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吉村知事の言う病床トリアージの意味とその政策

この記事が気になった。今回は、転載はしませんのでアクセスして読んでみてください。


日本でも、新型コロナの感染拡大が止まらないこんな時期に、大阪維新は党是であると言う、また5年前に住民投票で否決された”大阪都構想”を強行に実施し否決された。その後、大阪も感染状況は非常に悪くなって医療崩壊の危機も危惧されている。それを受けて、吉村洋文知事が記者会見orぶら下がり?で、大阪ではこれから「病床トリアージをする」と宣言したそうだ。


この記事の筆者の方は、維新の状況判断の悪さにも憤っていた上に、吉村知事の『病床トリアージ』と言う言葉に、とても憤っている。
吉村知事がこの言葉をどう言うつもりで使ったのか?もちろん地方行政のトップであるから、自分の使う言葉を正確に理解して使わなくてはならない。もしトリアージを、アレンジメント、とかマネージメントとかと言う意味で使ったのだとしたら、間違ったイメージで言葉を使ったことになる。産経新聞は、一般の病気やケガの患者と新型コロナウイルスの患者を病院ごとに分けるという意味と説明している。これは本来の意味を曲げに曲げ、薄めに薄めたかなりの超訳曲訳


トリアージ=Triage
原語意味は、(in medical use) the assignment of degrees of urgency to wounds or illnesses to decide the order of treatment of a large number of patients or casualties.161 / 5000
Translation results(医療用途)多数の患者または死傷者の治療の順序を決定するための創傷または病気への緊急度の割り当て
日本の病院でもトリアージを正確に定義している。わかりやすい図で表示してあります。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/11/dl/s1106-9a13.pdf
医学的重症度に沿った診療順位。受診時においてトリアージが行われ、診察治療に至る。
カナダの小児救急患者例が出てて、厳格なレベルの点数が分けられていて、それに基づき判断が行われる。また、トリアージの必要な症状、状況も明記され、段階もきちんと区別されている。これは、トリアージが感情的恣意的に行われることのないように、また行う人間の心的負担を軽減するために、冷静なよりどころが必要だからでもある。


なので、吉村知事の言う『病床トリアージ』
吉村洋文知事の説明では、もしも新型コロナウイルスの重症患者が増えてしまうと、病院のベッドが埋まってしまうので、交通事故や脳梗塞などで入院を必要とする人たちが入院できなくなってしまう。だから、これからは新型コロナウイルスの感染者が入院している病院と、そうでない病院に分ける必要があって、これを「病床トリアージ」と呼ぶんだということになっています。


これは言葉の誤用であり、認識の誤りです。
筆者の方は、吉村知事がこの言葉をいい加減に使ったことは、命の選別を軽んじている、と言うところまで論を進めていますが、今回の場合は、単に吉村知事という人は、深くものを考えず、イメージで耳当たりのいい言葉、自分が賢く見えそうな言葉に飛びついてしまうおっちょこちょいだ、ということだけです。もちろん行政の長の資質は問われます。


別に吉村知事をかばうために書いているわけではないのですが、問題は、この筆者のこの部分のご意見なのです。
しかし、本当にそうなのでしょうか。もし新型コロナウイルスの感染者を受け入れる病院と受け入れない病院に分け、感染者を特定の病院に集めるのだとすると、それはキャパシティーを逆に狭めることになりかねません。例えば、病床数100のA病院とB病院があったとしましょう。新型コロナウイルスの感染者をA病院、そうでない人をB病院に分けるとすると、200あるうちの100しか入院できないことになります。B病院でも受け入れることにすれば、そのうちの半分をコロナ感染者、もう半分を事故や病気の患者だということにして、両病院で最大150床にできるのですが、病院ごとに分けるというのですから、それでは100床が最大となり、受け入れられる患者の数は少なくなってしまうという現象が起こります。


もちろんお気持ちも病床計算もわかります。ただ、COVEDー19は伝染病です。新型コロナウイルスの感染者を受け入れる病院と受け入れない病院に分ける、というのは、それを病床トリアージと呼ぶのは間違いですが、できるならそうすべきと思うのです。


NYCのハドソン川に病院船が停泊していました(今も稼働していると思います)。これはCOVED-19蔓延による特別措置で、入院も、手術施設も兼ね備えた病院船を、COVED-19以外の症状の人のみの診療手術入院を行うためのものです。 病院に一人感染者が入れば、そのエリアは閉鎖、消毒、医療従事者も検査隔離が必要になります。ですから、いくら区域を分けたとしても同じ病院でCOVED-19エリア、普通病棟エリアと分けることは、かなり怖いことに思えるのです。同じ問題は救急で起こります。無症状者の救急搬送で後になって感染がわかって、救急病棟全閉鎖、救急に従事していた人全て、感染の危機にさらされ、隔離が必要になります。これを防ぐには、検査・検査・検査につきます。現在救急病院が運び込まれた患者のCOVED-19をし散るだろうと思います。
とにかく、病院内では、感染者との接触の機会を極限まで晴らす必要がある。できるなら病院をわけて目的別にするほうがいいと思います。そうすれば一般治療病院は、原則的なCOVED-19の検査と用心ですみます。


だから吉村知事の言葉の使い方が軽く、間違っていて、その言葉の持つ命の選別の意味を軽く扱っているようで不快だ、ということと、病院をCOVED-19専用と、それ以外の人がかかる病院を分けるという考えまで否定してしまうのは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいで、本末転倒だと思います。


できることなら、病院は分けたほうが絶対いいし、そういうことは行政がイニシアチブを取らないとできないことです。COVED-19専用病床は、危険も大きいの職員の完全装備、エクモなどの機器の装備に特別な助成金を出し、損失補填をし、医療従事者にも危険手当を十分出す。通常営業の病院は、安全性をきちんと担保すれば、通常以上の患者を受け入れることができるので、それほどに補填の必要はないのですから(来院患者の検温、アルコール消毒、ソウシャルディスタンスのための予約の徹底に対し、少しは補填は必要かもしれませんが)全域の病院に補助金や特別手当を出すより、差別化できて予算を有効に回せると思います。それを徹底することはこれからは、より大事になるでしょう。


極右で歴史修正主義者で軽い感覚で間違った言葉を使い、イソジン吉村でも、病院をわけるリーダーシップを取るつもりなら、彼は正しいと思います。


この筆者のお気持ちもわかりますが、否定の理由を、言葉の認識不足から、命の選別という倫理観で糾弾するのは、少しヒステリックに聞こえてしまいます。糾弾するなら、言葉の間違いについてでいい。


これから大阪に限らず、医療現場の混乱や逼迫が起こる可能性が高くなる。その際に行政の正しいディレクション、リーダーシップ、そして医療現場と従事者への惜しみない助成金は絶対に必要です。万博・カジノの資金のための大阪都構想なんて、やっている場合ではな買ったし、そんなことに税金使うなら、税金の再分配を正しく公平に賢く、国民・県民・市民のために使うのが、政治家の使命でしょう。


バカで甘えたエゴ全開の政治家には、メディア・批評家は大いに怒らなくてはならない。
ただ、バイヤスをかけすぎには注意したほうがいいかと思います。相手を疑うのと同時に自分も疑う、そういう姿勢も大切だと思います(ただし”自分も疑う”を他人を牽制するのに使う恥知らずが多いのは困ったものですが。”自分も疑う”のは自分だけが内省して行えばいいことですから。)



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