼女にしたら、そう言いたいのはわかる


つまりこの女性を必要以上に被害者扱いするのも、バカ扱い、子供扱いし、自立した大人扱いしていないということでしかない。それを学校でのいじめ・家庭内暴力・ブラック企業、カルト宗教という、個人がその環境から抜け出すことが難しい、閉じられた空間で起こる、
精神的隷属と同列、あるいは、その要素が隠されていると声高に叫ぶのも、どうにも、違和感がつきまとう。


もちろん、上記の橋下氏の意見を肯定したが、彼の、大阪市長時代の2013年に日本軍の従軍慰安婦について「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」「日本軍だけでなく、いろんな国が慰安婦制度を持っていた」と発言し、さらに沖縄の在日米軍にも「もっと風ぞく業を活用して欲しい」とは全く別問題。このとんでも発言は、男には絶対性処理が必要だから、慰安所を作ろうと考えた、慰安婦制度を敷いた当時の軍上層部と同じ発想で、それこそ女性をもの道具としか見ていない、典型的な日本男性の排泄信仰だ。


日本が、性差別、ハラスメントについて、いまいち混乱している点を、比較できる素晴らしいニュースを見つけた。ニュージーランドで下された、セックスワーカーに対する、セクハラ裁判での原告勝訴だ。

ニュージーランドのセックスワーカー(性労働者)がセクハラ被害に遭ったとして訴訟を起こし、被告の会社側から多額の賠償金を受け取ることで14日、和解が成立した。


この和解は、すべての労働者が職場でセクハラを受けてはならないことを、改めて確認するものとなった。ニュージーランドでは2003年に性労働が合法化されている。


原告女性の代理を務めた人権団体は、和解によって、女性の「精神的被害と賃金損失」に対して数十万ドルの賠償金が支払われることになったと述べた。和解には、これ以外の内容も含まれているという。


関係者の身元を含め、裁判の詳細は秘密とされている。


それでもこの和解は、性労働者の権利にとって重要な前進と受け止められている。


事業者への警鐘



性労働者の団体「ニュージーランド・セックスワーカーズ・コレクティヴ」の全国コーディネーターを務めるデイム・キャサリン・ヒーリーは、「性労働を背景に、この種の和解が性労働者にもたらされたのは、素晴らしいことだ」とBBCに述べた。


ヒーリー氏は、「職場で声を上げることは、どんな職場であれ勇気がいることだ」とし、今回の和解は企業側への警鐘になると話した。


ヒーリー氏は性労働の合法化を目指した運動の先頭に長年、立ち続けてきた。合法化が性労働者の安全につながると主張した。


同氏の団体は、画期的な売春改正法の法案づくりに関わった。法案は2003年に可決。企業が合法的に売春施設を運営できるようになり、性労働者には労働者としてのすべての権利が認められた。


原告女性の代理を務めたニュージーランドの団体「オフィス・オブ・ヒューマンライツ・プロシーディングス」のディレクター、マイケル・ティミンズ氏は、今回の和解が「全国の事業者にとって重要な注意喚起となる」と述べた。


同氏は、「仕事の種類に関係なく、すべての労働者は職場でのセクハラと無縁でいる権利を有する。私たちは、すべての事業者と雇用者に、そうした権利を確実に理解し尊重するよう求める」とする声明を出した。


(英語記事 New Zealand sex worker wins sexual harassment case)


以前、セックスワーカーの公務員化を提唱した、エレノア・ルーズベルトのことを書いた。
彼女の提唱は、アメリカではなく、ニュージーランドで具現化したようだ。


”よりよいセックスワークのための法制度とは” +エレノア・ルーズベルトの提案 - 密接な関係にある他国から


日本はまだまだ女性が不利な状況に甘んじていなければならない場合が、日常的にも多く見られる。女性の自立、自己主張を押さえつけてきた価値観である”女らしく””女子力”と言葉を変え、男性視点で自分の価値を高めようとする女性たちがその言葉に踊る。
この”女子力”に起点を努力を続ければ、”女子力”を求める、男性のテリトリーで生き、自己の価値観で自分を立脚できない、つまり精神的自立できない、男性隷属を肯定する生き方になる。


Me Too運動で、女性の自立、人間、権利意識の自覚が芽生え、戦う女性が出てきたのに、なんでもごっちゃにして、Me Too で女性擁護ばかりを、言い続ければ、本当に、自立した価値観を持つ女性たちの活動を阻害する結果につながると危惧している。


愛情ではなく、支配欲求で女性との関係を考え行動する男性が、犯罪者ではなく、普通の人として闊歩する日本だから、昭和の母親たちは、『男は狼』と教え、不用意について行ってはいけないと教えた。「胸のボタンは2つ外してはいけません」(伊藤詩織さんはあえて、普段どうり2つボタンを外して会見した。これはこんな社会に対する抵抗、主張だった。女性が2つボタンを外していても、彼女にその意思がなければ、それはセックスの合意でもアプローチでもない)



本来、女性との関係において、男は狼ではなく、いかなる時も、人間として行動なければならない、それができないことは、それは恥ずかしい事だと男性たちに教え、コモンセンスを変えていかなくてはならない。『胸元が開いた服を着ていたから痴漢にあって当然だ』この認識は、絶対にNOだ。


ただ、男性有名人の自室について行ってしまう人は、『男は狼』という昭和のママの言葉を思い出して欲しい。もちろん結果を予測してなら、個人の自由。予測(普通の楽しいセックスButただ楽しいお喋りだけを予想することはあまりにナイーブで悲劇を生む。)を超える状況を強要されたら”被害者”になる。いい人ばかりではないどころか、日本の男性は、かなりその点が幼稚で即物的だと考えなくてはならない。そしてもし、被害者になってしまって、戦うために、決断と勇気と、周囲のサポートは不可欠。時代遅れの男性ばかりの裁判所で戦わなくてはならない。茨の道だ。


古いおばさんThinkingでは、性行為可能な環境に積極的に出向かないようにすべきだと思う。ヒルのいる沼地に可愛いビギニではいってゆけばひどい目に合う、と同等の配慮をすべきだ(ワニの場合もある、命に関わる)。ただし、これは女性側への提言だ。
男性諸氏は、たとえ女性が裸で前を横切っても、それが無条件に節句巣の合意ではないと心してほしい。男女共、きちんと相手の意思確認をすべきこれは鉄則。


若い女性たちが、自分にとっての価値観、生き方をはっきり持つことで、こうした、あとで後悔してしまう経験をする率は減るのではないか、と思うのは、昭和すぎる考えだろうか?





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