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大西発言への山本代表対応動画+『ニンゲンは犬に食われるほど自由だ』+ソイレントグリーンと1984

大西つねき氏の命の選別発言について、山本代表が動画で記者会見対応をした。

【動画生中継】大西つねき氏について れいわ新選組 代表 山本太郎 2020年7月10日
山本氏のチャンスと捉える、レクチャーを配信するという対応に憤る人たちも出ていたようで、よりはっきりした厳しい対応の姿勢を表明する必要に迫られたようだ。
党のイメージのために即首切りで終わらせるというのは違う、という考えは納得できる。
しかし「野に放つわけにいかない」というが50過ぎた人間を再教育するのが、党の責任とでも?れいわの支持者の中で大西発言肯定のツイートもかなりあるという。つまり大西氏がこう親しそうに立脚する今日ジャの論理でファンを集めていた可能性もある。
もし、山本氏が、生命倫理について、優生思想に反対するというの動きをするのなら、それはそれで大西さん発言とは切り離してやっていけばいい。


れいわ・山本声明の問題点は、この問題を生命倫理の問題として一般化して対応するように感じられる点だと思う。この点は切り離して行うべきだ。その上で、レクチャー配信という教育?が有益か?という問題。荻上チキは”禊イベント”と定義している。
山本氏個人としても、党としても相当のダメージだと思う。


大西氏のように、高齢者を奪い取るもの、お荷物と捉える人々。しかし高齢者の介護によって職が生まれる、いまや多様な介護老人ホームはビックビジネスだ。ただ改善すべきは現場で働く人の労働力に相応する賃金支払われないことだ。政治の役割は高齢者を排除することではなく、働く人の賃金を上げることだ。余裕の持てる賃金があれば、誇りの持てる仕事、やりがいのある仕事となり、誰も高齢者排除など思わない。


本人の意思を無視して無理やり生かされる状況については、最後まで本人の意思を尊重されるべきだと思う。そういう意味での安楽死は考えていかなくてはならない。


高齢者であるDさんは家で死にたい派である。ワタクシは、孤独死派である。最後まで精神の自由を確保したい。日本にいた頃、強烈に印象に残った藤原新也氏の『ニンゲンは犬に食われるほど自由だ』(1983年出版された『メメントモリ』の作中で人間の死体を犬が食べるシーンの写真のキャプションにつけられた言葉)がその頃よりもっと胸に迫ってくることがある。病院に繋がれ、帰りたくてももう自分の意思は聞き届けられなかった知人、介護ホームで子供に話すような言葉で話しかけられる両親を見るにつけだ。


若い人が思うほど、老人は意思がないわけではない。漏らそうがこぼそうが、尊厳の放棄を迫るべきではない。ましてや他人からの寿命の寿命のコントロールなどもってのほかだ。自分がその立場になればわかる。


Dさんはこの大西氏はその時が来たら、自らが望まなくても自分の決めた制度のとうりに死んでゆく覚悟なのだろうか?と聞いた。たとえ彼がその覚悟でも、他人の生をどうこうする権利などない。誰にもない。
頭のいい人たちは、案外優秀な人特例、上級国民特例を設けるのかもしれない。


ところで、今回のことで思い起こされた映画をいくつか。
幼い頃地元映画館でソイレントグリーンという映画が上映されたことがなぜか記憶に焼き付いている。事あるごとに思い出すソイレントグリーンだが見た記憶はない。
この原作は Harry Harrison著”Make Room Make Room,” 時代想定は2022年。
このSF映画の想定は、深刻な食糧難に直面する人類。政府が選んだ選択は、ボランティアの安楽死と、その体を食料に提供すること(これは本人も知らないし、食べてる人々も知らない)管理社会の行き着く先。それでも、大西案より人間的だと思えるのだ。


ソイレントグリーン:人口爆発により資源が枯渇し、格差が拡大した、暗鬱な未来社会で起こる殺人事件とその背景を描いたSF映画
2022年、留まるところを知らない人口増加により、世界は食住を失った人間が路上に溢れ、一部の特権階級と多くの貧民という格差の激しい社会となっていた。肉や野菜といった本物の食料品は宝石以上に稀少で高価なものとなり、特権階級を除くほとんどの人間は、ソイレント社が海のプランクトンから作る合成食品の配給を受けて、細々と生き延びていた。そしてある夜ソイレント社の幹部サイモンソン(ジョゼフ・コットン)が殺害される。ニューヨークに住む殺人課のソーン刑事(チャールトン・ヘストン)は、同居人の老人・ソル(エドワード・G・ロビンソン)の協力を得て捜査に乗り出すが、様々な妨害を受けた後、新製品ソイレント・グリーンの配給中断による暴動のどさくさに紛れて暗殺されそうになる。
そんな中、自室に戻ったソーンは、ソルが「ホーム」に行ったことを知る。慌ててホーム=公営安楽死施設に向かったソーンは、真実を知ってしまったが故に死を選ぶしかなかったソルの最期を見届けることになる。草原や大海原などの映像とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の響きに包まれてソルが死んだ後、ソーンはその遺言に従い、裏づけをとるために死体を追跡する。そしてソルをはじめ多数の死体がトラックでソイレント社の工場に運び込まれ、人間の死体からソイレント・グリーンが生産されている事実を突き止める。その後、暗殺者の襲撃を受け、彼らを倒したものの自身も深手を負ったソーンは、病院に搬送されながら声高に真実を叫ぶのだった。(by Wikipedia)


美しい映像とベートーベンの中での安楽死については最終環境として、あっていいと思う。安楽死は個人的には、人間として必要な選択肢だと思う。その際の環境設定で映像と音楽はいいだろうなどと思ってしまう。



キューブリック監督の”時計じかけのオレンジ”では、乱暴者の矯正に、戦争の映像とベートーベン(彼が最も愛してる)が流された。美しい映像的ビジュアルが狂気を演出し、本当に恐ろしかった。これも全体主義社会の様相だ。


時計じかけのオレンジ;暴力やセックスなど、欲望の限りを尽くす荒廃した自由放任と、管理された全体主義社会とのジレンマを描いた、サタイア(風刺)的作品。近未来を舞台設定にしているが、あくまでも普遍的な社会をモチーフにしており、映像化作品ではキューブリックの大胆さと繊細さによって、人間の持つ非人間性を悪の舞踊劇ともいうべき作品に昇華させている。


手塚治虫氏は『時計仕掛けのリンゴ』という作品を書いている。
長野県天竜川中流近くの稲武市(いなたけし、架空の都市)は大手メーカーの時計工場ができたことで急速に発展した。白川雄作は妻と2人暮らし。妻の意向で朝食には毎日パンを食べていた。ある朝、テレビやラジオが受信できなくなり、朝日新聞以外の新聞も届かなくなった。その朝日新聞にはおかしなことは何も書かれていない。不審に思いつつ白川は出社するが、市外に住んでいる同僚は出社していなかった。
白川の不倫相手の同僚・秋吉ミチは社の食堂で出されるカレーライスの米の味が変だという。白川は米の分析を薬屋に依頼する。すると米の中には脳の働きを鈍らせる劇薬「ビューロマイシン」(架空の薬剤)が入っていたことが判明する。翌日、その薬屋は行方不明になってしまう。
白川は山に登ってみるが、そこで自衛隊に身柄を拘束される。自衛隊の将校は二・二六事件のようなクーデターを企てていたのだ。将校らは白川と秋吉の不倫の証拠を握っており、白川に口止めした。しかし、白川は妻に自分が不倫をしていたことを含めて一部始終を打ち明け、2人は養殖場の鯉の体にコールタールでSOSを書き込んで天竜川に放した。次の日。稲武市の住民は一か所に集められ、自衛隊の将校が首都占拠のための実験を行ったこと、住民達を人質にしたことを告げる。塔に登った将校は急な雷に撃たれて果てた。

今、日本の国民は、電通によって情報操作「ビューロマイシン」を食わされているかのようだ。



映画1984(原作ジョージ・オーウェル出版1949年)でも、凄まじい拷問と洗脳の部分で現れる、開かれた美しい光景の映像が印象的だった。これは1984年公開のもので、1956年後期の映画もあるそうだ。


1884全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いた映画、1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。
オセアニアに内属しているロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。ウィンストンは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。また、古い物の残るチャリントンという老人の店(ノートを買った古道具屋)を見つけ、隠れ家としてジューリアと共に過ごした。さらに、ウインストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をオブライエンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。
ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、愛情省で尋問と拷問を受けることになる。彼は、「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら“心から”党を愛すようになるのであった。
(by Wiki)


核への恐怖、共産主義への恐怖が色濃い映画だが、今の世界情勢にも通じる。
格差社会、全体主義、また、”「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン(いまプライバシー踏み越えの、テレワークハラスメントが勃発しているようだ)、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。” ”記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない”などは日本の現在の社会にも通じる。オーウェルは『全体主義は、もし戦わなければどこにおいても勝利しうることを強調するためです』と語っている。

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