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大西氏の弁明 主題のシフト・ボタンの掛け違え

大西氏の弁明動画 この人は自分が何を言ったのか、何を言っているのかわからないまま発信しているように見える。

大西つねき記者会見中継(Live配信2020/7/17)


社会の効率、若い人のマンパワーを食いつぶす高齢者をなんとかする必要がある。
銀行が企業再生で、リストラや不業績部署を切り捨てて再生させるやり方と同じ発想だ。


しかし、大西氏はこの会見で、自分の発言を、切り取られた・誤解を与えた、と安倍政権の面々と同じ発想で対応した。そしてこの社会効率の視点を、延命治療・尊厳死の問題にシフトして語る。これは別問題で決して社会リソースの問題とリンクさせられるものではない。


ご本人もいくつものことをごちゃごちゃに考え、その場その場で自己正当化できる方向を選んで話している。そして記者質問で、命の選別を年齢で区切ることを肯定してしまい、そこを追及されると具体的には考えていない、イメージさ持っていないと認めた。


彼は、負けず嫌いで、自分が間違っていると認めることはできない(こういう人が増えているなぁ、、、)常に自分が理解されないのは、社会常識を逸脱している高度な考えであるためで、、感情的に縛られた理解力のにくい人々から攻撃を受ける、と考えている。


れいわのメンバー・障害を持つ人、当事者から、レクチャーを受ける、ということが、圧力、自分の自由意思を捻じ曲げる、という反発、この中学生的反発を、共産党弾圧を持ち出して自己弁護している。


もちろんレクチャーを受けてもらうという山本代表の提案は、学級会の吊し上げ反省会を思い起こさせるし、同調圧力だと反発する大西氏の気持ちは分かる気がする。50を過ぎた男を数回のレクチャーで再教育できるとは思えない。
ただ、屈辱を煽り、反発を生むだろう。だからこういう結果になったのだろう。


そもそも、彼の論理は、最初のボタンの掛け違えから始まっている。この件を質問した鋭い記者もいた。それは、社会リソースが足りなくなった場合、厳しい選択をせざるを得ないのが政治の役割として、論を展開しているところである。


厳しい選択を、最もしてはならないという第一命題で、社会を構築してゆくのが、政治家の役割だ。福田赳夫内閣総理大臣はダッカハイジャック事件の時「一人の生命は地球より重い」と述べた。これこそが政治家の第一義ではないのか。新自由主義台頭以来こういう気持ちが完全に忘れ去られと思う。効率を考え、人の命を数で考え、グラフにできる社会。簡単に切り捨て方向に舵を切り、「誰も言わないだろうが、本当は必要な考えだ」と、若い人たちに吹聴、一緒の詐欺的トークだ。ご本人はそんなつもりはないのだろうが、論拠の補強にならない知識をちりばめて、なんとなく革新的な、先端的な意見のように色づけしてしまう。


延命治療に対するリビングウィル、安楽死、これはもっと考えてゆくべきことで、でも大西氏の最初の論はこういうことについて語っているとは思えない。だって延命治療を受けている高齢者(あるいは植物状態の人も彼の選別に入るだろう、だって人手をかけているから)を行政主導で死に導いても、それほど効率化にはならない。それより、健康で長寿な人を線引きして、死んでもらうという考えを、ゆる義なく主張をしている。


この人も引っ込みがつかなくなっているようにも見える。優秀な自分の考えが理解されないのは、周りが悪い、でも自分は自分を貫くぞ、という非常に”少年的抵抗”のみに見える。れいわは、こういう思春期の反抗を保持している人が多い。少年的抵抗、ここで親和力が働いたのだろう。


大西氏は、今まで、一方的に信者に向けて発言し、本を出版し賞賛されることで過ごしてきた人であるように見受けられる。そうした人が、批判的に追及され、記者質問にさらされて、自分の論拠の歪みに、気づいきているはずだ。彼が本当に賢い人なら、学びの機会は十分あったはずだ。自分の甘さも明白に見えたはずだ。彼の大嫌いな間違いを認めるをせずに、今後、間違いを改める方向にシフトしてゆく可能性がある。すでに命の選別を、延命治療・安楽死に移行し医療体制の問題にしている。


ただ、この人の数字的バランスの考えは、全体俯瞰でものを決めてゆく考えは、優生思想ではなくても、戦局で、戦死者何人、まあ成功だな、、と考える軍上層部と同じ。


驚いたのは、大西氏は、深沢七郎の『楢山節考』を読んでいないということだ。これは映画化もされ、また伝承話として姥捨山も、”誰でも知っている”レベルの話と思っていたが、もうそうでもないのかもしれない。単に非人道的話ではなく、日本の原点的血脈の上に、人間の営みが描かれている。深沢七郎こそ、体制への迎合を嫌い反発しt作家である。『風流夢譚』天皇皇后の首を落とした表現で宮内庁が民事訴訟を検討、「不敬」だという抗議が日に日に強まり、右翼団体が中央公論社に直接押しかけるなど、社では出版業務に支障が出るまでに至った。三島由紀夫は擁護に回って、攻撃に巻き込まれたと聞いた。公安に追跡されたりしたらしい。そして、右翼少年が中央公論社の嶋中社長宅に侵入して社長夫人や家政婦を殺傷する事件に発展。この一連の騒動、批判を受け、深沢は、しばらく筆を絶ち、1か月間都内で警護されつつ身を潜めた後に記者会見を開き「下品なコトバ」を使い「悪かったと思います」と謝罪し、世間から姿を消して1965年(昭和40年)まで地方を転々とし放浪(逃亡)生活をすることになった。
大西氏曰くの『『謝罪』とは支配的な性格を持つものだ』を体現した、興味深い作家だと思う。ましてや高齢者問題に言及するなら是非読むべきだ。映画でもいい。山本澄子さん、清川虹子さんすごい存在感。

楢山節考
楢山節考
Video On Demand
楢山節考 (新潮文庫)
楢山節考 (新潮文庫)
新潮社



もとい、”彼の考えも納得できる部分がある”と考える人は、もう一度、「一人の生命は地球より重い」と述べた福田赳夫氏の思いも考えてみて欲しい。
自分の人生は一度きりなのだということを思い出してほしい。



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