密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

お久しぶりの山本太郎さん

山本太郎氏は、一体いつ、本当のケジメをつけるのだろうか?と思っていた。
大西発言を受けての会見15分、総会で除籍を決定し報告、それが、志位委員長の言う”公党としてのけじめ”をつけたのかといえば、山本氏の本心が見えない(見せない、見せられない)ので、何か形だけでスルーした感じが拭えなかった。”公党としてのけじめ”とは総会で除籍(その前に考えを変えさせる教育的指導)ではなく、公党しかし山本太郎個人商店の品揃えの中に危険な毒を含みものがあり、それを選んで店頭に並べ客に勧めた店主の責任(なぜ選んだのか?どこで間違えたのか?今後2度と起こさないために何をするのか?)を明確に語ることであり、民主的っぽいみんなの判断で(その前に努力したけどやむなく)排除、などという内輪の学級会では、信用回復できない。れいわ新撰組はそこまで個人を超えた組織として確立していないからだ。


山本太郎氏は国民目線の真摯な政治家であり続けるだろうと期待してきた。
そういう思いで応援してきた人は多いだろう。そして今回のことが、彼の越えるべき重要なハードルであると思っていた。


実際、参議院で暗中模索の新人であった時、小沢一郎氏の隣で目を輝かせていた時、自由党国民合流で、独立しれいわ新撰組を立ち上げた時、国政政党と認められ、木村・船後両氏の重度障害の議員を国会に送り出すことに成功した時、そのエネルギーに陰りはなく、人好きのするオープンで型破りのキャラクターを十分に発揮してきた。


ところが、野党共闘がらみで、立憲民主党と絡んだあたりから、彼の怒りが表に漏れ出てくることが多くなった。もちろん政権の体たらくに、国会で怒り、路上で怒る、その姿勢に人々は共感する、しかし、そういう質の怒りではない。人間なら誰でも持ち合わせる、ある個人に対する根の暗い怒りだ。しかし政治家はそれを表に出してはいけない。枝野氏への怒りをマイクを通して漏らすようになり、野党共闘を成立させたい故に説得をする志位氏小池晃氏へのウザさもマイク越しにみんなの前で表明、金子勝氏を経済学者と”名乗っている”人物と呼び、この動画では、田中龍作ジャーナル(山本氏は、田**U~作ジャーナルと言っていたが)を、ある目的を持って、偏向記事を書いている?何処かから金が出ている?というような発言をする。 これに対し田中龍作氏はツイッターで、
田中龍作
@tanakaryusaku
山本太郎にはガックリきた。これまで れいわ支持者 に 袋叩きにされながらも 厳しいことを言ってきたのは、山本に期待していたからだ。


田中がカネをもらって、れいわの批判をするような人間と思われていたとは・・・
言葉を失う。
 とツイート、当然だろう。どれほど田中氏が事実無根のデマとかを書いてきたのかと、過去記事を調べてみたが、まっとうな意見、期待からのアドバイス、言ってしまえば良薬口に苦し的なものが含まれていたが、決して、何かの目的を持って貶めるため書かれている感じはしない。
田中龍作ジャーナル | 私は何故れいわ新選組に苦言を呈するのか
田中龍作ジャーナル | れいわ新選組の健全な発展を願って 
色々いう人もいるだろうし、ストレスも溜まるだろうけれど、公の場で、こういう風に人に対してモノを言うなんて、政治家としては、無用心すぎる。


多分山本氏が気分を害されたのはこの記事だろうか?

れいわは一部の読者が指摘するようなヨチヨチ歩きではない。れいわという組織を差配するのは、設立24年の歴史を持つ「市民の党」なのだから。


 汗水流して献身的に山本太郎の選挙を支えるのは、事務所のスタッフやボランティアたちだ。だが、彼らには規約上、れいわの運営に口出しする権利はない。


 カンパの支援者たちも同様に、規約上、れいわの運営に口出しできない。お金を出していながら、である。


 ごくごく一握りの「市民の党」のメンバーが、多数のスタッフや膨大な数のボランティアを支配する。  


 れいわの中でチャキチャキの市民の党のメンバーは沖永明久事務局長たった一人だ。


 れいわがロスジェネ、年金生活者など生活困窮者に対して開かれた党であるならば、規約を変えて、支援者が党運営に関与できるようにすべきだ。


 例えば代表選で支援者が一票投じることができるようにする。自民党でさえ党員が総裁選で投票できるのだから。


 それが れいわ を民主的な政党にする方法である。


     ~終わり~

これは党運営に立ち入った記事だ。期待が大きく心配しすぎで踏み越えた的な、、、。
そうだとしても、金が出ているなどと、ジャーナリストに対してのこの上ない侮辱を事実だという確証もないのに、口にしたのはひどいと思う。後々まで感情的にこじれる言い方を、公に一方的に配信せず、こう言う場合、相手も文章なのだ、文章がいい。掲載しているBlogosに寄稿する、あるいは誌上での論議を申し込むという方法もあったのではないか。


田中氏もこの短い記事では、どの程度のファクト・証言とか、また市民の会というものの現状と実際の関わりなどの調査がどれほどあったかもわからない。山本氏と当の沖永明久事務局長によれば、実働していない開店休業状態だという。ならば、誌上でも、ネット討論会(おしゃべり会に来ていただくとか)ででも、そんなことは、話し合えばわかりあえることだ。街頭記者会見で食ってかかるネトウヨとは辛抱強く話し合うではないか。



【れいわ地下2階B2サンデー】山本太郎代表への質問 2020年8月12日


話が前後してしまった。もとい、山本氏が政治家としていつ口を開くか、ずっと注視してきた。そしてお聞きいただければ分かる通り、山本氏は、公に最も語らなければならない、大西つねき氏の発言とその後の彼の独自配信を、軽く流した。大西氏の会見よりその後の記者質問の方が意味があったとかなんとか、と言っていた。確かに、その通りで、大西氏は記者の質問に自己の論旨の脆弱性をあらわにし、徐々に論点をすり替えた。だから見るべきものは記者質問あった、が、山本太郎氏が、これを触れた程度で、掘り下げもせず、ほんの数秒で済ませたことは、本当にがっかりした。深く傷ついてトラウマ化してるのかなぁ? でもそれを真正面からやらなきゃ、今後どんなにいいこと言っても、受け入れられないだろう。


そのあとの立憲民主との共闘についての質問には時間を費やし、何百回路上で唱えてきた彼の経済政策を繰り返した。そのほかは党内のゴタゴタ、それに付随してそれを煽る田**U~作ジャーナル発言もあり、左翼運動市民運動家との繋がりとか、事務長の権力とか、普通に政治家山本太郎と、その仲間たちれいわ新撰組という距離感で見ている者にとっては、どうでもいいことのオンパレードだ。そしてそんな、俺の太郎、私の太郎という濃い愛着の思いの中でバランスを取る山本太郎氏は、かつての輝きが急速に失せ、彼の政策もコロナで一変し、政府対応に苦しむ人々の現実の中で、形骸化したように退屈に響いた。


このままでけば、純粋で、意識が高く、周囲に理解されていないと感じ、しかし何かを信じたい、という思いを強烈に抱える人々のそれぞれの思いに足を取られ、流砂にハマったように抜け出せなくなる。小さな政党の党首で奔走し、大舞台に再び飛び上がることはできなくなるかもしれない。


大西つねき発言というトリガーで、山本太郎自身が死に体に見える。これをねじり返すには、是が非でも、自分が国会議員に再当選することしかない。以前のように百人候補を立てますとか、与野党嫌がられる存在とか、挑発的な方法は難しくなるだろう。まず自分が国会議員に戻ることがとても大事になる。


昨今の、山本氏の敵の作り方は戦略的ではなく、感情的に見える。
山本氏は、都知事選出馬で立民と絡んで一時否定し、土壇場出馬、これでだいぶ敵を作った。 議論はしても敵は作らない、は、政治家、特に公党の代表として当然の度量だ。
『空気読めないのではなく読まない』いいでしょう、特に勢いのあるときは。
ただ今は思慮深くあるべきだ。案外読めてるはずの空気を読み間違えたりするかもしれない。


とにかく、第一歩は、田中龍作氏に謝罪し、誤解があるならとくべきだ。
応援してくれ、先輩として助言しようと少し前のめりになったのかもしれれないが、田中氏がれいわ新撰組を貶める、印象操作や、陰謀論展開するつもりはなかっただろう。
とにかく、お金をもらっているなどという発言は、まともなジャーナリストにとって最大の侮辱であり、田中氏の今までの仕事ぶりを見る限り、誹謗中傷にさえあたる。
こういう亀裂を増やしてゆくことは危険なことだ。
人が負のスパイラルに入る時って、こういう、不用意なしかし悪意を含んだ表現をしてしまい、溝が深まったり、人が離れて行ったりしてゆく。本来持っている性質から、少しづつずれ、少しづつゆがんで行ってしまう。


山本氏も余裕がないのか言葉がきつく嫌味になっている。
本来、意見は違えど、困ったら手を差し伸べたくなるような愛されキャラだったはず。
強気に出ても、素直さも愛嬌も忘れなかったし、言葉に注意深く、ホローも忘れなかったと思う。今は笑顔の裏で余裕なく牙を向いている。いくら腹に据えかねても、本人のいないところで悪口は言わない、かつ人前で言わない、それが鉄則だ。
こんなことで、スケール大きい政治家への道を、自ら塞いでゆくなんて、してはいけない。


追記
これは、ごくごく個人的にカチ〜んときただけなんですが。動物園水族館を、まあなんか、動物虐待みたい捉え、総理になったら無くしたいと言い切ったことが、すごっくいやだった。動物園水族館は、見世物(子供も教育学習、楽しみ)という目的の他に、保護、研究の目的のある大事な場所で、ここに働く人々も動物への理解と愛情は半端ないだろう。怪我をした野生動物の保護、生態系の調査管理、動物の行動学やコミュニケーションだって、本当の情熱や愛情を注がないとできないだろうし、それを、ああ言う言い方をして、そこに動物園水族館で働く人たちに対する配慮の一言もなかったことに、相当がっかりした。動物体験で修学旅行にアフリカの自然公園に子供達をなど言っていたが、夢があって結構けど、動物園みたいに安全じゃない。檻がないとか言う意味じゃなくて、蚊とか、毒の虫もいる、日本人に抗体のないウイルスだっているかもしれないし、食べ物への順応も、いろいろな国で常識もルールも違うところに(それは引率の先生も理解できない部分が多い、本やネットでわからないことがたくさんある)、子供達を団体で、って、机上の空論夢物語。今まで、色々強い意見を言ったりしても、嫌いだと思ったことはなかった、それは、言われた相手への配慮がきちんとなされていたからだ。山本太郎氏、やっぱりどこかバランス狂ってる感じがする。


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