密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

思い出した、古い歌 ハチのムサシと空飛ぶクジラ

今でも時々思い出すのが、ハチのムサシの歌。ずいぶん昔の歌だ。


ハチのムサシは死んだのさ、お日様仰いで土の上、
遠い青空麦畑、いつもと変わらぬ午後でした。
ハチのムサシは向こう見ず、真っ赤に燃えてるお日様に
試合を挑んで、負けたのさ。
焼かれて、落ちて、死んだのさ。
ハチのムサシは死んだのさ、お日様仰いで土の上、
遠い青空麦畑、いつもと変わらぬ午後でした。


これが記憶している歌詞。このころのフォークソングは、敗北感の歌が多かったような気がする。戦争での敗北ではない。学生運動の高揚から覚めた敗北、世の中を変えられると信じた行動の、挫折、変節、自嘲、諦め、そんな歌が多かったように思う。そして、まだその意味するところもわからない年齢だったのだが、このハチのムサシの歌は今も時々思い出す。


科学と技術の象徴的挑戦者イカロスではなく(イカロスの神話は、テクノロジー批判神話の一種であり、人間の傲慢さが自らの破滅を導くという戒めの意味もあった)ハチのムサシは権威権力への戦いを挑んだ。蝋で固めた羽が溶け墜落するイカロスは、その亡骸を海の精に抱きとめられたが、ハチのムサシは、痛痒だにしないお日様を見上げ、ただ小さく死んで、土くれに、さぞ悔しかったろう。



この際ちゃんと調べてみた。ネットは本当に便利だ。
『ハチのムサシは死んだのさ』1972年
 (作詞:内田良平 補作詞:むろふしチコ 作曲:平田隆夫、編曲:土持城夫


ハチのムサシは死んだのさ
畑の日だまり土の上
遠い山奥 麦の穂が
キラキラゆれてる午後でした
ハチのムサシは向こう見ず
真っ赤に燃えてるお日様に
試合をいどんで 負けたのさ
焼かれて落ちて 死んだのさ
ハチのムサシは死んだのさ
お日様仰いで死んだのさ
高い青空 麦畑
いつもと変わらぬ午後でした


ハチのムサシは死んだのさ
夢を見ながら死んだのさ
遠い昔の 恋の夢
ひとりぼっちで死んだのさ
ハチのムサシは向こう見ず
お日様めがけて剣を抜き
たたかいやぶれて 死んだのさ
焼かれて落ちて死んだのさ
ハチのムサシは死んだのさ
たしかにムサシは死んだのさ
やがて日は落ち 夕暮れに
真赤な夕日が燃えていた


だいぶ記憶とは違っていましたが、、、でもやっぱり、たった一人で剣を抜き、敗れて死んでしまったんだな。しかし、日は落ちて、夕暮れに燃えていた真赤な夕日 は、消えぬ思いを伝えているのか(シニアとなった、学生運動の世代の方々は胸に真っ赤な夕日を持っておられるだろうか)。この切なさを歌に託すのは日本独特の表現と言える。敗北とやるせなさのを歌う。そういえば石川啄木なんかもそうだな。


最近の山本太郎さんを見ると、この歌を思い出す。でも彼はきっと、海から空へ飛び出し、空を覆い尽くすたクジラの大群を率いたいだろう(空飛ぶクジラ:作詞作曲みなみらんぼう 未来を作り出しう、作り出せるそういう歌)。どのみち彼はどちらの歌も知らない世代だ。同世代(多分)の菅野完氏は、ハチのムサシの歌を知っておられるだろうか。


彼らが無謀な戦いに敗北する、そういう意味で言っているのではない。お日様に戦いを挑むたった一人の抵抗者を、向こう見ずと嘲り(また自嘲し)焼かれて落ちた亡骸を見て、哀れむけれど、いつもと変わらぬ午後、が続いていく、このやるせなさがずっと日本に充満する倦怠感と、シニシズムである。


アメリカもトランプ政権でひどい有り様だが、誰もハチのムサシではない。誰もハチのムサシにしない、そういう社会がある。だから、誰しも声を上げることを恐れないし、戦うことを恐れない。


これらの歌の少し前の、”戦争を知らない子供たち”(1970年)は大きな希望があった。輝いていた。子供だったけれど、誇らしい気持ちで歌った(一番を)。子供ながらに、戦争の恐ろしい時代を繰り返さない覚悟から、この歌なのだと思っていたが、これはベトナム戦争の反戦運動の中で生まれたもののようだ。でも歌詞を聴いていると、自分の国のことだし、やはり第二次大戦を踏まえた歌と思う。小学校の音楽教科書に載っていて、授業で歌っていた。今も乗っているのか?いや、とうぜん削除?


大人になって、平和の歌を口ずさみ歩んでいるはずのかつての民主主義の子供たち。その子供達から、戦争をしてみたい大人たちが現れてくるとは、夢にも思わなかった。


アメリカには銃があり、抵抗も命がけだが、ある意味、日本の方がもっと勇気がいるし、報われることが少ない。それはハチのムサシを一人死なせてしまうからなのだろうと、CNN特別番組『The Insider』(トランプ・ホワイトハウスで働いた高官・スタッフたちが、トランプの危うさに警鐘を鳴らすために証言する90分番組だ。最後にCNNの司会者が、目dxイアの矜持を持ってお届けした、と語った。)を見ながら思った。(『The Insider』については明日以降に記事にします。)


日本でも、深い海から羽を作って大空に飛び立ち、空を覆い尽くすクジラの群れをみたい。
先頭を切って切り込む人たちを(伊藤詩織さんや赤木雅子さん、望月記者のような、勇敢な女性たちも)一人で戦わせてはいけないのだと思う。
ツイッターというツールは日本の人たち向きかもしれない(トランプの使い方は、最低最悪だが、、、)それでROOTINGしていけばいいだろうと思う。


そして、”Vote,” 投票する、それはハチのムサシの劍でクジラの羽なのだ。 


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