密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

「人事のことなので回答は差し控えたい」は政府には許されないのでは?

安倍ー菅政権下の大臣・官僚は金科玉条のように「人事のことなので回答は差し控えたい」と繰り返すが、これって、国民に委託された政府が言っていいことなんだろうか?


一般の企業なら、営利を作り出す目的、職場の気風、などで、一概に基準どうりに採用しない場合もあるだろう。成績が上でも不採用になる場合もあり、一概のその基準の公開を求めても意味がない。ところが、政府は、決定に際し理由を国民に公表するのは当然だ。


国家機密として、外交上の交渉、(日本は建前上ないことになっているが)軍事作戦、諜報活動、など、アメリカでは一定粘土を過ぎれば、すべて国立公文書館で閲覧可能で、故に歴史的検証が行える。


なんだか、当然のように、「人事のことなので回答は差し控えたい」などといいって済ませているが、政府が国民に理解されない流で人事を行っていいはずがない。
なぜ「人事のことなので回答は差し控えたい」になるのかを説明しなければならない。
つまりどのような人事が。どういう理由で、その基準決定過程、結果が決められたのか?


「人事のことなので回答は差し控えたい」と言えばすべて説明責任を免れるという態度が不r通になっていることがおかしい。民間企業じゃないんだ、国民の代表で、物事の取り決めを行なっているのだ。勘違いも甚だしい。


この手のことで、「適切に対処している」もそうだ。適切を決めるのは国民で、総理大臣ではない。適切とは多くの人の目で見て、そうなることは当然だ、妥当だという判断を得て、適切と言える。これも「適切の判断していますといえば、検証を免れるという”感じ”になっている社会がおかしい。


根本から考え直さないといけない。「人事のことですから、そう明らかにはできないと思いますが、一般論の範囲で、」なんて先回りして気を使う必要はないんだ。政府の人事は万人にその理由基準を明らかにして行うべきだ。


一回通っちゃうとその言い方が定着、水戸黄門の印籠化する。そんな効き目ないのだと改めて認識すべきだ。


田村智子議員の追及は、もう、快刀乱麻をきる、見事な切れ味の質疑だった。
カラマ・ハリスに勝るとも劣らない。

学問の自由ほりくずすもの 2020.10.8



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